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キッカケインタビュー

“すごい男”になるかもしれない男の、エキセントリックすぎる半生。

三島桂太(みしま けいた)

根本改善美容士、株式会社 HPP 代表取締役社長

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
開発した“根本改善美容”という理論をもとに、自分のクリニックで施術する傍ら、人と人の縁をつなぐということも日々おこなっています。2018年12月中旬には書籍も出版予定です。

自身のクリニックで“ゴールの伝えられる施術”をおこなう三島桂太さん。“エキセントリック”という言葉では表せないほど波瀾万丈な生い立ちの三島さんが、自身の怒りに気づき、生き方を覆したキッカケとは......?

キッカケ①:何か願っても叶わないから。

「お母さん!! 」

荷物をまとめて出て行く母さんに、僕は泣きべそで土下座した。

「お願いだから! 一生のお願いだから! 出て行かないで!!! 」


振り返った母さんの浮かべる薄笑い。冷たく突き放すようにも見えたし、悲しそうでもあった。

僕の目線に合わせてかがんで、肩に手を乗せ、母さんは言った。


「桂太。一生のお願いっていうのは、こんなとこで使うもんじゃないわ」



母さんは何度家を出て行ったんだろう。

埼玉の家にいたころもそうだったし、父さん方の祖父ちゃん祖母ちゃんと暮らすようになってからも。

今回は、けっきょく1年近く戻って来なかった。


物ごころついたころから、父さんと母さんの仲はすごかった。

お酒を飲むと暴力を振るう父さん、出て行く母さん。

兄ちゃんの誕生日に父さんがすき焼きをひっくり返したこともある。味が気に入らなかったんだ。


父さんは昔俳優をやっていたんだって。豪快な、昭和の俳優だ。

テレビを見ていると、有名な女優さんを指さして「こいつ、抱いたぞ」なんて言う。

「だいた」ってどういう意味なのかわかんないんだけど。なんかすごいコトだってのはわかるよ。


僕にとって父さんは、恐怖の対象でもあり、かわいがってくれる大好きな人でもある。

「桂太はかわいい。お前は俺の子だ。俺のようになれ」

機嫌のイイ時、父さんはそう言う。

そして、あんまり父さんに似ていない兄ちゃんに向かってこう言い放つんだ。

「お前は、段ボールから拾ってきたんだ」


僕は父さんに愛されている。殴られることもあるけど、兄ちゃんと違って愛されている。

兄ちゃんより僕のほうが上なんだ。


父さんの目を気にしてオドオドしている兄ちゃんと対照的に、僕は狂犬みたいに育った。

保育園では毎日物置に閉じ込められて過ごした。暴れたり噛みついたりするからだ。



じきに両親は離婚。

父さんは僕らを行かせまいと家に閉じ込めて、僕は2階の窓から飛び降りて。

母さんに連れられて僕らは広島に引っ越した。


生活のために、母さんは昼も夜も働くように。

傍にいてほしい子ども心と、僕らに不自由させたくない親心のすれ違い。


「あいつは悪魔だわ。桂太、あんたは悪魔の血が濃いから、気をつけなさい」

父さんを否定する母さんの言葉。

母さん大変だったもんな、そうなのかな、と思うようになるのと同時に、やりきれない気持ちも。

自分の半分が、自分の母親に否定されているってコトだもん。


「あんたはだいじょうぶそうだから。私はお兄ちゃんが心配だから、お兄ちゃんだけを見るわね」

ある時、母さんにそう言われた。


「桂太は俺の子だ。お前は俺のようになれ」

父さんの言葉を思い出す。怖かったけど、父さんの傍にいたかった気持ちも本当なんだ。

でも、父さんは悪魔......。


父さんの傍にいられなくなって、母さんにも突き放された僕。

