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キッカケインタビュー

「だって、好きだから」――遠回りの末に見つけた、“私の音楽”。

shiho(しほ)

シンガーソングライター

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
大阪出身、現在は東京に拠点を移し活動。
Track makeも自身で行い渋谷にて各月でジャンルレスなイベントを行い、音楽の楽しさを広めている。
また楽曲提供やセッション、イベントMCなどにも力を入れ、幅広く活躍。
Kamei shihoという世界観、その強く熱い”生きるエネルギー”を、ライブというエンターテイメントで多くの人に伝え続けている。

中学校の頃に音楽の楽しさに目覚め、それ以来音楽とともに生きてきたシンガーソングライターshihoさん。
様々な経験を重ね、音楽を見つめ、続けていくことを決心したキッカケとは?

キッカケ①:音楽ってかっこよくてイケてる

私は、大阪で生まれ育った内気な女の子でした。
両親は、私が幼いころから仲が悪く、
お父さんに誕生日プレゼントをもらったらお母さんに怒られる。そんな有様でした。
そんな家庭環境だったので、周りにとても気を遣う性格になりました。

なかなか自分を表現することができない。そんな幼少期でした。


父親も家を出て行った、中学生3年生の年。
私は、音楽というものに夢中になっていました。
ど派手な衣装に、聞いたこともないロックミュージック。
X JAPANのHIDEかっこいい!初めてできた憧れでした。

そんな矢先、HIDEが亡くなりました。
もちろんとてもショックでしたが、それが大きなキッカケとなりました。
HIDEのファンの方に出会い、HIDEのコピーバンドを見に初めてライブハウスに行くことに。
 
見て、暴れて、一緒に歌って……ライブってすごい楽しい!!

高校生になると月の半分以上はライブハウスに入り浸っていました。
行きたいライブのためならバイトも休むぐらい。

そのうち、「自分でやったらおもろそうや」と思い立って、気が付くとバンドを結成していました。

初ライブのリハーサルの日も、学校をさぼってリハーサルしていました。
それぐらい音楽の虜になっていたのです。

キッカケ②:お母さんの死を乗り越えて

バンドにどんどんのめり込んでいった18歳のころ、お母さんが癌になりました。
 
それでも私は、そんなことお構いなしにライブをし、友達とも遊んでいました。
お母さんより、音楽の方が大事だと感じていました。
 
毎週水曜日には、抗癌剤投与のためにお母さんを病院に連れて行かなくてはいけません。
なんで、お母さんのために私の貴重な一日が削られなあかんの? ずっとそう思っていました。

家庭環境のせいでものすごく人に気を遣う性格になっていた私。
その反動なのか、音楽に目覚めて自分を表現するようになって。
やっと自分の本当の姿が見つけられると思ったのに、
なんで、「家族のために」 「病気のお母さんのために」 また自分を犠牲にせなあかんの?
 
反抗期という言葉では収められないぐらい
お母さんに全く寄り添えていませんでした。お母さんから逃げていました。

お母さんが病気になって2年、やっと手術をしてくれる病院が見つかりました。
手術も成功し、腫瘍が取れて。私もほっとしました。
お母さんはこれから元気になるんや。そう疑いませんでした。

手術から3日後、友達のライブを手伝っている最中、突然電話がかかってきました。
なにか嫌な予感のする電話……取ると、お兄ちゃんの声が耳に飛び込んできました。
「お母さんがもう死んでまう」

「お母さんが死ぬなんて……ありえへん」

泣きながら、意味が分からなくなり、一人街の中をさまよっていました。
それから数日、自分がどう過ごしたのかもどこに行ったのかも覚えていませんでした。

次にお母さんに会ったときには、もう意識がなくなっていました。
目が開いても白目で、痛みで奇声をあげ、お母さんなのか怪物なのかもう分からない状態。

「頭」ではお母さんが死ぬと分かっても「心」は理解してくれませんでした。

つらくて泣いていた私に看護師さんは言いました。
「ちゃんとお別れしいや」 
そう言って、肩をぽんとたたいてくれて……、その瞬間でした。
「お母さん死ぬんや」
と、やっと「心」で気づくことができました。

つらいのに、苦しいのに、家族のために一日も長く生きようとしてくれているお母さん。
生きよう生きようと頑張っているお母さんを応援しようという気持ちに自然となりました。
痛くて苦しそうだったら「がんばれー」と言ってあげたり、毎日、病院に会いに行ってそばにいてあげたり。

昔出て行ったお父さんにも連絡を取り、病室でふたり過ごすところをこっそり覗いた時。
何かがストンと、腑に落ちました。私は、ちゃんと愛し合った夫婦のもとに生まれ、愛されて育った子どもだったんだ、って。「こんなに仲の悪い両親の間に、どんなタイミングで命を授かったの? 」とさえ思っていた自分という存在への疑問、幼少期の寂しさやつらさ……いろんなものが解けてゆく感じがしました。

約2週間後、家族全員の見守るなか、お母さんは天国へ旅立ちました。


お母さんと心から向き合えたのは手術後のたった2週間。
その間で満足に親孝行なんてできていないけど、
お母さんときちんと向き合うことができたし、後悔はしていません。

あの時、お母さんが死んでよかったと思えるように生きよう。
そう心に決めたのでした。

キッカケ③:私が音楽をやる意味ってなに?

