そんなとき出会った男性と交際を始め、すぐに同棲することになった。
いよいよ引っ越しの日。
優しくて穏やかな彼との新生活に、うきうきしながら靴箱を整理していると、
「なんでこんな靴持ってきたんだよ! 」
理不尽に何かを切り裂く怒鳴り声が、部屋に響き渡った。彼の声にビクッと身体が固まる。
一緒に住んだその日から、「優しい彼」は姿を消し、なりふり構わず暴力をふるう「DV男」がそこにはいた。
「てめぇこのやろう! 」
その台詞を皮切りに、彼のこぶしが降ってくる。なぜ怒っているのか、なぜ殴られているのかわからない。髪の毛を掴まれ、吐き捨てられる暴言。
友達にも会わせてもらえず、仕事にも行けず、近所の美容室に行くだけで殴られる。
閉じ込められるように家にいる日々に、段々とやせ細っていく心と身体。
“怖い……逃げなきゃ。”
とは言っても、帰る実家もなければあてもなく、怒鳴ったあとには「もうしない」と謝ってくる彼をずるずると許してしまう自分。
「結婚したら、もうしない。お前が変な男に引っかからないか心配なだけなんだ。」
“この恐怖から逃げられるなら、たかが紙切れ一枚のことじゃん…。”
恐怖心から、逃れるために籍を入れた。けれど、結婚をしたからといって彼のDVは治るわけもなく、子どもを授かったあともわたしを怒鳴り、殴ることをやめなかった。
「てめぇ! ぶん殴って、流産させるぞ! 」
その言葉に、全身が震えた。
“あ……。この子を産んだら、殺される。”
彼と同棲する前に貯めていたお金を握りしめ、大きいお腹を抱えて病院へ駆け込んだ。
絶対に産みたいと思っていた。それでも……。
妊娠5ヶ月での、中絶。
そうするしか、なかった……。
“もう、ここに居てはいけない。”
彼が仕事に行っている間、友達数人に手伝ってもらい、彼の家から逃げ出した。やっとの思いで籍を抜き、正式に離婚。勤めていたキャバクラで再び働き始めた。
彼から逃げられたとはいえ、心に負った傷は、思った以上に深かった。
“今、ここでわたしが首を掻っ切って死んでも、誰も何とも思わないんだろうな。”
ふっと頭をよぎる闇。
そんなとき、アルバイト先の日焼けサロンに来ていたお客さんと交際をすることになった。
今まで出会った男性とはどこか違う。品があって他の女性からも人気で。同棲をすれば家賃を払ってくれ、旅行にも連れて行ってくる。一緒に過ごす楽しい日々に、少しづつ元気を取り戻していった。
「サイパンに行こう! 」
彼の提案に、胸が躍る。23年間、一度も海外に行ったことのなかったわたしにとって、それはとびきり嬉しいプレゼントだった。
ところが、サイパンに行く一週間前に事件は起こる。
「ピンポーン」
家に響くベルの音。玄関に立っていたのは、なんと刑事だった。
彼に名前を尋ねる刑事。放たれた「逮捕」の二文字だけが、頭のどこかでかすかに響いた。寝起きのままに連行される彼。なにがなんだかわからず、ぐるぐると頭に中が渦を巻き、ただひたすらに混乱した。
「お金が無くなるたび、深夜のパチンコ店で窃盗を繰り返していたんですよ。」
取調室で聞かされる話しは、どれもこれも初めて聞く内容ばかりだった。わたしの知らない彼の素性と過去。うろたえ、パニックになりながらただ涙だけがこぼれた。信じていたものが何もかも崩れ、誰を、何を、信じればいいのかわからなくなる……。
会ったこともない、彼も数年縁を切られていた彼の両親に事情を説明しに、彼の生まれ育った街へ向かった。そこで両親から告げられたのは、予想もしないひと言だった。
「あいつは、あなたみたいな人がいないと駄目だ。これからも面倒を見てやってくれないか。」
嘘をつき続けた彼と付き合い続けることは考えていなかったけれど、直々に頭を下げられ、断ることができなかった。
数ヶ月後。
出所した彼と、彼の実家で暮らす日々が始まった。