そもそも土下座をした4歳の時、何かを願ったって叶わないんだなって思い知って。

誰かを信じるなんて、そんなコト......。


荒んで荒んで、強くもないのに中学生に絡んでは、ボコボコにされる。

クラスには馴染めないから、小中と陸上部で頑張った。

練習していると、サッカーボールが飛んでくる。動く的なんだよな。


それでも部活は楽しかったし、楽しくない昼間の時間は三国志の小説を読んで過ごした。

総じて、楽しいとはとても言えない日々だけど、そんななかでもなんとか楽しみを作り出そうとしたんだ。



このままここにいてもどうにもならない。

スポーツ推薦でよその地域の高校に進学して、バイトしながら寮生活を始めた。


ただのスポーツ推薦じゃない。陸上で日本一の高校だ。ケニア人とかいるし。

「地元にいたくないから」ってこの高校、部活を選んだ僕。ほかの部員たちとの温度差がハンパなくて。


推薦じゃないみんなは地元から進学して、僕だけよそから来たわけだから、友達もいない。

眼鏡をコンタクトに変えたこともあって、最初の1週間だけはモテた。

「あの無口なイケメン、誰? 」よそのクラスの女子が休み時間に覗きに来るんだ。

でも、口を開くとみんな離れて行く。


親も誰も信じられない、自分のことも大嫌い。

人間性ってのは、二言三言交わせば伝わるもんだよね。


中学のころはクラスから逃げるために陸上をしていたけど、高校では陸上部でもハブられて。

高2の冬、無理くり退部した。

推薦で入った奴が、怪我でも不祥事でもなく「やりたくないから」って理由でやめるなんて、うちの部では初めてで。

その後もクラス内の陸上部員に嫌がらせされた。ま、彼ら以外にも好かれちゃいないんだけど。


逃げグセと表裏一体でもあるけど、「ここしか居場所がない」っていう考え方は昔からしなかったから。

クラスがつまんないならほかのクラスに友達を作ろう。学内でモテないなら他校に彼女を作ろう。

そんなふうに過ごしてはいた。



その日、僕はバイト先のファミレスでハンバーグを焼いていた。


こめかみがピクっとした。

「何だろう? 」

頭痛っぽい。頭痛のない人生なんかないわけないから、気にせずに仕事を続けていたんだけど。



その痛みがとんでもなく大きくなる。バットで殴られるような激痛。

立っていられなくなった。かがみ込んで、倒れて、呻いて、叫んで......。


意識が遠くもなれば、かえって楽かもしれないのに。

脈とおんなじペースで襲ってくる頭痛は、叫んでも叫んでも、紛れない。収まらない。遠のきもしない。


何なんだ、これは。僕の体、僕の人生、どうなっちゃったんだ。

それでなくても希望なんかなかった人生。こんな、ワケわかんない肉体の痛みまで抱えて、僕は......。

キッカケ②:その声は、誰の。

あっちこっちで原因不明って言われ続けた頭痛だけど、神経内科ってとこに行って初めて言われた。

「群発頭痛ってやつですね。基本的には一生治らないです」


別名、“自殺頭痛”。

自殺したほうがマシなくらいの頭痛だから、“自殺頭痛”だ。文字どおり自殺者も多い。


24時間365日、殴られるような頭痛があるわけじゃない。

特定の季節の、一日のうちの数時間、痛みが襲ってくるんだ。


普通に生活できる時間もある。ただ、一度始まると地獄。

「次はいつ来るんだ」

「いまはいいけど、数分後はわかんない」

人も世界も信じられない僕だったけど、自分の体すら信じられなくなった。

警戒しながら、恐れながら、怒りながら生きる日々。



それはそうとして、人とのコミュニケーションがもう少しうまくなりたい。

人は信じられなくても、努力して生活が楽しくなるならそうしたい。

どんな環境でも楽しみを作り出してきた僕だもん。


滑舌は悪いし、声も小さいし。そうだ、声優の学校に行こう。

学費は出してもらえないから、新聞奨学生っていう形で大阪の演劇学校に進学した。


