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キッカケインタビュー

たった1年で1,000人規模!? 朝活から始まった最高のクラシックブランド

加藤夏裕(かとう なつひろ)

『朝♪クラ~Asa-Kura~』代表

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
企業に勤めながら、クラシック音楽の普及・浸透を目的としてさまざまな活動を展開するブランド『朝クラ~Asa-Kura~』を主催。初めは都内のみで開催していたが、最近では全国へ展開エリアを拡大している。また、「Produced by 朝♪クラ」として様々な派生イベントの開催を支援している。所属企業でも、新規事業の立ち上げを担当し、「ゼロからイチを生み出す」チャレンジを続けている。

カフェでクラシック音楽を聴き、参加者同士で交流する朝活「朝♪クラ」を主催している加藤夏裕さん。その斬新なブランドを確立させたキッカケは、子供時代の体験と、たまたま参加した朝活での出会いだった。

キッカケ①:現在の活動のキッカケを形作った子供時代

家系がクラシック音楽と深く関わりがあり、生まれた時から独り立ちするまで、音楽が聞こえない日はなかったという環境で育ちました。クラシック音楽と僕は、切っても切り離せない関係にあります。
僕は、クラシック音楽そのものはもちろん、クラシック音楽の持つ「世界観」が好きなんです。例えば、関わっている人たちの属性。おしゃれで優雅で、落ち着いた方が多くて。それと、コンサートホールのあの独特な雰囲気。音だけじゃない、周りを取り巻くその「世界観」が好きだなと、漠然と思っていました。


それと、父がいわゆる転勤族だったので、住む場所がコロコロと変わりました。東京都青梅市で生まれましたが、住んでいたのは2歳の頃まで。その後、甲府市、稲毛市と移り住んでいき、船橋市には少し長く住んでいました。
幼稚園を3園、小学校を2校という、普通の人が経験できないような環境の変化。めまぐるしく環境が変わる中で、僕は幼少期のうちに環境適応力をかなり高められたのかもしれません。人が嫌いでなくなって、新しい友達が増えることに喜びを感じました。


もし、幼稚園1園、小学校1校というごく一般的な生活を送っていたら、敷かれたレールの中で、既存の友達とずっと付き合いがあって、新しい環境に踏み込むってことがなかなかできなかったのではないかと思います。
新しいことをすることがすごく好きな僕ですが、きっとその原点は、2歳の頃から経験してきた環境の変化でしょう。間違いなく、今の僕の価値観、僕自身を形作っているものです。


小学校時代、僕はとてもアクティブで、周りの子と比べて少し変わっていました。とにかく体を動かすことが好きで、授業の合間の10分間の休み時間でさえ5階から外まで遊びに行き、授業が始まるまで遊んでいました。「校庭で遊んでいる人、すぐに戻りなさい」と放送で呼び出されてしぶしぶ戻るなんてことも日常でした。
それと、トレンドに乗ることがなぜかあまり好きではなくて、週刊のマンガ雑誌は買ったことが無く、スラムダンクも知らなければ幽遊白書も知らなかったです。今こうして振り返ってみると、たくさんの環境の変化を経験する中で、ほかの人とは違う考え方を持つようになったのかもしれません。「ぼくはぼくなりの道を」と。


小中学生の頃の将来の夢は、スポーツ選手だとか、パイロットだとか、自分自身が世の中に出て行くようなことばかりでした。でも、高校生くらいになって将来のことを漠然と考えた時に、いつのまにか考え方がだいぶ変わっていて、自分の考え方を世の中に出したい、自分が作ったものを世の中に出したい、何かに魂を吹き込んだものを世の中に出して、世の中を変えたい、と思うようになりました。
自分のアイデアを世の中に発信していきたいと思うようになり、その夢は今も続いています。


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キッカケ②:自分を発信するキッカケを探して。出版・広告業界での経験

勉強自体は数字で明確な答えの出る理数系が好きだったので、大学では理系に進みましたが、就職先は出版業界を選びました。自分の考えを世の中に発信するにはどんな方法があるか。自分の書籍や雑誌を出したり、Webページを作ったりしてみたいけれど、どうすればいいのか。
そのノウハウを学ぶべく、父方の家系がサラリーマンだった影響も受けて、まずは出版業界に就職することにしました。


