藤澤恵太 Episode2:笑いが自分を救ってくれた。でも、笑いじゃ1番にはなれなかった。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

» 藤澤恵太 Episode2:笑いが自分を救ってくれた。でも、笑いじゃ1番にはなれなかった。

両親は、だんだん僕に何も言わなくなっていった。しかし、影でどうにかしようとしてくれていた。
ある日、家に市議会議員のおっさんがやってきた。両親が呼んできたのだ。
通信制高校の高校に年7回行けば、高卒認定が取れるとおっさんは言った。
「年7回なら行けるかも……」
そう思い、僕は、通信制高校に通い、無事、高卒認定資格をとった。
「これで『高卒』になれる!」
……僕は大きな勘違いをしていた。高卒認定は「大学受験を受ける権利」であって、取ったからって高卒扱いにはならないのだ。
かくして、僕はやる気のなかった大学受験を始めることになった。

僕が目指したのは、関西大学。
不良ばかりの中学校を出て、進学校を2カ月でやめた僕は、勉強なんてろくにしたことがなかった。だからこそ、ひたすら努力した。「死んでいた」1年の反動で猛勉強した。
週3で予備校に行き、家ではずっと勉強。毎日10時間勉強。関大の赤本だけを20年分ひたすら解いた。関大に受かるためだけの勉強を、1年間ひたすら続けた。

受験勉強を通して、僕は努力のしかたを学んだ。目標を持って、そこにたどり着くため、どれくらいのスケジュールでどれくらい頑張ればいいのか。それを考えて実行する力が身に着いた。

勉強漬けの進学校をドロップアウトした僕がここまでするのにはわけがある。
今の僕は、全然おもしろくない。このままじゃ芸人になんかなれない。
「しっかり学を身につければ、それを笑いに活かせる。」
そう思った。
僕は、芸人になるため、笑いを学ぶために大学を目指したのだった。
「高学歴芸人って、かっこいいよな」そんな下心もあった。関西大学出身の芸人は多かった。
笑いとつながる。そう考えたとき、ようやく勉強することの意義を見出すことができた。
勉強して、おもしろくなって、もう一度社会とつながれると思った。

そうして僕は、関西大学社会学部マス・コミュニケーション学科に合格した。

関大に入った僕は、落語研究会に入部した。
落語はめちゃくちゃおもしろかった。
落語は一人でやるものだ。だから、自分が取った笑いは、全部自分のもの。それはみんなも同じ。「自分が一番おもしろくなる!」みんながそんな気持ちをもって切磋琢磨し合う。そんな場所だった。
色んな役を演じているうちに、感受性がどんどん研ぎ澄まされていった。
関大に入ったのは正解だったと思った。
寄席でウケたり、皆におもろいと言われているうちに、「ここにいていいんだ」と思えるようになってきた。ちょっと前まで家に引きこもっていた僕は、落研の47代部長になっていた。
1年に1度行われる大きな寄席。200人以上が観に来る大舞台だ。リハーサルのとき、僕は途中でネタが飛んだり、周りに「おもろない!」と言われたりして中々うまくいかなかった。
それでも本番では誰よりもウケた。

自分がヒーローになった気分だった。
僕の力でたくさんの人が笑っている。
そのときの感覚は、今までウケを取ったときとは違った。
それまでは「自分が認められて嬉しい」という気持ちだった。
でも、そのときは、「みんなと幸せを共有している」そんな気持ちになれた。
受け手と送り手が1つになって笑う。おもしろいって、こういうことなんだと思った。
寄席をきっかけに、僕の対人恐怖症はいつの間に治っていた。

僕は落研の仲間たちと落語の全国巡業の旅に出た。
「ここで落語するから一晩泊めてください」
と頼んで、旅館で落語をさせてもらった。泊めてもらう代わりにパフォーマンスをするから、ギャラは頼まなかった。それでも旅館の人から2,3万もらったり、寿司をおごってもらったりした。経験値を積むための全国巡業だったけど、これで食っていけるかも、と思った。色んなところを周っているうちに、コミュニケーション能力も上がった。

でも、100公演くらい続けたところで、僕は自分の限界を思い知った。自分の周りにいるおもしろいやつらを見ているうちに、勝てる気がしなくなってしまったのだ。

「芸人としてやっていくのは無理だ」
「ここじゃ、1位になれない」

そう悟って、僕は芸人になることを諦めた。
それでも「おもしろいことがしたい。世界で1番おもしろいやつになりたい!」
という気持ちが、僕の心には残った。

掲載日:2019年03月22日(金)

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(株)クリーク・アンド・リバー社 舞台芸術事業部 事業責任者

藤澤恵太(ふじさわ けいた)

株式会社クリーク・アンド・リバーで舞台芸術事業部のマネージャーを努める藤澤恵太さん。社会と舞台芸術の距離を縮めるために活躍する彼の原動力は、対人恐怖症の自分を救ってくれた舞台への感謝の気持ちでした。

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