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キッカケインタビュー

使命を見つけて、輝かせて──家族と世界中の友達に気づかされた夢。

松本真奈美(まつもと まなみ)

特定非営利活動法人「SC HURRAY」代表理事

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
世界で唯一の“応援するスポーツ”チアリーティングの“チアスピリット”で、チアリーディングや講演など、世界平和のための活動をおこなっています。

「三つ子の魂百まで」のとおり、3歳で抱いた夢を現在も追求する松本真奈美さん。難病の弟に励まされて育てた夢を、一度は忘れていたのですが......世界平和のための教育活動に邁進する松本さんの半生を追いました。

キッカケ①:弟のチカラと、ふたつの夢。

ついたのは、日本とおんなじちきゅうだった。

まどからずっと外を見ていたのに、いつまでたっても星は見えなくて。だんだんちきゅうが見えてくるはずなのに、見えなくて。
そのまま“アメリカ”ってトコについた。おかしいなあ、どういうコト? “アメリカ”ってわくせいに行くんじゃなかったの?



3さいのあたしは“アメリカ”での生活を始めた。
階段にカーペットがしいてあるようなおっきなおうちに、いとこの家族が住んでいる。
そのおうちであたしたち家族も暮らすんだ。いとこの通うようちえんやしょうがっこうにもついていく。

そこには、見たこともないような子がたくさんいた。
キラキラな髪の毛の子、透きとおった目の子、あたしとはちがう色の肌の子、
聞いたこともない言葉を話す子、おっきなタイヤのついたイスに座っている子。
すぐに仲良くなって、いっしょに遊んだ。追っかけっこをしたり、ごっこ遊びをしたり、お花をつんだり。
言葉はちがってもニコッと笑う顔はみんなおんなじで、笑い声もおんなじだった。



「そっかあ。ちきゅうには、日本じゃない国があるんだ」
「日本人とはちがった国の子がいて、見た目もちがって、いろんな言葉をしゃべってるんだ」
「言葉がわかんなくても見た目がちがっても、いっしょに遊んで楽しいなって思う気持ちはおんなじなんだ」

初めて、夢っていうものが生まれた。
「世界中の人とお友達になりたい!!! 」



日本に帰ったあたしに、ママはステキな事を教えてくれた。弟が生まれるんですって!
ママのおなかに耳や手を当てながら、もうすぐ生まれてくる命を愛おしく思った。
そうして迎えた男の子。あたしは5さいで“お姉ちゃん”になった。

パパとママの一人娘だったあたし。「ママとパパが取られちゃった」っていう気持ちもちょっとだけ生まれたけど。
弟をかわいく、大切に想う気持ちもホント。このしあわせな生活がずっと続くんだと思っていた。



弟はスクスク育ち、1年が過ぎた。いつものようにしあわせな一日が終わり、あたしはお布団でうとうとしていた。

物音がした。ママの叫び声、パパの太い声……。
ドラマでしか聞いたことのない、きゅうきゅうしゃの音が近づいてきて、……また遠ざかっていった。
そして、静かになった。静かすぎる。

「何が起こったの……?? 」


翌日、あたしはお友達の家にあずけられた。
何日かたって、弟に会いに行くことになった。会いに行く先は“びょういん”。家族に会うのに、なんで“びょういん”に行くの?

おっきなびょういんの奥のお部屋に、弟はいた。見たこともないきかいに囲まれて目を閉じている。
パパとママの話から、弟に何か大変なコトが起きたらしいとわかった。
それが何なのか、全然わかんないんだけど。あたしたち、何かが、変わっていく……。



あたしはおじいちゃんとおばあちゃんの家にあずけられた。
新しい場所で新しいお友達ができるのはうれしい。でも、パパやママ、弟に会えないのがさみしくてさみしくて……。
おじいちゃんとおばあちゃんももちろん大好き。だけど、だけど……。


小学校に上がるころ、あたしはもとのおうちに戻った。弟も戻ってきた! 家族4人でまた暮らせるんだ。

だけど、弟は何度もびょういんに運ばれた。せっかくおうちに戻ってきたのに、パパやママと過ごせない日が続く。
れいぞうこに入れられたおかず。すいはんきから自分でよそうご飯。
ひとりで食べるご飯がだんだんのどを通らなくなっていった。


ある日の朝。いつものように起きようとすると、脚に力が入らない。歩けない。……立てない!?
「ママ! ママ、パパ!!! 脚が……」



いろんなびょういんでけんさをした。弟のびょういんで見たのと似たような、おっきなきかいもあった。
「ママやパパのいない時は歩けるんだね」
そうみたい。ママやパパが来てくれる時だけ、力が入らなくなる……。