学校で学んだだけじゃ、コミュニケーション能力なんか高まらない。

一日2時間睡眠で新聞配達や集金、学校での勉強をしつつ、2年間で200人ナンパした。


彼女が欲しいとかエッチしたいとか、そんなのどうでもよくて。

その日その時間を全力で楽しむ初対面の相手を求めて、声を掛けまくった。

「絶対に連絡先聞かないから」って言うと、断られることもあるけど、案外付き合ってくれる女の子もいる。

美人も不美人もメンヘラもギャルも、選り好みしない。いろんな女の子と過ごした。


相手の反応を見ながら、知り合ったばかりの相手を楽しませるための引き出しを増やしていく。

克服したかったコミュニケーションの課題は、これである程度乗り越えられたかなと思う。


ただ、なんか、変な人を引き寄せることが多かった。

電車内やそのへんの道路でやたら難癖付けられたりするんだ。



専門学校卒業後、上京して、プロダクションに所属した。

タレントとして仕事したかったんだけど、「顔がいいんだから俳優をやれ」って大人の事情に押し切られて。


納得できなかったし乗り気じゃなかったけど、やるだけやってみた。

俳優だった父さんへの憧れもあったのかな。

「お前は俺に似てるから」「俺のようになれ」


そんななかで、舞台を観に来てくれた女の子と付き合い始めた。

僕に一目惚れしたらしい。そんなコトもあるんだな。


家族のことが大好きな女の子だ。気仙沼の実家に年に4回も5回も帰省する。意味不明。

「その交通費で、何回俺とデートできんだよ? 俺のこと好きなんだろ? 何考えてんだよ? 」

理解できなくて悪態をつく。彼女はケロっとして、

「でも家族が大切だから、帰るね」



東京でも変なコトがたくさん起きる。

電車内でいきなり殴られるとか、日常茶飯事。歌舞伎町でホスト数十人に追っ掛け回されたこともある。


何なんだろう。

人前で変な事なんかしないし、ナンパの成果で普通にコミュニケーション取れるようになったし。

僕に特別原因があるとも思えないのに。


なんでうまく行かないんだよ。

ファンが足りないから? お金がないから? 社長のせい? 彼女のせい? 生い立ちのせい?


23歳の3月11日。東京が揺れた。

そして、こっち以上に揺れた場所があったとすぐに知った。


彼女の実家は流された。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも亡くなった。

ご両親が無事だったのは不幸中の幸いか。


バイトと俳優業をして、足りない分は消費者金融から借りて生活する。

お金を下ろす感覚で借りていたら、いつの間にか借金が200万くらいに膨らんだ。


いろいろどん詰まりになって。

大家が来ても布団にこもってやり過ごしたり2階から逃げたりして、家賃を10ヶ月滞納した。


すると、住んでいたアパートが姉歯建築士の耐震偽装物件と判明。

「1週間後に取り壊します」

滞納のある僕にはもちろん補償なんかない。24歳にして僕はホームレスになった。



「今日は代々木公園に来て噴水とかバラとか見てまーす。リフレーッシュ! 」

役者としてのブログに写真付きの記事を上げると、「桂太くん、がんばってー」なんてコメントが付く。


代々木公園、寝床だからね。ツイッターなら「自宅なう」ですよ。


そんな俳優業もいろいろモメてやめた。そのトラブルがきっかけでうつ病も発症した。


家ないし、仕事なくなったし、自殺頭痛治らないし、うつまで持っちゃった。

何もかもうまく行かない。

何なんだ、この人生。どうしたらいいんだよ。


頭の上に果てしなく広がる代々木公園の空に尋ねた。

「なあ。俺、何がしたいの? 」


――体治したら?



空が、答えた気がした。


空なのか。

それとも、これは僕の......?



