それからというもの、毎日その人に会いに行きました。
「紹介したい人がいるから会ってこい。」そう言われたら、どんなに遠くても会いに行きました。納得できないことでもとりあえずやりました。その人が持っているペンをマネて買ってみたり、話し方や歩き方も全てマネしました。とにかく出来ることは全てやりたかった。
交通費や交際費でお金が尽き、一日一食の生活がずっと続き、それを補う為にバイトを4つ掛け持ちして、殆ど寝ることもできなくて過労で何度も倒れました。毎日100km以上運転していた車は故障して動かなくなりました。疲れ果て、駐車場から家までのたった10mの帰り道の途中で寝てしまったこともありました。
辛くて、辛くて…それでも僕は変わりたかった。
「ここで逃げたら、もう二度と僕は変われない。」その思いだけがただただ僕を動かし続けたのです。
そして、その人との出会いから3年…手に入れたものがありました。
それは、どんな時でも『人に感謝し、人を信じ、自分が変わり続けること』の大切さです。そんな僕の姿を見てなのか、ある日母からこう言われました。
「母さんの子供に生まれてくれて…ありがとう。」
ずっと僕は母を責めてきました。こんなにも苦しいのは、こんな身体に生んだ母のせいだと思っていました。そう思わなければ、僕は誰にも自分の感情をぶつけることができなかったからです。 そんな母からのこの言葉の重さが、今の僕には痛いほどわかりました。
涙が…止まりませんでした。
自分の現在地が分かる。そして目指すべき先もわかる。僕はもう、昔の僕じゃありません。その人から言われ実行してきたこと、そして今この瞬間の母からの言葉、これまでの全てに意味があり、自分が病気に生まれたことにさえ感謝することが出来ました。
「俺の方なんだ…俺、母さんの子供に生まれて良かった…ありがとう。」
だからこそ、そう真っ直ぐ伝えることができました。「もう大丈夫。」僕はこの瞬間、精神病を克服することができました。
『自分が変わらなければ周りは変わらない』 そうまでしてこの理を教えてくれたその人に、どうしても僕は恩返しがしたくてたまりませんでした。「僕があなたにできる事はなんですか?」 その問いに対してその人が僕に言った言葉が忘れられません。
「その感謝は…次に渡せばいい。今度はお前が誰かを助ける番だろ?」
目の前に広がる空はとても澄んでいました。まるで僕の心を映すかのように晴れ渡った空でした。
誰もが“自分に起こること”に全て決まった意味があると思っている。でも本当の意味なんてない。その意味は、自分で自由に創作することができる。病気で生まれたことを呪うことも、病気で生まれたことに感謝することも。自分の在り方なんだ。僕はもう、どんなことでもできる自分を創り出せる、そんな可能性の中に身を置いている。
新たな自分を武器に、初めて僕は自信をもって誰かの為に自分の人生を使うことができる。今度は僕が、沢山の人にキッカケを渡すために。人と人をつなぎ合わせ、本当になりたい自分になっていける。そんな場所を創り続ける人で在りたい。
人との出会いから可能性を掴んだ、これが僕のKey Page…
掲載日:2018年10月06日(土)
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株式会社オモロー 代表取締役
寺島裕人(てらしま やすと)
沢山の仲間に囲まれながら、誰かの「やってみたい事」を実現させる活動を行う寺島裕人さん。生まれつきの重病と、精神病の狭間で見た人の闇。「人」との出会いを通じ学んだ「変わり続けること」の真意 とは...