母は闘病の末に39歳の若さで亡くなり、二人の弟を養っていくために働く日々。
そんな中で弟は母親にぶつけられなかった反抗期を私にぶつけはじめ、殴られるようになった。
「やめて!!」
父親から受けていた虐待がフラッシュバックした。
意識を失い、目が覚めた時、私は精神科の閉鎖病棟にいた。
「ここはどこ?」
質問してもまともに答えが返ってくることはなく、私にくだった診断は『解離性障害』いわゆる多重人格だった。
父の虐待から身を守るために自分の中に無意識に別の人格を作っていた。
それによって私が意識の無いところで自殺未遂を起こしたりもしていた。
入院してからも度々意識が飛び、暴れて、鎮静剤を打たれて、寝る。
そんな日々が続いた。
「私はいつここから出れるんだろう…」
そう思って数ヶ月がたったころTVでフィギュアスケートをみて、
「踊りたい!」そう思った。
久々に思い出した感覚だった。
その日から毎日病院の廊下で踊って、時には患者さんや看護師さんたちがお客さんになってくれることもあった。
楽しいっていう感情はとっくになくなったものだと思っていたけど、踊っていればどんなことも忘れられる。
「楽しい!」
隔離病棟にいれられて初めて『生きている』と感じられた。
そこから意識が飛んだり、暴れたりすることがどんどん減っていった。
掲載日:2017年05月10日(水)
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ダンスカンパニーUzme団長
ダンサー・振付師
大瀧冬佳(おおたき ふゆか)
ダンスカンパニーUzmeの団長として様々な舞台で活躍する大瀧冬佳さん。様々な苦難の中でも、決して見失うことのなかったダンスという一筋の光。「踊るために生きていたい。」彼女を支え、突き動かした唯一無二の生きる意味が、今度は誰かの光になるように。