そっか。体、治そう。

キッカケ③:自分の体の声を聴いて。

整体でバイトを始めた。体を治すために、とにかく金を貯めることにしたんだ。


稼いだ金を家賃に使ったら元の木阿弥だから、家は代々木公園のまま。

稼いだなかから食費なんかを除いて、月10万以上を治療費に使う。

整体なら、働きながら体のことも学べるはずだからね。



冬のホームレス生活なんか苦しいから、東京で姉ちゃんと同居している彼女に同棲をせがんだこともある。

「俺いま大変なんだからさ、俺を助けてくれよ」

「俺のこと愛してるんだったら、親に金借りるとかして助けろよ」


彼女はいつもキッパリしている。

「もちろん愛してるけど、それはけいちゃんのタメになんないから」

「何だよそれ。っざけんな! 」

「だってあなた、したい事があるんでしょ? 体治すんでしょ? 心の声が聞こえたんでしょ? 」

そう言われるとグウの音も出ない。確かに、そのとおりだし。


でもまあ、なかなかひどい事を言ってきた。よく愛想尽かされなかったもんだ。

「根拠はないけど、いつか私をしあわせにしてくれる人だと思う」

これが彼女の口癖。



そういうわけで、彼女には頼れない。段ボールとブルーシートのホームレス生活は安定的に継続。


家ないし、外寒いし、うつ治らないし、腹減ったし......。

また頭痛の出たその年の冬、耐えきれなくて頭や顔をあちこちに打ちつけた。

死ぬほど重い頭痛で死ねないなら、いっそ自分で......。


夜は明けた。生きたまま、次の朝を迎えちゃった。

体力を使い果たして放心状態の僕。白んでいく代々木公園の空。


「人間、簡単に死なないんだな。この国じゃ死ねないし、殺されることもない」


それは絶望であって......同時に、絶望の上に立つ希望みたいな感じでもあった。


たった一回の人生。

僕の人生、簡単には終わらないんだ。

僕の人生、僕が生きなきゃいけないんだ。

僕の体は、僕が治すしかないんだ。



治療にも金を掛けたし、整体で学んだ知識も取り入れて生活して、不治と言われた自殺頭痛は26歳の時に出なくなった。

ただ前後して、ナルコレプシーっていう過眠症の症状が出るように。

普通に生活していて急に寝落ちするんだ。まどろむっていうプロセスをすっ飛ばして、いきなり熟睡する病気。

あれこれ難儀な体だ。でも、諦めたって何も変わらないし。


整体や医療業界の常識もだんだんわかってきて。

基本的に対症療法。ひとつの症状に対してひとつの原因しか見ないし、アプローチしないんだ。

もしかして、ここが間違っているんじゃないかな。


仮にホームレスじゃなくても、いまの日本社会で生きていてひとつのストレスも受けないなんてコトあり得ない。

うつや頭痛、過眠症克服のためにストレスを減らすことも、もちろん大事だけど。

“ストレスに耐えられない体になっている“っていう歪みそのものを整えること。

これで、多少のストレス社会でも健康に生きられる心身が得られるんじゃないかな。


リフレクソロジー、足踏み、ストレッチ、アーユルヴェーダ、五行説、オイル、骨気、骨盤矯正......。

健康に関する思いつくかぎりの環境でバイトして学んできた。

そうして得た知識と僕自身の体の声、それに直感を頼りに、自分なりの理論を探り始めた。

ホームレスなりに食事を変えたり、全身の骨を動かすっていうことを日々してみたり、リンパを整えたり。


すると、次から次へと起きていた心身の不調が2ヶ月で完治。

「何だ、これ! なんかすごいの開発しちゃったな! 」



震災の3年後。長らく付き合ってきた彼女とようやく同棲しようかというころに、彼女の両親が自宅を新築した。

ちょうどいいタイミングなので挨拶に行き、同棲の許可をもらおうとした。


その家族がね、もう、あったかいのよ。“ザ・家族愛! ”って感じ。

こんなのおとぎ話の世界だと思っていたよ。

僕の人生には縁のないもの。息子の誕生日に父親がすき焼きぶちまける家庭だからね。


僕がどんな無茶苦茶を言ってもどっしり構えていられる彼女。その土台がわかった気がした。

