寺島裕人 Episode1:日本に3000人しかいない重病と精神病と闘う日々 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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1985年10月24日大阪で僕は生まれました。
体重2420gの低体重児で、とても危険な状態でした。1週間以上も保育器に入り、なんとか一命を取り留めた後も、普通の赤ん坊よりも体が弱く、何度も死にかけました。
母は毎日のように僕を病院に連れて行きました。家から病院までは大きな坂道が続き、母は汗だくになりながら必死に自転車で通っていました。僕も母も毎日が必死でした…

そんな僕が3歳になった時、医者から突然宣告された病気。

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『先天性下垂体性小人症(せんてんせいかすいたいせいしょうじんしょう)』

成長ホルモンの生成がうまくできず、一定以上身長が伸びなくなる病気。当時ここまで重度な状態は、日本には3000人程度しかいなかったそうです。僕は将来130cmで身長が止まると告げられました。


僕は正直、頭が良かった。生後6ヶ月でしゃべり始め、2歳の時には字も書けて、テレビゲームもできたし、プラモデルもよく作っていました。幼稚園の頃には、掛け算も割り算もできました。だからこそ、自分の人生はこれから必ず辛く苦しくなるだろうと…自分の置かれていることの重大さに、僕は幼いながらも気付いていました。

小学生になって、周りの子供たちと自分を比べると、やはり自分だけ極端に小さかった。それでも、僕は他の子に負けないくらい頑張りました。勉強も、スポーツも…とにかく負けたくなくて、身体が小さいから、それだけでバカにされたくなくて…

それでも学年が上がるにつれて、無情にも僕と周りの子の身体の大きさは、どんどん開いていきました。
 「みんなと違うから。」僕はそれだけでイジメられました。今まで仲良くしてくれていた友達でさえ、僕を無視するようになりました。信頼できるはずの先生でさえ、僕の話には耳を傾けようとはしませんでした。

 

「僕だって好きでこんな身体になったわけじゃない!!!」

 

本当は思いっきり叫びたい。
でも、それを叫んでも僕の身体が治るわけじゃない。だからいつも心の中で泣くことしか出来ませんでした。どうすることもできない感情をただ隠すことしか…

掲載日:2018年10月07日(日)

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株式会社オモロー 代表取締役

寺島裕人(てらしま やすと)

沢山の仲間に囲まれながら、誰かの「やってみたい事」を実現させる活動を行う寺島裕人さん。生まれつきの重病と、精神病の狭間で見た人の闇。「人」との出会いを通じ学んだ「変わり続けること」の真意 とは...

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