いろいろあって免許をなくしたタイミングで、東京に出た。金沢で車なしの営業なんて無理だから。
経験を活かして、人材系の法人営業の仕事で2ヶ月でリーダーになった。なってみたら、やり甲斐もなくなって。
そんな時、学生時代に始めた家庭教師の営業代行の仕事をくれていた会社が、東京に進出するとかいう話を聞いた。
昔の縁でそこを手伝うことに。昔の縁で仕事をもらうなんてコトが、僕にもあるのか。
もう何度目だろう、人材の会社は酒で失敗して辞めた。
後者の家庭教師の会社もちょっと傾きつつある、そんなころ。
2017年7月。それは突然だった。
家庭教師の会社の顧問の方の縁で知り合った社長さんが、うちの会社にいらした時にこう言った。
「一生涯、孫子(まごこ)の代までお付き合いできるツールは、マーケティング以外にないですよ」
金沢のあの人の言葉が重なる。
一生涯、孫子の代まで。
言葉は違うけど、要するに彼はそういうコトを僕に伝えようとしたんじゃないか。
「きちんとマーケティングをすれば、売れ続けるし感謝される。お客さんとずっと付き合っていける。
もし皆さんがまだ売り逃げ営業をしているなら、ぜひ一度、弊社の無料セミナーを受けに来てください」
行かなきゃいけないと思った。
「金を払って何かを学ぶなんて」「セミナーなんかに行ってる奴は……」
そんな抵抗感も持ちながら、なぜか、行かなきゃいけないと思った。
3日間の集中セミナー初日、頭では「なんで俺が」と思いながら、心はそわそわしていた。
抵抗感と、「ここに何かがある」という感覚と。
正しいのは後者だった。
初日の“戦略”の講義で言われたこの言葉が、僕の人生を見事に言い表していた。
「どの山に登るか決めない限り、どのルートで登るかも決められない。闇雲に行動するしかないですよね」
ああ……これだ。
視界が開けた。霧のなかをもがくような僕の人生に、初めて光が射した。
なんで、これまでこんなにブレブレだったのか。何をやっても上手く行かなかったのか。
記憶が飛ぶほど酒を飲んでしまうのか。
女の子に好かれても、稼いでも、満たされないままだったのか。
僕は、この人生で登る山を決めていなかったんだ。
その山を登るためのルートも決まらなければ、指針も持っていなかった。
軸というものが僕にはなかった。
軸がなければブレるのは当たり前、その場その場行き当たりばったり、手当たり次第行動するしかない。
だから、どんなに結果を出しても、逆に上手く行かない時にも、霧のなかで迷子になったような不安が拭えなかったんだ。
ずっと、ずっと、誰かに認められたくて。
小さいころに「こうでなくちゃいけない」と否定された、自分らしい自分。中学の時にみずから封じ込めた自分。
「なんで認めてくれないんだよ! 俺のままで認めてくれよ! 」
そんな叫びがまっすぐ表現できなかったせいで、そもそも自分がどんな人間なのかを見失ってしまった。
自己同一性の曖昧なまま、収入、肩書き、モテること……そうしたわかりやすい結果に走った。
誰かと知り合ってもその場限りとしか思えないから、心を開くとか本音で付き合うとかいったコトもできなくて。
心はずっとカラカラだった。
軸を、持とう。自分らしさを思い出して、この人生で登る山を決めて、登るためのコンパスを得よう。
そうすることで、僕はきっと変われる。
売り逃げ営業なんかじゃなくて、孫子の代まで堂々と付き合える営業が、仕事が、生き方が……きっとできる。
恥ずかしい限りの人生だった。振り返りたくなくて、すべてぶった切ってきた。
たまに振り返る時はネタにして笑い飛ばす。本当の意味で反省して活かしたことなんかなかったかもしれない。
でも、そんな未熟だった僕も僕。全部認めて、ここからやり直そう。
こんな僕が変われたなら、今後出会うどんなお客さんの力にもなれる。どんな人の希望にもなれる。
ここから、僕は本当に生きるんだ。子々孫々、未来永劫誇れる人生を。