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キッカケインタビュー

『違いを認め合える世界』目指して―耳の聴こえない仲間と掴みたい夢

大里千尋(おおさと ちひろ)

公益財団法人現代人形劇センター内組織
デフ・パペットシアター・ひとみ 企画、制作

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キッカケ記事

いま何やってるの?
耳の聴こえない方と聴こえる方が協同で舞台を作る人形劇団のプロデューサーのような仕事をしています。日本全国に足を運び、人形劇の魅力を広めるための企画、制作、広報などを担当。心に残る舞台を作り、視覚言語である手話の良さもたくさんの方に知ってほしい!夢に向け日々奮闘しています。

心を開くことを恐れていた私が、3.11をキッカケに夢を見つけた。
世界一周をしたり、仕事をやめて被災地でボランティアをしたり。人の優しさ、人とぶつかる苦しさの中で知ったこととは……。

キッカケ①:「何も知らない自分」に気づかされたキッカケは、中国人運転手からの一言だった。


私に「何かを変える」ことができるなんて、1ミリも考えたことがなかった。

あれは中学3年生の頃。家庭の都合で1年間上海で暮らした時の出来事だ。
タクシーに乗った私に中国人の運転手は突然こう言い放った。
「お前たち日本人は、中国に何をしたかわかってるのか」。

神奈川県で生まれ育った5人兄弟の4番目。ずっと人に恵まれてきたと思う。
「私には何もできないからしない」という気持ちが強いタイプだった。がむしゃらに努力してきたこともなかったし、世界や歴史などというものにもあまり興味を抱いてこなかった。

そんな私の心に、突然の彼の一言は深く突き刺さった。
当時の自分には、どうしてそんなことを言われるのか、その理由すらわからなかった。
悔しさというよりも、それまで自分がいかに何も知らなかったかということに驚いてしまった。
そしてその時初めて、何も悪いことをしていなくても日本人であるだけで憎しみを向けられることがあると知った。

私は、世界で起きたこと、起こっていることを、もっと知らなければいけない。
そう強く感じた。
これが、人生の方向を決める最初のきっかけとなった。

キッカケ②:世界一周で知った人々の優しさ、日本人としての誇りとは。


世界のことをもっと知りたい、理解したいと思うようになった私は、高校生になって国際情勢のことばかり考えていた。
ちょうど9.11やイラク戦争が勃発し、複雑な思いで報道を見つめていた。この世界では毎日毎日悲惨な出来事が起こっている。それでも私の暮らす街は穏やかで美しく、平和だった。

自分の目で何も見ていないのにわかったような気になっているのが嫌になった。
そうだ、直接見に行こう!と、大学4年生の時に4カ月ほどかけて世界一周の旅をした。ベトナム、シンガポール、インド、エジプト、アフリカ、ギリシャ、トルコ、スペイン、イタリア、フランス、イースター島など……。
いろんな国の人々の優しさは忘れることができない。特にトルコの人々はみんな親切だった。

一番印象に残っているのは、アフリカ大陸の北西にあるスペイン領のラス・パルマス諸島だ。グラン・カナリア島のテルデ市には「ヒロシマ・ナガサキ広場」という名の場所がある。この広場の中央に「九条の碑」があった。これは日本の九条、つまり戦争を放棄した日本を称えるための記念碑。
日本国憲法第九条の一文がスペイン語で刻まれている。

こんな遠く離れた地なのに日本をよく思ってくれている人たちがいる、ということがとてもうれしくて、なんだか誇らしい気持ちになった。
この旅は私に、たくさんの大切なことを教えてくれたのだった。

キッカケ③:3.11後に向かった東北。無力感から立ち直ったキッカケは人の温かさだった。


ずっと、自信がなかった。
「自分にできることは何もない。だからしなくたっていい。」と思ってきた私は、少しずつ変わっていった。

大学卒業後、世界一周の時に知り合った人の会社に勤め始めて1年後に、東日本大震災が起きた。
会社の同僚が、家庭もある中仕事を辞めて石巻に行くと言い出した。
私も一緒に行こうと決めて4月から東北に入り、食事のデリバリーや、支援物資を運ぶボランティアを始めた。

やりがいももちろんあったけれど、つらいこともたくさんあった。
元々自分の考えを外に出せなくて人にうまく頼れない。苦しくても誰にも相談せず自分の中だけで解決してしまうことが多かった。
被災された方々と接する中では、津波など特定の話題を出さないようにしたりと常に気を張っていたし、仲間同士で意見があわずささいなことでぶつかったりした。

