加藤夏裕 Episode1:現在の活動のキッカケを形作った子供時代 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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家系がクラシック音楽と深く関わりがあり、生まれた時から独り立ちするまで、音楽が聞こえない日はなかったという環境で育ちました。クラシック音楽と僕は、切っても切り離せない関係にあります。
僕は、クラシック音楽そのものはもちろん、クラシック音楽の持つ「世界観」が好きなんです。例えば、関わっている人たちの属性。おしゃれで優雅で、落ち着いた方が多くて。それと、コンサートホールのあの独特な雰囲気。音だけじゃない、周りを取り巻くその「世界観」が好きだなと、漠然と思っていました。

それと、父がいわゆる転勤族だったので、住む場所がコロコロと変わりました。東京都青梅市で生まれましたが、住んでいたのは2歳の頃まで。その後、甲府市、稲毛市と移り住んでいき、船橋市には少し長く住んでいました。
幼稚園を3園、小学校を2校という、普通の人が経験できないような環境の変化。めまぐるしく環境が変わる中で、僕は幼少期のうちに環境適応力をかなり高められたのかもしれません。人が嫌いでなくなって、新しい友達が増えることに喜びを感じました。

もし、幼稚園1園、小学校1校というごく一般的な生活を送っていたら、敷かれたレールの中で、既存の友達とずっと付き合いがあって、新しい環境に踏み込むってことがなかなかできなかったのではないかと思います。
新しいことをすることがすごく好きな僕ですが、きっとその原点は、2歳の頃から経験してきた環境の変化でしょう。間違いなく、今の僕の価値観、僕自身を形作っているものです。

小学校時代、僕はとてもアクティブで、周りの子と比べて少し変わっていました。とにかく体を動かすことが好きで、授業の合間の10分間の休み時間でさえ5階から外まで遊びに行き、授業が始まるまで遊んでいました。「校庭で遊んでいる人、すぐに戻りなさい」と放送で呼び出されてしぶしぶ戻るなんてことも日常でした。
それと、トレンドに乗ることがなぜかあまり好きではなくて、週刊のマンガ雑誌は買ったことが無く、スラムダンクも知らなければ幽遊白書も知らなかったです。今こうして振り返ってみると、たくさんの環境の変化を経験する中で、ほかの人とは違う考え方を持つようになったのかもしれません。「ぼくはぼくなりの道を」と。

小中学生の頃の将来の夢は、スポーツ選手だとか、パイロットだとか、自分自身が世の中に出て行くようなことばかりでした。でも、高校生くらいになって将来のことを漠然と考えた時に、いつのまにか考え方がだいぶ変わっていて、自分の考え方を世の中に出したい、自分が作ったものを世の中に出したい、何かに魂を吹き込んだものを世の中に出して、世の中を変えたい、と思うようになりました。
自分のアイデアを世の中に発信していきたいと思うようになり、その夢は今も続いています。

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掲載日:2016年11月23日(水)

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『朝♪クラ~Asa-Kura~』代表

加藤夏裕(かとう なつひろ)

カフェでクラシック音楽を聴き、参加者同士で交流する朝活「朝♪クラ」を主催している加藤夏裕さん。その斬新なブランドを確立させたキッカケは、子供時代の体験と、たまたま参加した朝活での出会いだった。

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