お母さんが亡くなってから、バンドも解散し、音楽をやる意味が分からなくなってしまいました。
お母さんが死んで悲しいということもあるけれど、
私には、音楽が好きでバンドマンをやるのか、それともバンドマンで居続けたいから音楽をやるのか、分からなくなっていました。
音楽が少しだけ嫌いになっていました。


数年間いろいろ考えたけど、私はやっぱり音楽が大好きでした。
やっぱり音楽をして生きていきたい。
そう思い今度はシンガーソングライターとして一から再スタートしようと決めました。

先輩の力も借りてやっとのことで開催した初ライブ。全く楽しくありませんでした。
初めての1人でのライブ。「やってやるぞ! 」という気持ちで挑んだはずなのに、
どこか自分の中に「1人」という不安が残っていました。
たった3曲なのに、ステージから降りたいと思いました。

そのことを先輩に言ったら、返ってきたのは意外な答え。

「そんなん自分の努力が足りんかっただけやろうが。お前がしっかり練習してがちがちに準備してその3曲に臨んどったらお前絶対楽しめてたはずや」



何も言い返せなかったし、まさにその通りでした。
不安があったり、ビビったりするのは努力が足りないだけ。
自分に足りなかったのはこれなのかって思いました。
「先輩の言ってくれたことを胸に、これからは音楽活動をしていこう」そう心に決めました。

キッカケ④:東京に出てきて思った「私と音楽」

楽しいという思いだけでがむしゃらに音楽をやってきた20代が過ぎ、いつのまにか30歳に。
なんかおもろそうやなと思ってノリで東京に出て来ました。

東京に出てきて、私は変に気を張っていました。
私は売れて今までお世話になってきた人に恩返ししないといけないと自問自答し続けました。

何のために東京に来たのか。なんで音楽をしているのか。
考えても考えても答えが出てきません。自分のことが自分で信じられなくなっていました。
また、音楽が嫌になって楽しくないと思いました。
 

でも、いろいろと回り道はしたけれど、今、やっぱり音楽が一番大好き!
回り道したっていい。これも私の人生なんだ。
誰からどう言われようと私は私でいいんだって思っています。

正直、今の私が今の日本で売れるには、嫌なことをたくさんしなければなりません。
私が音楽で売れるために必要なことを周りの人達が色んなアドバイスをくれたり、誰かを紹介してくれたりする中、わたしの頭の中で「やりたくないことはやりたくない」と頑ななプライドが叫び続けました。

「だからお前は売れへんねや」と何度も言われました。
それでもやりたくないことはやりたくなかったのです。

だけど私は「イケてることをやってたら絶対道は開く」と信じています。
生きていて一番辛いのは人が死ぬことだから。
そして、私は今生きている。
私は自分に嘘をつかず、イケてる奴であり続けたい。
そのための努力ならいくらしんどくてもいいと思っています。
そう生きることで1人でも多くの人の心に響く音楽ができると思っています。

シンガーソングライターに路線変更したあとも、わたしが「バンドスタイルでライブがしたい」と言うと、たくさんの仲間がサポートしてくれました。
なぜみんなそこまで助けてくれるのかずっと不思議でした。
でも今は私の音楽への情熱と、その仲間たちの心にも響くライブを今まで出来ていた証拠なのかなと恐縮ながら今は思っています。
みんなのそんな心あるサポートを受けるたびに、しんどくてもやりたいことを絶対手放さず守ってきてよかったと再認識させてくれました。
 
「頑張ってきたら、皆が手を差し伸べてくれる」

なんて思ってはいないけど、誰かが手を差し伸べてくれた時には、自分頑張っていたんだなあってうれしく思う。そんな人生って素敵じゃない?

生きるのはしんどいと思うかもしれないけど、そこでくじけちゃいけない。
不安もたくさんあるだろうけど、それでも大丈夫。不安が悪いわけじゃない。
しんどいことと楽しいことを半分ずつぐらい持っていれば人生は絶対楽しくなるから。
しんどいことがあったら楽しいことが100倍楽しくなるから。

これからも私は、辛くてもずっとイケてる奴で居続けて、心がワクワクすることを大切にしていきたい。
音楽が好きで、人が好きでやりたいことをやって生きていく。

それが私のKeyPage……。

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掲載日:2017年11月24日(金)

鍵人No.0082

shiho(しほ)

高校生の時に音楽に魅了され、高校3年生の時に初ライブを行う。 そこからバンド活動をし、各箇所でライブを行う。 2004年、バンド解散。 そこからシンガーソングライターとしての活動を始める。 2006年、単身LAへ留学。 2011年には初のフルアルバムをリリース。 2015年東京へ拠点を移し活動中。

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