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キッカケインタビュー

少年鑑別所の常連だった俺だから――プロマジシャンの語る希望の話。

カルロス・ニシオ・セルバンテス(かるろす・にしお・せるばんてす)

マジシャン(メンタリスト)

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キッカケ記事

追加取材

いま何やってるの?
人の心理を読んだり操ったりする“メンタルマジック”を中心としたショーを自分の店や出張でおこなっています。少年院などでの慰問のショーも無償でお受けしています。海外でのショーや、フラメンコとマジックを掛け合わせたショーなど、自身のパフォーマンスの開拓にも励んでいます。

9歳でマジシャンを志したメンタリスト、カルロス・ニシオ・セルバンテスさん。過酷な幼少期、逮捕歴もある青年期を経て、ある日……そんな自分にも残っていた優しい心に気づいたきっかけとは?

キッカケ①:殴られ続ける日々のなかで。

9歳の誕生日プレゼントは、手品セットだった。


小学3年生になる時にクラス替えがあり、俺をいじめていた奴と別のクラスになった。
転校生もやって来た。明るくひょうきんな彼はあっという間に人気者になった。

「これや!!! 」
その姿を見て、俺は意図的に人格を変えた。コメディアンのように振る舞うようにした。
それが功を奏して、いじめられる日々からは卒業。
そんな俺に、手品セットというプレゼントはドンピシャだった。夢中になって練習した。来る日も来る日も。
クラスで披露し、驚かれほめられ、注目を浴びる。うれしいからまた練習に励む。
お小遣いを貯めたら買うものは新しいマジックの道具と決まっていた。

4歳の時にピアノを始めた。6歳で万引きを始めた。
そして、9歳の誕生日から俺は一日も欠かさずマジックの練習を続けた。
マジシャンになりたい。マジシャンになろう。俺の心にそんな夢の生まれるのは自然なことだった。

母親にも、新しく父親になった人にも俺は殴られて育った。
特に新しい父親は、“ちゃんとした暴力”を振るう人だった。正確に効果的に人にダメージを与える攻撃の仕方を知っている。
機嫌の悪くない時には、俺や弟に正しい人の殴り方を教えてくれた。そうでない時は俺たちを殴った。

どうやったら父親に殴られないか――それが日々の至上命題だった。
いま機嫌が好いか悪いか、話し掛けてもだいじょうぶなタイミングかどうか、酔っていないかどうか、
外で嫌な事があったのか、この場面で自分がどう振る舞えば安全が保たれるか。
死ぬほど人の顔色を見て過ごしていた。おのずと、人の顔色を見るのがうまくなった。


中学に上がるころ。
道具を使って披露するマジックに、クラスメートたちが飽き始めていた。

それまで俺の練習してきたマジックは、道具頼みのそれだった。
道具を買い、説明書どおりに練習して披露すれば、皆が驚く。けれども、新しい事をしようとするとまた別の道具が必要になる。

飽きられないマジックはないのか。
そこから俺は、手の技術に頼るマジック、人の心理を読み取ったり操作したりするマジックの練習に切り替えた。
万引き経験で手先も器用になり、親に殴られないように人の顔色をうかがって育った俺。
そんな俺に、メンタルマジックと呼ばれるそうしたマジックはぴったり。めきめき腕を伸ばしていった。

新しく開けた道に、俺は拳を握り締めたのだった。

キッカケ②:人を傷つけ生きてきた日々。

「おかえり。また来たの? 今度は何したん?」
2度目に少年鑑別所に入った時には、先生にも顔を覚えられていた。

「3ヶ月前やったからイイっしょ」
そう言って回避しようとする、ぎょう虫検査のためにガラス棒を肛門にぶっ刺すクッソ痛い検査も、毎回やった。


中学生の時に、絡んできた不良を父親に教わったとおりのやり方で殴り返すと、相手はあっさり倒れた。
それから俺は、人に言えないような事を腐るほどやってきた。
絡まれて殴り返すのを目的に、夜な夜な繁華街を歩き回った。捕まることもあった。
高校は出席日数が足りないのと素行が悪かったのとで卒業が危ぶまれたが、音大になら受かると思い1年弱の独学で合格した。
大学に合格している者を出さないわけにも行かない。出席日数の足りない、少年鑑別所の常連である俺を、高校も卒業させてくれた。

親と決別して実家を出てからは、様々な方法で金をかせぎ生活をした。
ガタイが買われて右翼団体のボディガードをしたり。
メンタルマジックの技術が買われて非合法なカジノに勤め、イカサマで金持ちを負かして金を巻き上げたり。
サラ金の取り立ての仕事をしたり。
レストランバーでピアノを弾いて稼いだり。

