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キッカケインタビュー

結婚式はすばらしい!カップルの選択肢を増やすために、私にできる事。

山崎奈々(やまさき なな)

フリーウェディングプランナー、「Prism Wedding」代表

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
フリーランスのウェディングプランナーです。結婚式を諦めた方にも、「予算がこんなに抑えられるなら」「こんな要望にも応えてもらえるなら」と、フリーランスの私だからこそ実現できる式をプロデュースします。

フリーランスのウェディングプランナーとして活躍する山崎奈々さん。普通の大学に通っていた山崎さんの進路を変えたのは、お姉さんの結婚式での感動体験でした。

キッカケ①:どこか人目が気になって。

私にはお姉ちゃんがふたりいる。医者をめざす上のお姉ちゃんは、長女だからだろうか、厳しく育てられていた。

上のお姉ちゃんが高校受験を迎えた。部屋を覗いた時に彼女が勉強していないと、お父さんは怒鳴る。

「またやってる……」

私への当たりはお姉ちゃんへのそれほどきつくないけれど、それでも家のなかはピリピリする。

大きな声が響くたびに思う。「ご近所さんに聞こえてるのかな……」

それ自体心地イイものではないけれど、周りから“そういう目”で見られることも嫌だった。


商社に勤めるお父さんは付き合いで飲むことが多くて、生活習慣も健康的ではない。

じきに肝臓を悪くした。入院治療して酒も煙草も止められたものの、やめられないストレス。それを受け止める家族。

家のなかはいつも張り詰めていた。



入退院を繰り返したお父さんは、私が中2の時にとうとう亡くなった。

通夜や葬儀で学校を欠席しながら、学級通信なんかで「秋川さんのお父さんが亡くなりました」と知れ渡っていることを思った。

私は学校にいない。でも、学校では私のことが話題になっている。

良い事で目立つのならともかく、こういう事で目立ちたくなかった。

葬儀明けに学校でテニス部の仲間に慰められたことで苛立って、口論したりもした。


荒れている面はあったものの、部活は楽しいし、仲の好い友達もいる。

そのなかのひとりは、お父さんにものすごく愛されていた。

たいていは母親の出席する保護者参観に、彼女のお父さんは有給を取ってやって来る。

試合なんかがあると、娘の分だけでなく私たち部員全員分の飲み物を用意してくれたり、写真を撮ったり。

「いいな、こんなお父さんがいて……」

働きに出るようになったお母さんに代わって、私は姉妹で家事を分担するようになっていた。

不自由なく愛されている彼女がうらやましかった。


上の姉は経済的な理由で大学進学を諦めた。2番目の姉は家出を繰り返すようになった。

私が高2の時、お母さんの再婚で苗字が山崎に変わった。家計は楽になり、お母さんは専業主婦に戻った。

私も大学に進めることに。大学受験の必要書類を「山崎奈々」で揃える時に、違和感が生まれた。

「“山崎奈々”……これが私なのか」「私は何者なんだろう」


大学に進学し、テニスサークルやキャンペーンガールのアルバイトに励んだ。

就活のことは早めに考えていて、2年次にはもうメーカーと商社に絞っていた。そんな矢先。


「奈々。お姉ちゃんね、結婚するって」



長年音信不通だった2番目の姉が妊娠し、結婚することになったという。相手は行きつけのバーの店長さん。

義兄になる男性がどんな人なのかまったく知らないまま、私は人生で初めて結婚式というものに出席することになったのだった。

キッカケ②:夢が生まれ、上書きされて。

センター南駅の出口の先には広場があり、子どもがキャッキャと走り回っていた。

電線はすべて地下に這わせてある。キレイに整えられた木々のほかに視界を遮るもののない、抜けるような青空。太陽が眩しい。

そのすぐ近くの結婚式場は、お城みたいな場所だった。

お庭も緑がキレイで、大階段があって、チャペルがあって、ステンドグラスは幻想的に透けていて……。


「夢みたい……!!!! 」


場所の非日常感に加えて、私自身、普段は袖を通すことのないステキなドレスを身に着けていた。髪もセットして。

おとぎ話か映画の世界に紛れ込んだみたい。ドキドキ、ワクワク。



そこに現れたお姉ちゃんは、もうお姫様みたいだった。はっきり言って、私の知っているお姉ちゃんじゃない。

早いうちからお母さんに心配を掛けてきたお姉ちゃん。数ヶ月前までその生死すらわからなかったのに。

