結局、高校は3年生から文系に移った。毎週末千葉県の田舎から東京のデザイン学校へ通い、好きだった絵やデザインを学ぶ方向に軌道修正をした。行きたい大学には受からず、姉は浪人しても私はさせてもらえず、滑り止めで受かった短大にしか行けないなどあったが、初めて自分の選んだ道が選択できた。
社会人になり、3DCGの仕事に就いた。探究心を掻き立てられる楽しい仕事ができて嬉しかった。ゲーム業界の先端の仕事をさせてもらい、やっと親に褒めてもらえると思ったが、「ゲーム作り? そんな子どもの遊ぶもの……。もっとまともな仕事をしろ」と言われてしまった。仕事場で褒められることがあっても、本当の意味での自分の存在価値を見出だせないままいた。
また、CG業界には女性が少ない。激務のため体を壊しやすいことが、女性の少なさの原因だった。でも、男性にできて私にできないわけがないと、同じだけ徹夜し、同じだけ仕事をした。その結果、やはり私だけ体を壊した。やりたいのに、頑張りたいのに……不甲斐なさを誰にもぶつけることができず、WEB業界に転職。そこは、それまでの業界で追求していたクオリティーではなく生産性の求められる現場。そして、コツコツ仕事をした人よりも上司に甘える人が優遇されてしまう会社組織だった。そうした体質に嫌気がさし、意を決してフリーランスに。世の中、弱音を吐いた人が優遇されることを知った最初の事件だったが、正々堂々と生きてやると思えた事件でもあった。
世の中そんなに甘くはなく、生活のため時にはアルバイトをしながらデザイン業をこなしていた。中には面白い仕事もあり、ラジオでパーソナリティーをしたり、某スポーツ新聞でコラムの連載をしたりもしていた。
昔は何かに挑戦すること自体させてもらえなかったけれど、その頃には事情が違っていた。短大卒業後、CGの専門学校に入った頃、両親が離婚。それまではアルバイトも禁止されていたのに、急に仕送りが3分の1になり、様々なバイトをするようになったいきさつがあった。おかげで未知の仕事をすることへの度胸は身についており、独立後も本業以外にいろいろな経験ができて勉強になった。
でも、いろいろできるようにはなっていたけど、何のプロフェショナルでもない。私が自信を持って人に誇れることって何だろう? ……ないかもしれない。
そんな時、外国人の友達にこんなことを言われた。
「「みんなは1のことが10まで出来る。私には1のことを4か5かしかできない」とミカは思うの?でも、やれることは1つじゃなくて何個もあるでしょ?どれも10はできないかもしれないけれど、全部合わせたら30、40、もっと。それはすごいことじゃないの?」
目からウロコが落ちた。そうだね、それが私の強みで、私のスタイル。そう、人と同じじゃなくてもいい。
掲載日:2017年09月08日(金)
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セクシーボディメイクトレーナー/作家
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アンドウミカ(あんどう みか)
フィットネススタジオのトレーナーであり、海外のショーで踊ってきた経験もあるアンドウさん。そんな彼女は昔、自身のルックスに劣等感を持っていた少女でした。劣等感に打ち勝った彼女のキッカケとは……?