“こころのびょうき”だ、ってお医者さまは言った。


歩けるようにならないまま、退院した。その日からパパとママはあたしをいろんなトコに連れて行ってくれた。
弟のことはイイのかな、と思ったら、いまは“しせつ”っていうトコにいると言われた。
びょういんだとママたちがいなくちゃいけないけど、そこにあずけるとだいじょうぶらしい。
あたしのために、あたしと過ごすために、ふたりは時間を作ってくれたんだ。

牧場、山、川、温泉、テーマパーク……初めて行くいろんな場所で、一日中時間を過ごした。お泊まりもたくさんした。

「パパとママは、あたしのことを忘れてたわけじゃなかったんだ」
「いまは弟が大変だからそばにいられなかっただけ。あたしのことがキライになったわけじゃない」
「あたしはちゃんと愛されてるんだ……」
あったかい気持ちが心を満たしていく。少しずつ歩けるようになった。

あたしは1ヶ月で健康な体を取り戻し、休んでいた学校にも戻った。



家族で暮らせるようになったものの、具合が悪くなると何度もにゅういんする弟。しんぞうが止まることもある。
ある時、びょういんに運び込まれた弟のトコに駆けつけると、弟はうっすら目を開いてあたしを見た。

――お姉ちゃん。僕、生きるからね。

力強い目に、そう言われた気がした。
言葉をしゃべることも、自分で歩くこともできない弟。その弟に、あたしはなんて大きなチカラをもらっているんだろう。



小学2年生になったあたしは、国語の教科書に書かれていたあるお話に、首をかしげた。

遠い遠い国で、栄養の足りない子どもたちが、バナナの皮の下で死んでいく。
それは空想の物語じゃなくて、いまこのちきゅう上のどこかで起こっているコトらしい。

「どういうコト? この子なんで食べないの? 子どもが死にそうなのに、なんでお医者さん助けないの?? 」
ワケがわからなかったので、ママに頼んでその本を買ってもらった。
くろやなぎてつこさんという方が、お仕事で世界を回って書かれたんだという。


そこには、知らなかったコトがたくさん書かれていた。

あたしと同じくらいの年の子が、おっきな武器を持っている。
あたしと同じくらいの年の子が、手足をなくしたり、村を追われて道端で眠っている。
あたしと同じくらいの年の子が、食べるものがなくて死んでいく。

日本でも、アメリカでも、こんなの見たことがない。
こんな……こんなコトが、こんなひどいコトが、いまこのちきゅう上で起きているの!?



毎日両親に愛を注がれて、弟からも勇気をもらって生きてきたあたし。
「生きることって、なんてすばらしいんだろう」弟の力強い目や笑顔から、日々そう感じていた。
そこに優劣なんかなくて。誰もがみんな大切な存在。
どうでもイイ人、傷つけてイイ人、死んでもイイ人なんか、この世界にひとりだっていない!

日本は何十年も前に“せんそう”っていうのをしていた、そんな話も聞いた。
世界には、いまも……あたしが平和に暮らしているいまも、人が人を殺す“せんそう”をやっている場所がある……。
食べ物はたくさんあるのに、日本やアメリカじゃないトコに生まれた人はおなかを空かせて死んでいく……。


もうひとつ夢ができた。
「世界中の人とお友達になりたい」これ以外の、もうひとつの夢。

「世界を平和にしたい。この世界のために何かできる人になりたい」
人間の起こす問題で悲しんだり命を落としたりする人がひとりもいなくなる世界を、あたしは作るんだ。

キッカケ②:自分のために、何だってできるんだ。

弟の病気は、前よりは落ち着いてきた。
お医者さまやヘルパーさんが来てくれて、弟の家での生活を助けてくれる。家族みんなで過ごせる時間が増えた。

みんなでご飯を食べたり、お出掛けをしたり。何気ない毎日がしあわせ。
弟は、自分で歩くこともしゃべることもできないけど。ニコッと笑ったり、感情を表したりする。
私たち家族も、ヘルパーさんも、周りの誰も彼も……弟が笑うとうれしくなる。

笑顔ってすごいな。
そういえば、言葉の通じないアメリカでも、あたしやお友達は笑顔でつながって遊んでいたんだ。
言葉を発するコトができなくても、弟はこうやって笑顔であたしたちにしあわせをくれる。



そんなあたしが釘付けになったのは、紅白歌合戦のオリンピック選手の紹介の場面だ。
キラキラ輝く選手を紹介する音楽に合わせて……とってもステキな笑顔のお姉さんたちが、踊っている。
踊るだけじゃない。お姉さんの上にお姉さんが乗ったり、ジャンプしたり、宙返りしたり……
そんなすごいコトをしながら、お姉さんたちはとびっきりの笑顔なんだ!!!
「何だ、これ!? すごい!!!!! 」

チアリーディングっていうそれを、あたしもおっきくなったらやろう。
弟があたしに教えてくれた、笑顔のチカラ。あたしも、笑顔で人に勇気や元気を届ける存在になりたい!!