こんなあったかい家庭で、無条件に愛されている自信や自尊心を育んできたから、彼女は動じないんだ。

人生に困難や想定外が起きても、彼氏がこんなんでも、自分の選んだものを信じてブレずに生きていける。


こうやって注がれてきた愛を、彼女は僕に注いでくれていたのかな。



「同棲するくらいなら入籍しなさい」

彼女のお父さんの言葉で、同棲の予定は結婚に変更。


まだまだ課題の多い人生だけど。

ずっと傍にいてくれた女性と正式に家族になって、27歳の僕は人生の新たなステージに踏み出したんだ。

キッカケ④:自分軸の人生を。

そんなある日。バイトしてきた整体で、社外研修なるものを受けることになった。

所長の知り合いの、脳科学の先生の研修だ。カウンセラーでもあるとか。


心の仕組み、脳の仕組みを、専門家の観点から......でもわかりやすく説明してくれる。

理論の勉強のあとは実践編、ワークだ。

30人くらい受講していたなかで、なぜか僕が名前を呼ばれてこう言われた。


「お金って楽々儲けることができる。もっと簡単にしあわせになることができる。

......このふたつだけ言ってみてください」


“言ってみてください”だから、普通言えるよね。言うだけだもん。

だけど、僕の口から飛び出たのはそんな言葉じゃなかった。

「お金ってさ、楽々儲けるもんじゃねえだろ。しあわせってさ、簡単に手に入ってもおもしろくねえじゃん! 」


なるほど、って先生は頷いて。

「じゃ、10段階で考えて。

10が「言いたくない」、ゼロが「その言葉が楽しくワクワク言える」だとしたら、いま数値どのくらいかな? 」

「じゅーご!! 」


先生は言った。

「10は「言いたくない」......そうだな、「ちょっと、無理です言えないです......」みたいな感じ。

でもそこに余計な5が加わってる。

その5はね、“言えない”とか“抵抗感”とかに“怒り”がくっついてる状態なんだよ」



戦慄が走った。これが.........これが、僕の人生のからくりだったのか。

抵抗感に、さらに怒りなんてやつが加わって、僕はみずから物事を複雑にしていたんだ。


「世の中、みんな同じようにチャンスが来てるんだ。

楽々儲けるって、なにも人を騙すとか悪い事をするってコトじゃない。

純粋に、稼ぐのに苦労する方法と、楽な方法がある。その楽な方法が三島くんの目の前にも来る。

でも君には抵抗感以上に自分や世の中に対する怒りがある。

だから、これまでそういうのをピシャッとはねつけてきたんじゃないかな? 」


確かに、人並み以上の才能や情熱があるわけでもないのに役者なんて仕事を選んだ僕。

冷静に考えると、“楽に稼げない仕事”をあえて選んできたとしか思えない。

「しあわせの難易度を上げてきたのは、三島くん自身なんだよ」


大阪でも東京でも、街中で見ず知らずの人に理不尽なほど絡まれてきた。コミュニケーション能力はついたはずなのに。

それもこれも、僕のなかの怒りが引き起こしていたのか。


「どうせ、何かを願ったって叶わないんだ」

「父さんにも母さんにも見捨てられた俺なんだ」

「うまく行かないのは世間のせい、親のせい」

そんな怒りがあるから、応援してくれる人も離れていく。

人の縁もお金の縁も、僕が原因でうまく巡らなかったんだ。


って考えると、そんななかでも僕を信じ続けてくれる妻と出逢えたのは、とんでもない幸運だった......。



とはいえ、現状「楽々お金を......」って言おうとすると、言えないわけで。


言おうとするその時、体のなかで反応する箇所があるらしい。強ばったりして、普段と違った反応を示すんだ。

僕の場合は喉のまわりかな? 肩かな? 自分で探っていく。

その力んだ箇所を、手で触る。

そして、力みをつかんで体外に捨てるようなイメージで、体を動かす。

その反応がなくなって自然な状態になるまで、何度も何度も繰り返すんだ、って教わった。


モノの3分で、僕は「お金って楽々儲けられる! 」「もっと簡単にしあわせになれるね! 」って連呼していた。

心が軽い。言葉だけじゃなくて、本当にワクワクする。数値が、15からゼロになったんだ。

