大阪市西城区の花園。そこが僕の生まれ故郷だ。祖父母と両親、姉と僕との6人ぐらし。名家を飛び出した母と、ヤンキーの父。僕は正反対の両親から生まれた合いの子だった。
小学生の僕は、1人の親友とばかり遊んでいた。スーパーマリオ、スターフォックス、星のカービィ……。たった1人の友達と、毎日ゲームに熱中していた。
しかし、その親友は転校して別の学校に行ってしまった。すると、僕はひとりぼっちになってしまった。
学年が変わって、別の友達ができた。ところが、その友達も転校してしまう。
僕の親友は、みんな毎年いなくなってしまうのだ。
僕はその友達としか遊ばなかった。だから、親友がいなくなると、途端に僕は誰とも遊べなくなる。寂しくて、クラスメイトの家に勝手についていって、勝手に上がって遊んだりしてたけど、誰も僕を遊びに誘ってはくれなかった。
ひとりぼっち。あまりにやることがないときは、家でひたすらみかんを食べたり、駄菓子屋で買ったイカソーメンを2時間以上かみ続ける……。そんな生活が、半年は続いた。
そんな僕が孤独から抜け出せたきっかけは「笑い」だった。
社会の授業で、先生が僕を指す。
「藤澤、この写真、何かわかるか?」
「それは……僕のお父さんのお墓です」
教室が笑いに包まれる。その瞬間、僕は皆に注目される。
授業が終わると、皆が僕の近くに集まった。
「さっきのおもろいな!」
そのとき、僕は悟った。
「おもろいって、正義なんやな」
それから僕は、一発芸やテレビの芸能人のマネをして笑いをとった。気がついたら、僕の周りには常に人が集まるようになった。
笑いをとれば、みんなが僕を見てくれる。人を笑わせたり喜ばせたりすることが僕の存在意義だと確信した。それから僕は、お笑い芸人になろうと決心した。
人気者として過ごした小学校を卒業して中学校へ。
そこは、地域でも特にガラの悪いやつらが集まっていて、毎年何人も少年院に送られるようなところだった。
まさに修羅の国。そんな環境で生き残るために、自分もヤンキーグループに混じった。この人たちと共生していくしかない。孤高に生きていくことなんてできない。ここにはおっかないやつらばかりだし、僕は一人が嫌だった……。
ヤンキーグループは毎日喧嘩や犯罪じみたことに明け暮れた。僕は中の下ぐらいのポジションで、悪いことに加担せず、ひたすらおもしろいことをして乗り切った。
「なんかやれ」って言われたら、一発ギャグでみんなを笑わせた。
急に池に飛び込む。三角コーンを被って自転車に乗る。そんなキテレツなことをやってると、「あいつ、おもしろいな」と思われる。そういうキャラとして認められる。一発デカい笑いをとれば、それで3カ月は過ごしやすくなる。やり過ごすために、生き残るために、必死に笑いをとろうとした。
ケンカやカツアゲ、そんなことが当たり前に起こる中学校では、まさに「笑わせるか捕まるか」の二択だった。人気とかちやほやされるとか、そんな話じゃない。笑いを取らないと生きていけなかった。笑いは、僕が生き抜くための手段だった。
笑いとコミュニケーション力をフル活用して、僕はどうにか中学3年間を乗り切った。
卒業までに、僕の仲間の半分は少年鑑別所に送られた。
修羅の中学生活を乗り越えて高校に進学した。
受験のために必死に勉強したわけではなかった。願書を書けば受かるといわれるような学校を受けただけだった。
それなのに、そこは進学校といわれていた……。
僕が入ったのは、よりにもよって特進クラスだった。
毎日8時間授業。朝の6時半に学校に行って、夜の20時まで勉強。毎日漢字テスト、構文テスト。8割取らなきゃ補習確定。
入学式の初日にそれを聞いて、僕は思った。
「やめよう……」
僕の前にいたやつも、同じことを考えいていた。二人で校長室に行って僕らは直談判した。
「やめさせてください」
「無理やな」
「普通科のクラスに移らせてください」
「無理やな」
「……」
結局僕は特進クラスに通うことに。毎日朝から晩まで勉強。部活もだめ。バイトもだめ……。
「牢屋やん!捕まったのか俺??」
「せっかく笑いとって捕まらずに済んだのに!!」
毎日毎日、勉強勉強。でも、何より辛いのは、僕の唯一の取り柄である笑いが通用しないことだった。
笑いをとってみんなの人気者になろうと、授業中にふざけてみた。すると先生に「ちゃんとしろ」と怒られた。職員室に呼び出され、人目につかないとこでボディブローを食らった。
勉強ばかりのクラスメイトは、僕のことなんか見向きもしなかった。
笑いをとることで生きてきた僕には、理解ができなかった。
「みんな、笑いとって世間を渡り歩いてるんやないの?大阪ってそういう街やないの!?」
結局、2カ月で学校に行かなくなった。
家に引きこもり、毎日1人で映画を観たり、ファイナルファンタジーをやりこんで2ちゃんねるに攻略法を書き込んだりしていた。
芸人を目指し、小さなステージで漫才をやったり、友達がやってる舞台に出たりしたけど、まったくウケなかった。
「俺、笑いもとれんのか……?」
僕は完全に自信を失ってしまった。
人と話さないでいるうちに、人と話せなくなり、人と会わないでいるうちに、人と会えなくなった。人と会っても、何をしゃべったらいいかわからない。目も合わせられない。
笑いが僕の存在価値だから、笑いをとれない自分は、死んでいるも同然だった。
1日中ジャージで髪はぼさぼさ。「男たちの大和」を観て「なんで俺、泣いてるんやろう」と泣きながら笑った。夜明け前に川辺に座って、「きれいな海やで」なんて言っていた。
そんな生活が、1年近く続いた。