マリファナや覚せい剤を吸い、遊び惚ける。そこには、彼の本性があった。出会った頃の品のある面影はどこにもない。彼に勧められるがまま、また薬に手を出してしまう弱い自分。せっかく勤めていた仕事も辞めてしまい、だんだんと荒んでいく心。
“死にたい……”
辛いことがあると蘇る、幼い頃から抜けない癖は、再びわたしを支配した。
そんなとき、手に取った本に書かれていた一説に、雷を打たれたような衝撃が走る。
「人は、自分が心でイメージした通りの現実を引き寄せる。」
“そうか。「死にたい。どうせ自分なんて」と思っているから、その通りの人生にしかならないんだ……。”
心を覆っていた暗く厚い雲に、一筋の光が刺す。
彼と別れるために、寮付きの職場を探すことにした。
面接では、自分がなりたい象やイキイキ働いている自分をイメージする。見事採用が決まり、家と仕事を得られ、彼と別れることができた。
昼間の仕事をバリバリ頑張る日々、キャバクラで働いたときの常連さんと再会した。
“トキメキやドキドキはないけれど、穏やかで優しくて。いつまでも自分を待っていてくれるこんな人と結婚したら、幸せになれるのかな”
と、頭をよぎり、お付き合いを始めてすぐ子どもをつくり結婚をした。
そんなとき、ふいに幼少期に生き別れた父に連絡をする。
父は再婚をしていて、子どもと奥さんと楽しく生活をしているようだった。
「一度遊びにおいで! 」
父の言葉に誘われるがままお邪魔すると、わたしが憧れていた温かい家族があった。
「よく来たね! 」
笑顔で迎えてくれた父の新しい家族。奥さんには、料理を教えてもらったり、子供の面倒をみてもらったり、実の母から受けることのできなかった愛を感じた。
“ああ。これが、わたしがずっと欲しかったお母さんだ。実家だ。”
「またいつでもおいで!」
その言葉通り、盆と正月は欠かさず父の家族の元へ帰った。
やっと手に入れた、自分の居場所。ほんのり温かい気持ちが胸をじわり包んだ。
ところが、ある日、父から思いもよらない事実を告げられた。
「実は、お母さんはさおりのことが大嫌いだったんだ。さおりが初めて家に来るってなったときも、何で前の奥さんの子が家に来るのよ!?って、離婚直前まで喧嘩になったくらいだったんだ。だからもう、距離を置いてくれないか。」
“え……。だって、またいつでもおいでって言ってくれてた。夜中まで二人で話したり、困ったときは助けてくれたり、してくれてたじゃない……”
「意味が分からない…..。」
「でも、お父さんは私を愛してくれてるの?」
そう聞くと
「あぁ・・・」と父は答えた。
とめどなく流れる涙……。父の言葉をすがるように信じて、その場を後にした。
数ヶ月後に離婚をし、部屋を借りることに。保証人が必要になり他に頼れる人が誰もいなかった私は、後妻に遠慮しながらも父に相談をするため電話をした。どうしても助けてほしいことがある…と。
すると、父から返ってきた言葉はあまりに残酷なものだった。
「ママがダメって言ってるから。」
ガチャリ。
耳に響く大きな裏切りの音。
“結局、人ってそんなもんだよな。親だって、簡単に裏切るんだ。そうだ、わたしの人生は期待しちゃだめなんだ。期待したらみんな手のひらからすり抜けていく。”
そして期待していた穏やかな結婚生活も、長くは続かなった。
すれ違う夫婦生活に、理不尽に怒ったり怒られたり夫婦げんかが絶えない日々。母親であるわたし自身の自己肯定感が低かったために、イライラを子どもにぶつけてしまう。怒っては、毎晩のように襲われる自己嫌悪。
子どもを抱えながら「ごめんね……」と涙を流すしかない。
情けない自分が嫌で嫌で、しょうがなかった。
夫と一緒にいることに意味が見いだせない。離婚をしたいけど、子どもはまだ小さいし……。
そんなとき、これまで孫が生まれても顔を見に来ることさえしてこなかった母が、バイト代をくれるなら子どもの面倒を見てあげてもいいよと言ってくれた。
離婚をして、母に子どもを預け、自分が働きに出よう!