そんな生活を何年続けたころだろう。

悪さの数とスケールのでかさを競っていた、弟のようにかわいがっている後輩が、俺にあるものを見せてきた。

キッカケ③:自分のなかの優しい心。

それは迷い犬のポスターだった。
そして、その迷い犬を俺たちは見つけてしまったのだ。

これは金になる……!!! 犬一匹届けただけで。


喜び勇んでポスターに書かれた住所を訪ねると、それはもう見たこともないような豪邸だった。
お寺の総本山のような、広くて立派な日本家屋。まず門から家までどれだけ距離があるんだ。
ベンツやらセンチュリーやら、黒い車が5台くらい停まっている……その黒い車に手を付いて
近所の子どもらしき小学生が一輪車の練習をしたり、キャッチボールしたりしている。
ヤバい家ではなさそうだ。これは、2年ぐらい遊んで暮らせるような金がぶんだくれるぞ。

「金の作り方いうモンをしっかり見せたるからな」
言いながら俺は門をくぐり、玄関に向かって歩いて行った。

呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは70代くらいの上品そうなおばあさん。
そのおばあさんは、俺たちの拾ってきた犬を見るなり……泣いた。
泣いて、泣いて、その場に泣き崩れたのだ。

「この子は……この子は、ペットやないんです。家族なんです。子どものいない主人と私には、我が子ォなんです。
 この子がおらんかったら……もし帰って来んかったら……私は、私は……」


「戻って来てよかったですね。大事にしてください」

優しい声が出た。
これが俺の声かと疑ったが、確かに俺の口から出た声、言葉だった。そして、それ以上の言葉は出てこなかった。

「おおきに。ありがとう……。母親いうんはこういうモンなんです。
 我が子のことは我が身より大切なんです。心配で心配で、笑って生きててほしいって……」

そうなんだろうか。
俺たちを殴って育てた母親と新しい父親の面影が脳裏をよぎった。……もう顔も覚えていない父親の、気配みたいなものも。

いくらでもお礼しますと言うおばあさんに俺は会釈をし、背を向けて歩き出した。
呆気に取られた後輩が慌てて追って来る。
「か、金は? いくらでもて言うてるやないですか」と彼は小声で言ったが、俺は振り返らなかった。

何や、これ。
なんで、俺、泣いてるんや。
何や、何なんや、これは……。


思いがけず目の当たりにした自分のなかのあたたかいもの。
面食らった。が、俺は逃げなかった。
このあたたかいモンは何なんや。涙流したンはなんでなんや。何日も何日も向き合い、問い続けた。

そうして、俺はひとつの結論に至った。

徹底的に悪を貫くというのは、俺には無理なんじゃないか。
人に一切の情けを懸けず、金になるものは逃さない、そういう事を一生続ける……そんな事、俺には無理なんじゃないか。
長年忘れていたこんなあたたかい感情が俺にもあると思い出してしまった以上。

だとしたら、どう生きる?

答えは、9歳の俺が知っていた。
9歳の誕生日に手品セットを買ってもらった俺は、マジシャンになることを夢見た。
そして、今日この日まで一日も欠かさずその練習をしてきたのだ。
阪神淡路大震災の日、おたふくや水疱瘡で寝込んだ日、彼女に振られた日、童貞を失った日、おばあちゃんの亡くなった日……一日も欠かさず。

同じ技術を使って同じだけの金を稼ぐなら、人を騙したり傷つけたり怖がらせたりするより
喜ばせたり感動させたりするほうがイイんじゃないか。何より、俺自身にとって。


2007年7月24日、片道4800円の夜行バス「キラキラ号」で俺は横浜駅相鉄口に降りた。

「東京23区内の駅前に店を持つマジシャンになる」
夢ではなく、目標を携えて。

キッカケ④:ホンマもんのワルだったからこそ。

目標は固く握り締めていたが、ほかはないもの尽くしだった。
仕事は決まっていない。親戚も友達もいない。住むところはおろかその晩寝る場所も決まっていないのだ。

毎晩スナックやガールズバー、ホストクラブ、居酒屋の戸を開けた。
「金は要らないんで、手品やらしてください」
ギタリストなんかが一昔前にやっていた“流し”というやつだ。
タダならどうぞ、とたいていの店主は言ってくれる。客に披露すると、なかにはチップをくれる客もいる。
ひと晩で3,4軒回っても収入にならない日もあれば、ひとりで5万円くれる人もいる。
収入にならない時でも、「ご飯食べて行きな」とタダ飯タダ酒を頂くことが多かった。
公園やネットカフェで暮らしながら、週に5回酒を飲む、そんなホームレスだった。大勢の人に助けられた。

