「早く自由にダンスをしたい!」
という強い思いと、支えてくださった看護師さんたちのおかげで私は隔離病棟を出ることができた。
出てから出会った人と私は、20歳の若さで結婚。
子供を2人授かって、幸せな毎日を送るはずだったのに、旦那が借金を作ってきて、程なくして離婚することになった。
子供2人を抱えながら、仕事をしていた。夜中には音楽を鳴らして家で踊ったりして、
自分なりに頑張っていたつもりだった。
「もう来ないでくれ。」
「子どもばっかり優先されると困る。」
結局、シングルマザーで子供を優先することが許されずクビになった。
悔しくて
悔しくて
「自分で仕事を作るしかない!」
そう思ってノートに一心不乱に殴り書きした。
やっぱり自分にはダンスしかない!と気づいた。
ダンスで食べていけるなんて思ってなかったけど自分のやりたいことに嘘は付きたくなかった。
ダンス講師として独立後、ダンスカンパニーUzmeを設立。
自分が子供のころ無意識に我慢していたこと、ずっと受けていた虐待を隠していたことから、少しでも自分を表現できる子供が増えてほしいと願い、小学校などを回って、一緒に踊ることで表現の仕方などを教えるようになった。
新しく切り開いた道を2人の子供と、これから出会う人たちを巻き込んで燃やし尽くして生きていく。
これが私のKeyPage…
掲載日:2017年05月10日(水)
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大瀧冬佳のエピソード一覧
ダンスカンパニーUzme団長
ダンサー・振付師
大瀧冬佳(おおたき ふゆか)
ダンスカンパニーUzmeの団長として様々な舞台で活躍する大瀧冬佳さん。様々な苦難の中でも、決して見失うことのなかったダンスという一筋の光。「踊るために生きていたい。」彼女を支え、突き動かした唯一無二の生きる意味が、今度は誰かの光になるように。