毛利大介 Episode3:人とのつながりで仕事は成功、国家独唱までの歩み | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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二万人の観衆が、ぼくを見つめている。

心臓が高鳴る。

まさか、こんな機会があるとは、思わなかった。

「よかったら、おれらの活動に来ない?」

シンガーソングライターとして活動を始めた頃、持ち曲を一つだけ作ってライブハウスで歌っていた。そんなときに、ギタリストの友人から声をかけられたのだ。

彼はメイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンの仙台支部の関係者で、団体のテーマソングを書いてくれないかと依頼を受けたのだ。そこでできたのがぼくのファーストシングルである「wish」だ。ギャラは出なかったが、ここから仕事の幅が広がった。

その後、県内の女子合唱団とコラボする機会があり、自分の歌をたくさんの人に歌ってもらえることになった。しかも、その合唱団の指導者の方が、こんなふうに声をかけてくれた。

「毛利くん、プロ野球の国家独唱やらない?」

「やります!」

即答していた。

楽天対中日戦の国家を独唱することになった。2万人の観衆の前で、ぼくが歌ったのだ。このとき、シンガーになってまだ2年くらいだ。これも全て人との縁でつながってできたことだ。ぼくは相川さんの言葉を思い出した。

「どんなに才能がなくても、死ぬほど努力して死ぬほど工夫すれば、日本で5本の指くらいにはなれる」

彼の言う通りだった。シンガーになると決めてから、手探りでも必死で努力をしてきたからこそ、こんなチャンスをもらえたのだ。

このことを相川さんに報告したい。そう思ったとき、ぼくの電話が鳴った。勤めていた塾の校長からだった。

「相川さんが、急逝しました」

急逝……?それって、どういう意味だ?

突然のこと過ぎて、意味がわからなかった。急逝という言葉を辞書で調べたくらいだ。3日前に飲んでたのに……。ライブハウスをいっぱいにしたぼくのライブを見せたかった……。

相川さんに感謝を伝えられないまま亡くなってしまった。それが今でも心残りだ。

でも、彼の気持ちはぼくのなかで生きている。これからもぼくは、ひたすら努力し続けていくんだ。

掲載日:2019年04月19日(金)

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ボイトレスクール Voice Crew 校長

毛利大介(もうり だいすけ)

ボイストレーナーとして多くの人に希望を与えている毛利大介さん。彼を変えたキッカケは、恩師の死と、教え子の言葉でした。

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