そんな彼女が……真っ白なドレスに身を包んで、キラキラと微笑み、大勢の人に祝福されている。

お母さんへの手紙を読んで涙ぐんでいる。

集まっている人も、みんな笑顔。「おめでとう」と「ありがとう」の嵐。

どんな人かまったくわからなかった旦那さんも、参列しているお友達と交流するうちに人柄がわかってきて。


「なんてステキな空間なの……!!! 」



メーカーも商社も頭から消えた。私は、これを仕事にする。結婚式を作る仕事をする。

グレていた人でも大変だった人でも、どんな人でも祝福されて主役になれる、結婚式という場。

感謝と笑顔のあふれるこの空間を、私は作るんだ。



お姉ちゃんの挙式した結婚式場を持つ会社が第1志望。そのほかにもいくつかの会社の試験を受けた。

第2志望の会社の社長面接を受ける時のこと。せっかくなので、入るかもしれない会社の商品を知っておきたいと思った。

レストランウェディングのためのレストランを持っている会社なので、面接の前に大崎のそのお店でランチをした。

食事を終え、時間までどこかで時間を潰そうとしたその時。


「山崎さんですよね? このまま面談にしましょう」

席に案内してくださったお店の方が、そう言って私の正面に座ったのだ。

面談予定だった社長に急な予定が入り、総務であるその方が私の面接担当になったのだという。


面接らしい面接はほぼなかった。「あなたは採用するから、あとはお話しましょう」と言われ、すぐに仕事の話に。

その方は、もともとフリーのウェディングプランナーだったそうだ。

会社という枠に制限されないので、お客様の要望に寄り添い、

音響機材ひとつ抱えていろんな場所での式をプロデュースしてきたというのだ。

親御さんの入院する病院のロビーを式場にしたり、自宅で式をしたり、初デートした公園にテントを張って挙式したり……。


結婚したら結婚式をするものだと思っていた。そして、それはキラキラした結婚式場でするものだと思っていた。

親御さんのために場所が制限されたり、こうしたいという強い要望があったりするお客様に寄り添い、

会社の事情に縛られることなく選択肢を考え、それを実現する。

組織に属して働くよりお客様との距離が近く、責任も大きい分やり甲斐もありそう、何よりカッコいい。


「こんな働き方があるんだ……!!! 」



夢が上書きされた瞬間だった。

まずは、この会社に入って力を付けよう。この方の傍で学べる限りの事を学ぼう。

そして、いつかフリーのウェディングプランナーになる。

この方みたいにお客様に寄り添って、組織にいる人間にはできないような質と満足度の高い式をプロデュースするんだ。


どんな人でも主役になれる結婚式のプロデュースを、いつかフリーランスで。

決意を新たに、大学卒業後私はその会社に入社したのだった。

キッカケ③:怒涛の会社員時代、そして。

計画は想定外の方向に。専務の勤める大崎のレストランが閉鎖され、私は富山県に配属されたのだ。

それでも憧れの仕事、初めのうちは学ぶ事すべてが楽しかった。

が、じきに内情がわかってくる。経営が苦しいのだ。しばらくすると唯一の上司と同期が同時に辞めてしまった。


お客様のためにも自分のためにも、必死で学び、働いた。

さっぱりわからなかった経理もなんとかできるようになったし、本来サービススタッフのするような仕事も覚えた。

雪かきの腕も上がった。冬場は雪が1メートル以上積もるような場所なのだ。


給料の未納の続く派遣会社にスタッフを出してもらうために頭を下げたり、富山で出来た友人に当日手伝ってもらったり。

業者への未納が原因で式当日にパンを出してもらえなくなった時には、隣県のパン屋さんに高速を飛ばして届けてもらった。


そんなこんなで入社して1年ちょっと。とうとう会社が倒産し、私は神奈川の実家に戻ってきた。

がむしゃらにやってきたものの、もっときちんと学びたい。大きな、きちんとした会社で学びたい。

段ボールも片付けていないリビングのソファに腰掛け、先の事をあれこれ考える。

パソコンを開き、ふと閃いて、お姉ちゃんの結婚式を挙げた会社の名前を打ち込んだ。就活中は第1志望だった会社だ。

立派な、キレイなCGとともに、私の目に飛び込んできた文字、それは……


「みなとみらい店をオープンします」



ああ、次私ここに行くんだな。直感的にそう思ったら、すぐに採用された。前の会社での営業の成約率が買われたのだろう。

プランナーとしての就職を望んだものの、希望は通らず。まずは営業で成績を出してから、と受け止めた。


期待されていた営業成績は初月、私だけ悪かった。