離婚をしたあとは、夜のクラブで働きながら、子どもたちと母の生活費を必死で稼いだ。
それでも、家計は苦しかった。母に払う謝礼と家賃に食費に、学費に……。
とうとう生活が回らなくなったわたしは、子どもたちを養っていくため、お客さんに誘われるがまま、自分の身体を売った。今まではどんなにお金を積まれても拒否していたけれど、生きていくため、心をすり減らしながら必死でお金を稼いだ。
ある日、ひとりの若い女の子が、クラブの従業員として入ってきた。
“あ、この子、わたしに似てる……”
お酒とタバコの匂いを纏った派手なドレスを、ロッカールームに押し込みながら、彼女の目を見て尋ねた。
「ねぇねぇ、よく死にたいとか思ったりするでしょ? 」
問いかけた彼女は怪訝そうな顔する。
「なんでわかるんですか? 」
明るく振舞っている彼女からは、想像もできない本心を見抜けたのは、どうしようもなくわたしに似ているからだった。それからは、本当の妹のように可愛がった。
夜の仕事に耐えられなくなりお店を辞めて昼間の仕事に就いたあとも、よく会っては話をした。昼間の仕事を始めたけれど、それだけでは食べていけないこと。お店に来ていたお客さんと身体だけの関係でお金をもらっていること。そして、それが辛いこと……。
誰にも弱音を吐いたことのなかったわたしが、彼女の前では不思議と本音がぽろぽろと出てくる。
「私はお金で寝ることできるから、沙織さんの辛さはわからないけれど…話してくれてありがとうございます。早くさおりさんが昼間の仕事だけで元気に働けるように応援してます」
優しい彼女の笑顔を見たのは、それが最後だった。
それから間もなく、彼女は自殺をした。
突然の訃報を受けたわたしは、うろたえた。信じられない気持ちと、信じたくない気持ちを抱え、お葬式へ向かった。
“たまに死にたくなるよね、と話してたからって……。本当に、死んでしまうなんて……。”
大切な人との突然の別れと、男の人との身体だけの関係に、次第に心が壊れていく。手を伸ばしても何も掴めない。空を切る手のひらを握りしめる強さも残っていなかった。
病院で診断された、「うつ病」。
仕事もできなくなり、生活保護を受けながらなんとか子育てをする日々。
“働きたいけど働けない……元気になりたいけど、涙しか出ない……。”
そんな自分に自己肯定感は下がる一方だった。
苦しむ自分をよそに、父の息子である腹違いの弟がK-1で優勝した様子をテレビで見る。そして父親までテレビに出て嬉しそうに話していた……。同じ親に生まれて、しかも私を傷つけた家庭が、なんでこんなに幸せなの……。苦しさはさらに増した。
死にたくて死にたくて、自殺をした後輩に毎晩語りかけた。
“死んだらどうなるの?自殺したらどうなるの?今どこにいるの?”
うつ病はひどくなるばかり。
“死にたい。でも、子どもに自分の自殺した姿はどうしても見せられない……。”
それだけが死ねない理由だった。
1年半に及ぶ闘病生活が過ぎた。
あるとき、友人に連れられていったライブを見れるBARに入ったことがきっかけでふっと心が軽くなる。
子供達の前では絶対涙を見せないと決め、毎晩子供達が寝た後にひとりで泣きながら死ぬことばかりを考えていたわたしにとって、それがどれだけ狭い世界でもがいていたか教えてくれたのは外の世界だった。ふわり心に何か柔らかいものが落ちてきた。
外出することで、少しずつ気持ちを切り替えられるようになった。銀座の有名クラブで働き出せるようになった頃には、なりたい自分を目指して仕事の合間を縫い、興味のあった心理学も学ぶようになっていた。