流しで稼いだり出張音楽教室をやったりしながら金を貯め、
2009年4月9日、初代引田天功にあやかり大田区の池上にアパートを借りた。
2013年に池上に最初の店を出し、紆余曲折を経て2017年5月にリニューアルオープン。
“両手”を意味する「LAS MANOS」というマジックバーを、いまは品川区で経営している。


悪さを競っていた大阪のあの後輩とは、いまでは人の役に立った事で競い合っている。
ボランティア活動や慈善活動は記録が残らないのでカウントせず、
年に献血した回数を競って負けたほうが勝ったほうの住んでいる場所、大阪か東京に行き、勝ったほうに焼肉とキャバクラをおごる。
鑑別所に入った回数や犯した犯罪のスケールで競うよりずっと気持ちがイイ。ただ、絶対に負けられないが。

勝負にカウントしないだけで、月1万くらいの途上国のチャイルドサポーターなどもしているし、
仕事は別に少年院や老人ホームなどへの慰問のショーや講演は無償で受けている。

よくある政治家や弁護士先生の「昔はワルだった俺もこんなふうに変わりました」という物語は、
本当に絶望した少年、ホンマもんのワルには通用しないのだ。
先生方の言うワルなどたかが知れている。
「ワルいうても、その程度やん」「弁護士ンなれるアタマのある奴はええわな」と冷めた目で見られるのがオチだ。

だから、俺が慰問に行く意味がある。俺は、ホンマもんのワルだったから。
何度も何度も警察さんのお世話になった。
罪を償っていない事など数え切れない。時効になるまで逃げ切っただけだ。
いまでも、俺に騙されたり脅されたりした傷の癒えない人はいると思う。
そんな俺が名前と顔を晒してマジシャンとして活躍することを心底憎く思う人もいるだろう。

そんな俺がその世界から立ち直ったからこそ届く声というものがある。
それに、有名になればなるほど、隠していても昔の事は広まってゆくものだ。してしまった事をなかったことにはできない。
賛否は分かれるだろうが、過去に傷つけた人をさらに傷つけたり不快にさせたりするリスクを負ってでも、
俺はマジシャンとして、 カルロス・ニシオ・セルバンテスとして顔と名前を出してこれからも活動してゆくつもりだ。

メンタルマジックの限界を破ろうと、俺のしゃべれる日本語、スペイン語、中国語の通じない国も回るヨーロッパツアーをしたり、
フラメンコとマジックを融合させるためにスペインのアンダルシア地方にフラメンコを習いに行ったり。
挑戦したい事は尽きないので片っ端からやっている。
ゆくゆくは孤児が普通教育を受けるきちんとした学校を南米のどこかの国に建てて、擬似家族として暮らしたい。


人には、必ず優しい心がある。捨てたつもりでいても、忘れた、なくしたと思い込んでいても。
少年院に入るような子どもたちでも、夢の持てない大学生でも、どこからでも、いつでも必ず人は変われる。
夢を持ったり思い出したりできる。それが早いに越したことはないけれど。

更生することが人生の目的、などという馬鹿馬鹿しい話はない。
いまいる場所が少年院だろうが大学だろうが意に沿わない会社や家庭だろうが、
絶望から立ち上がり、夢や希望を持ち、充実して生き、また人を喜ばせる喜びを知る人生は選べる。
もちろん、俺が言わなくても気づく人はいる。だが、俺が言わなければその心に届かない人もいる。ならば、俺がやらなくて誰がやる?


あなたにも、きっとそんなものが見つかるはず。
人に迷惑ばかり掛けてきた俺がいま胸を張って言う、これが俺のKeyPageです。

追加ストーリー①:カルロス・ニシオ・セルバンテス追加取材決定!あのキッカケを経て

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掲載日:2017年10月20日(金)

鍵人No.0058

カルロス・ニシオ・セルバンテス(かるろす・にしお・せるばんてす)

大阪府生まれ。9歳でマジシャンを志す。犯罪や非行を繰り返してきたが、徹底的に悪を貫けない自分に気づき、マジックで身を立てるため上京。品川区でマジックバー「LAS MANOS」を経営し、メディア出演も多数。

HP: https://www.kakugari.net/

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