毛利大介 Episode1:骨の病気でスポーツができない体に、それをきっかけに音楽に出会う | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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ボキッ!!

ぼくのふとももから、そんな音がした。今までは聞いたことがないような音だ。立ち上がれなくなり、すぐに病院に運ばれた。

あれは中学2年の春休み。ぼくは、二度とスポーツができない体になってしまった。

当時はスラムダンクが流行っていて、それに憧れたぼくは毎週末に体育館でバスケットをしていた。ちなみに、部活は水泳部だった笑

その日は女子生徒も一緒にプレーしていて、かっこつけたいと思った。流川みたいにかっこいい技を決めようと思ってジャンプしたら、着地したときに左足から聞いたことがないような音がしたのだ。

病院での診断は「良性骨腫瘍」。医師からは、二度とスポーツができないと言われた。診察室に、ぼくの泣き声が響いた。

ぼくはチームプレーが好きだった。スポーツに打ち込んでいたのも、みんなで協力するのが好きだったからだ。それが、もうできない……。眼の前が真っ暗になった。

それからの日々は、希望を失って生きていた。

そんなある日、中学の校歌を歌う機会があった。ぼくの中学は校歌が20分以上もあって、男子ソロ、女子ソロという役割があったくらいだ。ぼくは男子ソロで2位だった。

ぼくは昔から器用貧乏で、なにをやっても70点だった。足の速さはクラスで4位とかで、勉強でも抜きん出ることはできなかった。音楽でもそれは同じで、合唱でも2位が限界だった。

高校に入ったあと、男子ソロで1位だった友人が合唱部に誘ってくれた。

「お前だから歌いたい」

彼はそう言ってくれた。足の骨折のせいでスポーツができなかったぼくは、迷うことなく入部した。合唱に打ち込む日々が始まった。

現在ぼくがボイストレーナーをやっているのも、あのとき彼が誘ってくれたことがきっかけだ。

足の骨折はつらい思い出だけど、器用貧乏だったぼくが音楽という打ち込めるものに出会えたのは、骨折がきっかけだったのだ。少しきついきっかけだが、神様がぼくにチャンスをくれたということなのかもしれない。

ぼくが音楽に興味を持ったきっかけは、もうひとつある。

ぼくの父親は教師だった。彼が務めていた学校は荒れていて、文化祭の度に校舎のガラスが割れていた。見かねた父は、不良グループを集めてこう言った。

「おいお前ら、バンド組むぞ」

不良が持っているエネルギーを、音楽にぶつけようとしたのだ。役割を決めて、猛練習をした。文化祭の本番では、うまいやつを2人残してあとのメンバーのコードを抜いたほどうるさかった。しかし、その年の文化祭ではガラスは一枚も割れなかった。

こんなふうに、父はみんなの中心でいた。ぼくは父を尊敬していて、彼のようになりたいと思っていた。父が音楽を通してみんなを巻き込んでいったように、ぼくもボイストレーナーとして誰かに自信を与えたい。

掲載日:2019年04月19日(金)

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ボイトレスクール Voice Crew 校長

毛利大介(もうり だいすけ)

ボイストレーナーとして多くの人に希望を与えている毛利大介さん。彼を変えたキッカケは、恩師の死と、教え子の言葉でした。

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