とある大手の出版会社に入った僕は、フリーペーパーの流通部門に配属されました。その会社は大手企業にも関わらず自由闊達な雰囲気で、「おまえが正しいと思ったことをやれ」と、社員一人一人の裁量に任せていました。だから僕は、いろんな業界へ飛び込み営業をかけ、自分が正しいと思うことを信じて自由に仕事をしていきました。既存のお客さんも持っていましたが、新しいものを立ち上げたいという想いが強かったので、新規開拓には人一倍力を入れました。

例えば、今までフリーペーパーを設置したことの無いショッピングモール。既存のラックを設置してしまうと、顧客側のブランドイメージが壊れてしまう。そんな時は、顧客のブランドイメージに合うようなラックの開発から手がけました。在職中、関わってない業界は無いんじゃないかというくらい、僕はいろんな業界のいろんな人に会いました。名刺は大きな名刺収納3箱分がいっぱいになりました。

やりがいのある仕事、手を上げれば自由にやらせてもらえる環境。会社の仕事はとても楽しい。でもその一方で、自分が本当にやりたいことである、「自分の考えの表現」はまだやれていないな、と感じていました。


そこで僕は、広告業界に興味を持ちました。自分で広告表現をしてみたいと思ったんです。
転職活動をし、僕は大手の広告会社で働くことになりました。広告マンとして過ごす毎日は、噂に聞いていた通りの忙しさでした。日々激務に追われ、勉強することはたくさんあり、組織内での序列もはっきりとしていて。配属されたチームが社内でNo.1~2を争う超大型顧客を担当していたので、チームの雰囲気が厳しかったというのはあるのかもしれません。



ただ、僕は前職との大きすぎるギャップを感じざるを得ませんでした。
前職では自由に、いわば「放し飼い」のように扱ってもらえていて、自分の信じる通りに自由に行動を起こすことが出来ました。けれど新しい職場が求めてきたことは、同じチームに所属する50人がとにかく足並みを揃える事でした。全員の意志や行動の統一が何より重要で、そのリズムを乱すようなことは決して許されない。乱してしまった際には強く非難されてしまう。「自分」を出すことが非常にネガティブに捉えられていた環境下で、僕は前職の時と比べて10%も力を出せていないんじゃないか、と日々不満が募っていきました。
結局、抑え込まれていた感情、つまりもっと自由に自分を発信したいという欲求が爆発しそうになった僕は、激務で心身がだいぶやられていたこともあり、わずか1年弱で退職することになりました。


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キッカケ③:朝活に魅了されたキッカケ

日本には根強いブランド志向があります。例えば、同じコーヒー屋さんでも、クオリティは大差ないとしても、やっぱりどうしてもスターバックスを選んでしまう。時計も、オメガとロレックスがあって、同じ値段で同じクオリティのものだったら、おそらく多くの人がロレックスを選ぶ、といったように。日本では最終的にブランドの強いものが勝つ。そういう傾向を、社会人になってから強く感じるようになりました。
だからこそ自分独自の「ブランド」を作り上げて、それを確立させたいという想いがありましたが、広告会社を退職した時にはそれがまだまだ漠然としていました。


一回抑え込まれた、自分の考えを発信したいという気持ちをどう表現していこうか考えていて、今勤めている会社に出会いました。将来は独立を考えているんですけど、いいですか?と面接で正直に言うと、信じられないことに承認してもらえて、入社することを決めました。
ただ、自分の考えをどうやって世の中に発信するかということについては、その時点でもまだはっきりとしたものが見えていませんでした。ひたすら、模索していました。


自分のアイデアや考え方をどう発信してくかと模索する旅路は、この時くらいから新たなフェーズへと入っていったのです。既存のものを振り返るよりも新しいものを模索することが好きな僕は、日々ひたすらいろんな人たちに会いました。過去の人脈をもう一度掘り下げて話を聞いただけでなく、新たな世界に飛び込んで、いろんな人と交流しました。異業種交流会に行ったり、外国人が参加する会に行ってみたり。
行ってないところはないんじゃないかというくらい、いろんなところに顔を出しました。その一つが、朝活でした。2012年くらい、広告会社を辞めて直後くらいの頃でした。激務の仕事を離れ、朝の時間を有意義に使えるようになったんです。


ちょうど当時は朝活全盛期で、雑誌などでもよく取り上げられていました。僕はいろんな出会いがあった中で、朝活の出会いは非常に好きでした。夜の出会いには、欲望が隠れていたり、お酒が入っていて本心で語っていない人もいたりして。一方で朝活は、純粋で非常に意識の高い人が集まっていると感じられて。計算や打算のない素直な気持ちで、すがすがしいカフェとかで、語り合うことができる。僕は、朝活って本当に素敵だなと心から思いました。最初はいち参加者だったのですが、何回か参加する中で、自分が朝活を主催するキッカケとなったある女性との出会いがありました。


