二万人の観衆が、ぼくを見つめている。
心臓が高鳴る。
まさか、こんな機会があるとは、思わなかった。
「よかったら、おれらの活動に来ない?」
シンガーソングライターとして活動を始めた頃、持ち曲を一つだけ作ってライブハウスで歌っていた。そんなときに、ギタリストの友人から声をかけられたのだ。
彼はメイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンの仙台支部の関係者で、団体のテーマソングを書いてくれないかと依頼を受けたのだ。そこでできたのがぼくのファーストシングルである「wish」だ。ギャラは出なかったが、ここから仕事の幅が広がった。
その後、県内の女子合唱団とコラボする機会があり、自分の歌をたくさんの人に歌ってもらえることになった。しかも、その合唱団の指導者の方が、こんなふうに声をかけてくれた。
「毛利くん、プロ野球の国家独唱やらない?」
「やります!」
即答していた。
楽天対中日戦の国家を独唱することになった。2万人の観衆の前で、ぼくが歌ったのだ。このとき、シンガーになってまだ2年くらいだ。これも全て人との縁でつながってできたことだ。ぼくは相川さんの言葉を思い出した。
「どんなに才能がなくても、死ぬほど努力して死ぬほど工夫すれば、日本で5本の指くらいにはなれる」
彼の言う通りだった。シンガーになると決めてから、手探りでも必死で努力をしてきたからこそ、こんなチャンスをもらえたのだ。
このことを相川さんに報告したい。そう思ったとき、ぼくの電話が鳴った。勤めていた塾の校長からだった。
「相川さんが、急逝しました」
急逝……?それって、どういう意味だ?
突然のこと過ぎて、意味がわからなかった。急逝という言葉を辞書で調べたくらいだ。3日前に飲んでたのに……。ライブハウスをいっぱいにしたぼくのライブを見せたかった……。
相川さんに感謝を伝えられないまま亡くなってしまった。それが今でも心残りだ。
でも、彼の気持ちはぼくのなかで生きている。これからもぼくは、ひたすら努力し続けていくんだ。