「やべえ。これ、マジやべえよ!!! 」



帰宅した僕は妻に言った。

「あのね、むっちゃん。俺、もうだいじょうぶだよ。

......ありがとう。ホントにありがとう。これから安心して、楽しみにしててね」


妻はニッコリ微笑んだ。

「いいねー。そっかあ、いいねー! よかったねー! 」


やっぱり、この人はバケモンだ。とんでもない器で、愛で、僕を包み込んでくれる。



長年の癖があるから、一度ゼロになった抵抗感や怒りもちょっと気を抜くとまた湧いてくる。

でも、毎日の通勤時間にワークで力みを抜くルーティンを設けたから、じきに怒りも抵抗感もない状態がデフォルトに。


湧いてきたアイディアややって来たご縁に素直に従ってお金を使うと、長年減らなかった借金は3ヶ月で完済できた。

ハワイへの新婚旅行から戻ってくると、所長とオーナーの不倫だか横領だかで会社がなくなって、給料2ヶ月分未払いに!

そんな事態でもバケモンの妻は微笑んで、

「あなたの器がおっきくなったから、合わない人や環境が去ってくれたんだよ。けいちゃんが独り立ちするためのプレゼントだね」


彼女の言葉と信頼を支えに、ホームレス時代に確立した理論を“根本改善美容”として、僕は会社を設立、クリニックを開業した。

母さんや父さんへのこんがらがった感情も紐解いていった。

亡くなる少し前に父さんに会って、家族が出来たって伝えることもできたんだよ。


もちろん、経営でも人生でも、新しく挑戦するうえで困難や問題は生まれるんだけど。

怒りじゃなくて自分や世界への信頼を土台に、冷静に解決策を探り、人を大切にして誠実に生きていく。

そうすれば、クリアできない問題なんか起きないんだ。


起こる出来事を外側の何かのせいにしていたのは過去の僕。

「これは何のチャンスだろう? 」「何に気づくための問題かな? 」って自分に問うのが、いまのデフォルトだ。


そして、何でもやってみるコト。

なんだかんだ、行動しなきゃ人生は変わらない。


あの研修を受けた30人のうち、ワークを続けたのは僕だけだったんだよね。

会社がなくなった時、残りの社員のほとんどは、2ヶ月分の給料50万を取り返すために300万掛けて3年裁判で争うことを選んだ。

もちろん、そういう生き方もアリ。怒りに駆られると冷静になれないよね。僕も昔ならそうしていたかもしれない。

だけど、僕はあの時あのワークを真剣に自分のものとして受け止めて、行動した。それが岐路だったかなと思う。



父さん譲りなのかな、なかなかエキセントリックな僕の人生です。

まだ何も成し遂げちゃいないんだけどね。


「行動することが大事」「困難は課題に気づくためのメッセージ」みたいな、どんな人にも当てはまるエッセンスもあるとは思うけど。

どっちかっていうと、僕の物語を読んで学びを得るより「こんな人生あるのか」ってびっくりしちゃう人のほうが多いかもしれないね。

それはそれでイイと思っていて。


あなたの人生に何か起こった時、「三島の波瀾万丈と比べたらマシかも! 」なんて踏み台にしてもらってもイイ。

映画か小説と同じ、ヤな事を忘れるエンタメとして、笑って読んでもらってもイイ。

僕の生きてきた軌跡が、何かしらあなたの人生の助けになればうれしいな。



何が本当に伝わるのか、僕自身わかんないけど。これが、僕の人生の KeyPage です。

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掲載日:2018年11月15日(木)

鍵人No.0078

三島桂太(みしま けいた)

1987年生まれ、広島県育ち。17歳で群発頭痛を発症。専門学校卒業後、俳優業や様々なアルバイトを経て、美容業界に転身。うつ病やナルコレプシーなどを併発しながら、自身の病気を独自の理論で完治。28歳の時に「根本改善美容」理論をコンセプトに自身のクリニックを開業。

HP:http://www.hppsalon.com/

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