その女性は、僕と同じようにクラシック音楽の持つ全体的な雰囲気、「世界観」が好きで、つまりは僕と同じような感覚を持っている人でした。たまたま同い年だったのもあり、僕たちは意気投合しました。僕も彼女も、朝活をやってみたいという想いが心の中にあったので、じゃあクラシックを聴ける朝活をやろう!と決めました。2013年頃、僕が朝活に行くようになってわずか1年ばかりでの出来事でした。


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キッカケ④:クラシック音楽の聴ける朝活『朝クラ』が始まったキッカケ

僕とその女性は、共通項がありました。それは、クラシック音楽は好きだけれども、単なるいちファンであるということ。音大を出ているわけでもなければ音楽家でもない。音楽に関してのスキルや知識、経験は何もなく、業界のことも知らなければ人脈やコネがあるわけでもない、でも、新しい分野への挑戦が昔から好きだった僕は、胸を高鳴らせていました。子供の頃から好きなクラシック音楽を使って、最近出会って好きになった朝活を開催する。この心躍る感覚を、おそらくその女性も感じていたと思います。僕たち2人には、自分たちの理想の朝活を作るという強い意志がありました。
そして、途中で僕たち2人に共感してくれる人も現れ、3人体制で朝活の立ち上げをスタートさせました。


まずは会場選び。伝手もコネも何もなかったので、それだけで2か月ほどの時間を費やしました。
ネットで見当をつけて、手分けしてひたすら現地に出向いてお店と交渉していきました。僕たちは「優雅な空間を作る」ということに非常に強いこだわりを持っていたので、その世界観が伝わらなければ開催する意味がないとさえ思っていました。そして、私たち3人全員が、お客さんにどれだけ喜んでもらえるかが最も重要だという、非常にホスピタリティの高い考え方を持っていました。


会場が決まると、今度は演奏家を探しました。人脈が無かったので、初めは他の演奏会に飛び込みで行き、話だけでもさせてくれとアポを取りました。そして我々の考え方に共感してくれた人だけに出演を依頼しました。


集客も、ようやくイベントページを立ち上げて、演奏家との交渉と並行してやり始めました。許可も取らずに、音楽会の会場の外でビラを配ったりしました。既存のファンよりも、これから「クラシックっていいね」と思ってくれる人を育て、増やしたい。僕たちはそう強く思っていたので、敢えて初心者向けのコンサートに出向きました。こうやって地道に、第一回『朝♪クラ』の参加者を集めていきました。


そして迎えたイベント当日。
前の晩はあまり眠れませんでした。というのも、配布するプログラムの準備をしたり、準備が漏れていることはないか確認したりと、あらゆるシミュレーションをしていたからです。


そこには、僕たちが理想とした世界観が再現されていました。
青山にある新しくてオシャレで、窓から清々しい朝の日差しが差し込む、優雅なカフェ。初回にもかかわらず、40人のお客さんが集まりました。プログラムを手にしたその観客たちに囲まれて、楽器が静かに、優雅に、音を奏で始めました。


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この日を皮切りに朝♪クラは瞬く間に大きくなり、やがて朝活という枠を超え、そのブランドから数々派生する新たなプロダクトを作り出しました…


朝♪クラというブランドを通して、クラシック音楽の素晴らしい世界を世の中に広げていくために。


これが僕のKey Page…


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掲載日:2016年11月23日(水)

鍵人No.0011

加藤夏裕(かとう なつひろ)

大学卒業後、リクルートに入社。マーケティング局にて、フリーペーパーの流通を担当。
その後大手の広告会社に就職するも、社風とのミスマッチや激務による心身へのダメージから1年弱ほどで退職し、現在勤めている会社へ転職する。一方で広告会社退職後、2013年にとある朝活で出会ったメンバーと共に、クラシック音楽の生演奏を聴くという今までになかった朝活を立ち上げる。

「朝♪クラ~Asa-Kura~」公式WEBページ
http://asa-kura.com/
「朝♪クラ~Asa-Kura~」Facebookアカウント
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「朝♪クラ~Asa-Kura~」YouTubeアカウント
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「加藤 夏裕」Facebookアーティストアカウント
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