「同じものを売って人が結果を出してるんだから、私のやり方がよくないんだろう」

間の取り方の上手い人からはそれを、笑うタイミングの絶妙な人からはそれを。人を観察し、盗めるものを盗みまくった。

2ヶ月くらいで成約率が伸び、その後落ちなくなった。じきに契約数は全国一に。成績を上げれば上げるほどほめられてうれしい。

自社で販売する指輪の契約数も、キャンセル料金を保証する保険の成約率もトップ。

3冠を取った時、ふと思った。「これ以上、この会社で何やるんだろう? 」


はたと気づいた。いつの間にか、数字を求める自分になっていたことに。数字をほめられて喜ぶ自分に。

お客様に寄り添って式を作るという初心は、いったい……。



この会社で契約を取ったお客様の式をひとつひとつ思い返してみた。

結婚式、一生に一度の大きなイベントだ。

「こんな事がしたい」「こんな演出をして……」要望を話される時の目の輝きを、契約を取った私はしっかり覚えている。

けれども、実際にそのお客様の式を覗いてみると、「こうしたい」とおっしゃった事がなされていないのだ。

担当プランナーに聞くと、食事をグレードアップして予算オーバーしたから当初の要望はカットしたのだという。


私は知っている。

料理や飲み物は利益率が高いので、利益の小さな要望を実現するより、飲食で利益を上げたい本心がプランナーにはあるのだ。

「お客様が納得してるなら、私の言うコトじゃないけど……」

本当にそれでいいのかな。少なくとも、この会社でプランナーになりたいとは思わなくなっていた。


前後して、働きすぎて突発性難聴になって休職したり、

それが原因なのか海外研修に派遣されるメンバーから急に外され、事前準備金も返せと言われたりした。

「いろいろ頑張って結果も出してきたけど、こういう対応なんだな……」


もうこの会社でする事はない。2016年8月、私はその会社を退職した。

自分を労わるつもりで22日間のハワイ旅行に。翌年春ごろの独立を見据えて準備するつもりで、ハワイでもいろいろ考えていた。

そんな矢先。友人から連絡をもらったのだ。

「友達が結婚式するんだけどプランナーが決まらないの。奈々、やってくれない? 」


聞けば、日程と会場と花屋さんだけ決まっていて、あとは何も決まっていないという。

逆に、日程と会場が決まっているということは、期限が決まっているということだ。


「起業準備どころじゃない! 」



11月の帰国後、その式のために奔走した。

フリーランスとしては何のコネクションもないなか、

カメラマン、ヘアメイク、衣装、司会、音響……あちこち当たって当日に間に合わせ、1月のその挙式を無事終えたのだった。


大仕事を終えてほっと一息。春の起業予定よりは早いけれど、このままフリーランスを名乗ることにした。

そんな私が次に手掛けることになったのは、中学時代の友人の結婚式だった。

キッカケ④:評価以上の宝物を胸に。

それは、お父さんを亡くした私が「愛されてていいな」とうらやんでいた、テニス部の仲間だった。

恋人との交際をお父さんに反対され、家出して彼の実家に居候していたという。

そんな生活も長かったので籍を入れることにしたものの、入籍後に報告されたお父さんは激怒。勘当されたのだ。


「披露宴とかしたいけど、日本でやるとお父さん呼ばなきゃいけないでしょ」

そう言う彼女に、私は絶対にしたほうがいいと熱弁した。

結婚式というのは、どんな人でも主役になれる場所。それまで表現できなかった感謝の伝えられる場所。

忘れかけていた縁さえ繋ぎ直せる、最高の機会なのだ。


新郎新婦との打ち合わせのほかに、彼らには内緒で新婦のご両親との打ち合わせもおこなった。

あんなに彼女を愛していたお父さん。年月を経てこじれていたとしても、その愛には変わりない。私はそう信じていた。

お笑い好きの娘夫婦のためにお笑い芸人を呼んでやりたい。お父さんの口からそんな言葉が出た時、私は机の下で拳を握った。



披露宴当日。

序盤ではお父さんに対して硬い表情を見せていた彼女が、そのお笑い芸人の余興のあと、お父さんと会話する姿が。

パーティが進み、結びの言葉として謝辞を述べる新郎が、言葉に詰まってしまった。

それに対して、新婦のお父さんが励ますように肩を叩く。新婦の穏やかな微笑み。

最後の最後、新婦のご両親からのビデオメッセージに、新婦は泣き崩れてしまった。


「サナエはいつまでも大切な娘。いつでも味方だからね」



号泣する友人を見守りながら、私も泣いていた。

全部、全部知っている。背景を全部知っているのだ。

