キッカケインタビュー - » 大瀧冬佳 | KeyPage(キーページ):誰かのキッカケを届けるメディア

キッカケインタビュー

虐待、母の死、精神病、離婚…絶望の世界に見えたダンスを通した光とは?

大瀧冬佳(おおたき ふゆか)

ダンスカンパニーUzme団長
ダンサー・振付師

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
子供たちに明るい未来を見てほしい。辛い時、苦しい時ほどこの世は光がある。というのをダンスを通じて伝えている。ダンスカンパニーUzmeを2016年7月に設立。2017年5月旗揚げ公演開催。

ダンスカンパニーUzmeの団長として様々な舞台で活躍する大瀧冬佳さん。様々な苦難の中でも、決して見失うことのなかったダンスという一筋の光。「踊るために生きていたい。」彼女を支え、突き動かした唯一無二の生きる意味が、今度は誰かの光になるように。

キッカケ①:父親からの虐待。その中にある光。

私がバレエを始めたのは5歳の頃だった。
それよりももっと小さい頃から私の家はいわゆる『普通』ではなかった。

かっこよくてスポーツも勉強もできる弟。若くて綺麗でかっこいい両親。
みんな元気で明るく、表面はすごく幸せに見えていた家庭。
けど、蓋を開けてみるとそうではなかった。

毎日母を殴り続ける父。それは私も例外ではなく殴られ、時には裸のまま外に出されたり、ごはんをもらえないこともあった。

「このことは秘密にするのよ。」

と言った母の一言で隠さないといけないんだ。でも、これが私の当たり前の生活なんだと思った。

不思議と自分の家が『普通じゃない』と思ったことはなかった。どこの家庭も父親は殴るものだと思っていた。

「きっとみんな秘密にしてるだけなんだ」

「みんな殴られたりしてるのを内緒にしてる」

「辛いのは自分だけじゃない」

そう納得していた。

そんな時に出会ったバレエ。
最初は母にすすめられて嫌々やり始めたものが父親に止められることがなく自由で生きがいだった。

踊っていれば辛いのも忘れられた。唯一発散できる場所だった。

キッカケ②:人生に妥協したくない!自分の意思で選択していく

「踊るために生きている」

そう思うほどどんどん踊りに夢中になっていった。

バレエの世界で生きていきたい!
バレエだけをやっていきたい!

そう思い高校を辞めることを決め、それと同時にこの偽りだらけの家庭環境も辞めにしたいと思った。

殴られて殺されそうになる母。それでも別れることが出来ない。

「この家を出ないとここに依存してしまう。」

「この家を出たい。」


「家を出る!」

そう決断して初めて、母も父を捨てる覚悟ができたのかもしれないが、離婚することになった。

市に保護してもらい、そのあとは父から逃げる日々。

出会ってしまったら殺されてしまうかもしれない。

そんな恐怖と戦いながら踊ることだけは辞めずに、とうとう英国ロイヤルバレエ団のスカーラップのオーディションに合格した。

6歳の頃からそれだけを目指して頑張ってきて、本当に嬉しかった。

自分が認められた瞬間だった。

でも…

「余命1ヶ月です。」


その時母に下された診断は受け入れられないもので、ほとんど同じ時期に判明した母の癌。

英国ロイヤルバレエ団に受かったことを言い出すことすらできず、留学を辞退し、結局私は母のそばに居ることを選んだ。

キッカケ③:暗闇の中で見つけた光

母は闘病の末に39歳の若さで亡くなり、二人の弟を養っていくために働く日々。

そんな中で弟は母親にぶつけられなかった反抗期を私にぶつけはじめ、殴られるようになった。

「やめて!!」


父親から受けていた虐待がフラッシュバックした。

意識を失い、目が覚めた時、私は精神科の閉鎖病棟にいた。

「ここはどこ?」

質問してもまともに答えが返ってくることはなく、私にくだった診断は『解離性障害』いわゆる多重人格だった。

父の虐待から身を守るために自分の中に無意識に別の人格を作っていた。

それによって私が意識の無いところで自殺未遂を起こしたりもしていた。

入院してからも度々意識が飛び、暴れて、鎮静剤を打たれて、寝る。

そんな日々が続いた。

「私はいつここから出れるんだろう…」

そう思って数ヶ月がたったころTVでフィギュアスケートをみて、

「踊りたい!」そう思った。

久々に思い出した感覚だった。

その日から毎日病院の廊下で踊って、時には患者さんや看護師さんたちがお客さんになってくれることもあった。
楽しいっていう感情はとっくになくなったものだと思っていたけど、踊っていればどんなことも忘れられる。

「楽しい!」

隔離病棟にいれられて初めて『生きている』と感じられた。

そこから意識が飛んだり、暴れたりすることがどんどん減っていった。

キッカケ④:支えていくものがある強さ

「早く自由にダンスをしたい!」

という強い思いと、支えてくださった看護師さんたちのおかげで私は隔離病棟を出ることができた。

出てから出会った人と私は、20歳の若さで結婚。

子供を2人授かって、幸せな毎日を送るはずだったのに、旦那が借金を作ってきて、程なくして離婚することになった。

子供2人を抱えながら、仕事をしていた。夜中には音楽を鳴らして家で踊ったりして、

自分なりに頑張っていたつもりだった。

「もう来ないでくれ。」

「子どもばっかり優先されると困る。」

結局、シングルマザーで子供を優先することが許されずクビになった。

悔しくて
悔しくて

「自分で仕事を作るしかない!」

そう思ってノートに一心不乱に殴り書きした。

やっぱり自分にはダンスしかない!と気づいた。

ダンスで食べていけるなんて思ってなかったけど自分のやりたいことに嘘は付きたくなかった。

ダンス講師として独立後、ダンスカンパニーUzmeを設立。

自分が子供のころ無意識に我慢していたこと、ずっと受けていた虐待を隠していたことから、少しでも自分を表現できる子供が増えてほしいと願い、小学校などを回って、一緒に踊ることで表現の仕方などを教えるようになった。

新しく切り開いた道を2人の子供と、これから出会う人たちを巻き込んで燃やし尽くして生きていく。


これが私のKeyPage…


この記事をお気に入りに登録

掲載日:2017年05月10日(水)

鍵人No.0057

大瀧冬佳(おおたき ふゆか)

5歳よりクラシックバレエを始める。多数の舞台を経験。17歳英国ロイヤルバレエ団スカラシップ獲得。18歳、乖離性人格障害により精神科閉鎖病棟隔離入院。19歳、母を亡くす。20歳結婚、第一子出産。21歳第二子出産。23歳離婚。25歳、ダンス講師/ダンサーとして独立。寶船劇場公演「キセキ×キセキ」出演をはじめとし年間30ステージに出演。26歳、ダンスカンパニーUzmeを立ち上げ、同年10月プレ公演「覗-Uzme-」開催。現在、プライベートではカバン職人と再婚し、自身の半生をモデルにした旗揚げ公演「Mao-まを-」を2017年5月に控える。

大瀧冬佳オフィシャルサイト
http://fuyukaohtaki.com/

https://www.facebook.com/profile.php?id=100004164461261

ダンスカンパニーUzmeオフィシャルサイト
http://uzme.dance/

最新のキッカケ

ほかのキッカケを見てみる!

ちょこっとKeyPage

ちょこっとKeyPageを見る