バンドにどんどんのめり込んでいった18歳のころ、お母さんが癌になりました。
それでも私は、そんなことお構いなしにライブをし、友達とも遊んでいました。
お母さんより、音楽の方が大事だと感じていました。
毎週水曜日には、抗癌剤投与のためにお母さんを病院に連れて行かなくてはいけません。
なんで、お母さんのために私の貴重な一日が削られなあかんの? ずっとそう思っていました。
家庭環境のせいでものすごく人に気を遣う性格になっていた私。
その反動なのか、音楽に目覚めて自分を表現するようになって。
やっと自分の本当の姿が見つけられると思ったのに、
なんで、「家族のために」 「病気のお母さんのために」 また自分を犠牲にせなあかんの?
反抗期という言葉では収められないぐらい
お母さんに全く寄り添えていませんでした。お母さんから逃げていました。
お母さんが病気になって2年、やっと手術をしてくれる病院が見つかりました。
手術も成功し、腫瘍が取れて。私もほっとしました。
お母さんはこれから元気になるんや。そう疑いませんでした。
手術から3日後、友達のライブを手伝っている最中、突然電話がかかってきました。
なにか嫌な予感のする電話……取ると、お兄ちゃんの声が耳に飛び込んできました。
「お母さんがもう死んでまう」
「お母さんが死ぬなんて……ありえへん」
泣きながら、意味が分からなくなり、一人街の中をさまよっていました。
それから数日、自分がどう過ごしたのかもどこに行ったのかも覚えていませんでした。
次にお母さんに会ったときには、もう意識がなくなっていました。
目が開いても白目で、痛みで奇声をあげ、お母さんなのか怪物なのかもう分からない状態。
「頭」ではお母さんが死ぬと分かっても「心」は理解してくれませんでした。
つらくて泣いていた私に看護師さんは言いました。
「ちゃんとお別れしいや」
そう言って、肩をぽんとたたいてくれて……、その瞬間でした。
「お母さん死ぬんや」
と、やっと「心」で気づくことができました。
つらいのに、苦しいのに、家族のために一日も長く生きようとしてくれているお母さん。
生きよう生きようと頑張っているお母さんを応援しようという気持ちに自然となりました。
痛くて苦しそうだったら「がんばれー」と言ってあげたり、毎日、病院に会いに行ってそばにいてあげたり。
昔出て行ったお父さんにも連絡を取り、病室でふたり過ごすところをこっそり覗いた時。
何かがストンと、腑に落ちました。私は、ちゃんと愛し合った夫婦のもとに生まれ、愛されて育った子どもだったんだ、って。「こんなに仲の悪い両親の間に、どんなタイミングで命を授かったの? 」とさえ思っていた自分という存在への疑問、幼少期の寂しさやつらさ……いろんなものが解けてゆく感じがしました。
約2週間後、家族全員の見守るなか、お母さんは天国へ旅立ちました。
お母さんと心から向き合えたのは手術後のたった2週間。
その間で満足に親孝行なんてできていないけど、
お母さんときちんと向き合うことができたし、後悔はしていません。
あの時、お母さんが死んでよかったと思えるように生きよう。
そう心に決めたのでした。
掲載日:2017年11月24日(金)
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シンガーソングライター
shiho(しほ)
中学校の頃に音楽の楽しさに目覚め、それ以来音楽とともに生きてきたシンガーソングライターshihoさん。
様々な経験を重ね、音楽を見つめ、続けていくことを決心したキッカケとは?