中学時代のふたりの関係も、お父さんとの仲がこじれてしまった苦しさや怒り、悲しみも、全部全部知っているのだ。

その怒りや悲しみがあたたかい愛に包まれ、解け、涙とともに流れてゆく。あとに残るのは愛、感謝、祝福、希望……。


やりたいのは、こういう結婚式だ。

そつなく回すだけの式じゃない。会社の利益を上げるために誘導した、オーソドックスな式じゃない。

お客様の要望に応えながらも、踏み込むべきところではしっかり踏み込み、縁を繋いだり繋ぎ直したりする、そんな結婚式なんだ。



結婚する時は結婚式をするものだと思っていた。そして、それはキラキラした結婚式場でするものだと思っていた。

そんな私はこの業界に身を置き、いろんな事を知った。

通常イメージされるような挙式を、様々な事情で諦めるカップルがいること。

企業のプロデュースする結婚式には、人件費や広告費などで非常にお金が掛かること。

ウェディング業界の企業に勤める女性の多くが過労でいろいろな不調を体に抱えており、妊娠できなくなる人も珍しくないこと。

フリーランスのウェディングプランナーという働き方が増えれば、

お客様にとっても働く側にとっても、それまでになかった選択肢が生まれることになる。


あくまで統計上の話だけど、入籍するカップルの5割が結婚式を挙げず、結婚式を挙げないカップルの8割が経済的理由。

そして、入籍した5割のカップルが離婚をし、そのうちの8割は結婚式を挙げていない。

フリーランスのウェディングプランナーがお客様にしっかり寄り添い、適正価格の式をプロデュースすることで、

縁を繋ぎ直す結婚式、愛と感謝にあふれる結婚式を経験するカップルが増えたら。

本人にとってはもちろん、関わる家族にとっても、社会にとっても、すばらしい変化が起こせるだろう。

現状の離婚率や少子化の問題にも一石を投じることになるかもしれない。


もしかするとあなたも、いろいろな事情があって過去に挙式を諦めたり、

将来結婚はしても式を挙げるつもりはないと思ったりしているなかのひとりかもしれない。

そんな方にも、結婚式のすばらしさを知ってもらい、諦めなくても済む選択肢を提供したい。

誰もが主役になれる場所。縁を繋いだり繋ぎ直したりする場所。凝り固まった感情も、愛と感謝に解けてゆく場所。

そんな結婚式を、私は全力でプロデュースする。

これを読んでもし「いまからでもやりたいな」と思ったら、ぜひ私に相談してほしい。全力で後押しするから。



すごく人目を気にしていた私。

お姉ちゃんの式を見て、結婚式は“良い子じゃなくても祝福される場”だと思って、惹かれた面もあったのかもしれない。

そういう場を作る仕事を、とこの業界に飛び込み、数字から得られる評価に左右されて自分を見失った時期もある。

けれども、きっかけがそうだったとしても、この仕事の醍醐味はもっと深いところにあった。

どんな人でも主役になれる、どんな過去を持っていても縁を繋ぎ直し愛と感謝を表現し合うことができる、

そんな場をプロデュースするのが私の仕事。

人や会社からの評価なんかよりうんと尊い、感謝や感動という対価をエネルギーに、私はこの仕事に取り組んでいる。


そして、いまだからわかる。“良い子じゃなくても祝福される場”が結婚式の本質ではない。

キラキラ輝く愛、希望、祈り……どんな人でもその心の奥の奥に抱いている本当の輝きを思い出し表現する、それが結婚式。

良い子も、良い子じゃない子も、どんなふうに思われていた人もどんなふうに生きてきた人も、本当の美しさに立ち還る場なのだ。


だから惹かれたのだ、きっと。

人目を気にする私がそこに関わることで本当の自分を思い出せる気がして、無意識に惹かれたのだ、きっと。



とんでもないパワーを秘めた結婚式という選択肢を、多くの方に届けたい。これが、私のKeyPageです。

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掲載日:2018年09月07日(金)

鍵人No.0071

山崎奈々(やまさき なな)

1988年、ロンドン生まれ、神奈川県育ち。大学2年次の姉の結婚式をきっかけに、ウェディング業界に就職。2社で経験を積んだのち、2017年、フリーランスとして独立。フリーランスプランナーのチームを組んだり、大手結婚総合誌に対抗できるフリーランスの雑誌を発行したりすることも見据え、活動している。

HP: http://prismwedding.com

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