人とわかりあうって、なんてしんどいんだろう。
「私は一体何をしに来たんだろう」と無力感が募る日々が続いていた。

そんなある日、デリバリーの場所を貸してくださっていた土地のオーナーの奥様が、「いつもありがとう」と美しいブローチをくださった。
スワロフスキーの、きらきらした鳥の形のブローチ。
家もなにもかも流されてしまった中で残った、数少ない品。泥も綺麗に洗ってくださったのだろう。

そんな大切なものを私に……たくさんたくさん泣いた。
何かをしてあげたいと思っていたけど、逆に優しさと元気をもらっていた。
逆の立場だったら、はたして同じことができるんだろうか……。
それでも、自分を認めてもらえたような気がして、思いつめていた心がふっと軽くなって、気持ちに余裕が持てるようになった。

私にだって、何かできることがあるんだ。

その日から、「何もできないからしない」ではなく、「できることを考えよう」と思うようになった。

キッカケ④:人は違うからこそ支え合える。今、仲間と叶えたいこと、子どもたちに伝えたいこと。


もうひとつ、大きな支えとなったのは、ある友人の存在である。

東北にボランティアとして向かう時、勇気を出して高校からの友人を誘ってみた。
これまでアクションを起こす時はたいてい一人、思うことがあっても外に出せずに抱えてきたけど、同じ体験を通してその子は何を思うのか知りたいと思ったから。

彼女の返事は、「私も行きたいと思っていた」。
その言葉を聞いて、思いを口にしたっていいんだと自信を持てたのだと思う。

私はいろんな場所に行ったけれど、彼女は宮城県北東部の雄勝(おがつ)でずっとボランティアを任されていた。
そこは一番被害が大きく、集落自体が消えてしまった地域。
家族が何人も犠牲になった被災者の方々がたくさんいる。自分をしっかり保たないとやっていけない場所だ。
私はそこに比べるとまだ被害の少ない地域で支援していたが、いつも泣いていた。
彼女はそんな私に、「そうじゃないでしょ」と何度も怒ってくれた。

当たり前だけど、人はそれぞれ違う。
違うからこそ、辛い時も倒れずに支え合える。ぶつかっても一緒によりよい方法を探すことだってできる。
意見を交わし、問題解決のために知恵を出し合うこと、シェアすること。
これまで向き合ってこなかったそれらの経験を通して、一人でできなかったことだってできるようになると知ったのだ。


現在所属している「デフ・パペットシアター・ひとみ」は、耳の聴こえない方々と聴こえる方々とが
協同で公演やワークショップを行うための組織だ。
そこでは企画・営業・広報など様々な役割を通して、役者さんに全力で演じてもらえるよう日々奮闘している。
次回新作のプロデューサーも任された。
そこでも「できないことをできるようにしたい」という思いを実現すべく、公演先の地域の方々とお話していく中で、お金がないとできない事案があるならクラウドファンディングをやってみよう、という風に実現に向け行動している。

意見の違い、障がいのあるなし、国籍の違い。
「違うから排除する」のではなく、「違うからおもしろい」と思えたら、そして一緒に楽しい時間を過ごせたら、社会はもっともっとよくなると信じている。

私には夢がある。
いろいろな違いがあっても、同じ時間に、一緒に楽しめる場所が“あたりまえ”な社会になること。
そして子どもたちが夢を持てるような社会を作ること。
子どもたちには、いっぱいいろんな経験をしてもらいたい。

石巻の避難所で出会った頃の子どもたちには、子どもの気配がなかった。
大人の雰囲気を敏感に感じ取り、はしゃぐことも楽しそうに遊ぶことも我慢して静かで、違和感を感じるくらいだった。
その子たちと一緒に遊ぶ時間を作り、まぶしい笑顔を見た時にはとてもうれしくなった。
子どもたちがのちのち思い返した時に、あぁ、あの時楽しかったなって、心に残るような活動をしていきたいと強く思った。

できないからしないのではなく、できることから始めてみる。
これからも前を向き夢に向かって、私らしく。

これが私の、KeyPage。

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掲載日:2017年09月15日(金)

鍵人No.0052

大里千尋(おおさと ちひろ)

神奈川県逗子市出身。大学卒業後トークイベント会社に勤務、1年後の東日本大震災を機に退社、4月から東北でボランティア活動。同年11月に現職の求人情報に応募。障害×アート シンポジウムでの登壇経験あり。
HP: http://deaf.puppet.or.jp/

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