小学4年生になった。あたしのクラスに転校生がやってきた。ちっちゃな男の子だ。

小学校に上がってから、ちょっと内気になっていたあたし。
人前にも立たないし目立つこともないあたしに向かって、
「やーい! ブタ、ブタ!! 」
その男の子はそんな悪口を言い始めた。

なんでそんな、人を傷つけるようなコト言うんだろう。なんであたし、そんなコト言われなきゃいけないんだろう。
お友達や先生に相談することもできず、メソメソ泣いて、1ヶ月くらい経ったある日。


「待て。なんであたしが、あんなヤツのために悩まなきゃいけないの? 」
あたしのなかの何かに火がついた。


そんな理不尽に泣くしかできない自分が歯がゆい。
あたしも、誰も、もちろんその転校生も、誰かにとっての大切な存在、かけがえのない存在であるはず。
そんな人の心を、傷つけていいワケがない。傷つけられるがままにして泣くだけだったあたしも、間違っている。
「あたしが、あたしのために、ちゃんとしなきゃ」

そう思い立った1週間後、学年集会があった。
その集会が終わって解散しようとする時、あたしはみんなの前に出て、その子を呼びつけた。
「お前があたしに今日までやってきたコト! いまこの場で土下座して謝れ!!! 」



その子は、土下座した。泣きながら土下座してあたしに謝った。
その姿を見下ろすあたしの心には、さわやかな風が吹き抜けていった。
「……勝った。あたしにもできた。できたんだ」


人前に出るどころか、大勢の前で自分の気持ちや要求を表現すること。
自分のために行動すること。

ドキドキしたけど。怖いっていう気持ちも、あったけど。
でも、できた。ちゃんとできた。
「あたしにできないコトはないんだ」

家族の愛に育まれてきたあたしの心。そこに、“あたし自身”という味方がさらに加わった。
どんなに怖い事でも、苦手な事でも、あたしがあたしを信じていればちゃんとできるんだ。


その日から、あたしは人前に出るのが苦じゃなくなった。気持ちや意見を言うこともできるようになった。
お友達を作ったり、お友達と過ごしたりするのは、前と変わらず大好きで。
愛にあふれた家族と、誰より力強い弟と暮らしながら、あたしは日々を過ごしていった。



高校ではバトン部に入って、大学ではもちろんチアリーディングをして。
チア部と合コンに励みながら、充実したキャンパスライフを過ごしている。明るくて外交的な性格は誰もが認めるところだ。



リーマンショック後なので大変な就活ではあったけど。
大手企業の試験をいくつか受け、とある金融機関への就職を決めた。
「これで、私の人生バラ色だわ! 」
きっとこの会社の先輩か同僚と結婚して、育休をもらいながら子育てして、定年まで勤めるんだ。


人は大好きでもモノや観光には興味のない私。旅行はそんなに好きじゃない。
卒業旅行でオーストラリアやハワイに行こうと誘われても、「興味ないよー。お金掛かるし」と断ってきたんだけど。
4年間チア部で切磋琢磨してきた同期がサイパンに行こうと言い出した。

さすがに、それを断るほどKYじゃない。
なんといっても、人の好きな私。彼女らと行くなら、サイパンだってどこだって楽しいに決まっている。
とはいえ、正直、「国内の温泉でイイじゃん。海なら八景島にあるよー」とは思ったけど。



サイパンへの興味はあまりなかったんだけど。往復チケットとホテルを取り、仲間と4泊5日の旅行に出た。
大学卒業を目前にした3月のことだった。

キッカケ③:開いた心の導く道を。

過ごす仲間も楽しいけど、泊まったホテルがまたすごかった。
ホテル内に、ウォータースライダーとかカヤックとか、100種類ぐらいのアクティビティの選択肢があるの!
目の前はキレイなビーチだし、アクティビティ専用の現地スタッフもいて、すぐに仲良くなって。
遊びを教わるだけでなく、新しい友達と夜はお酒を飲みながら腹を割って話したりした。
もちろん傍には大好きな同期たち。もう、楽しくて楽しくて……。

チアに没頭したキャンパスライフもすばらしかったけど。
ここで過ごす楽しさは、心が生まれたての赤ん坊に戻ったみたいな、たまらない感覚。
「今日は何するの? 」「この次は何するの? 」
眠るのも惜しいくらい!



大好きな仲間と新しい友達と全力で楽しんだ滞在を終え、さあ空港に向かうというその時。
顔なじみになったドアマンが、5人いたグループのなかの私だけに向かってこう言った。

「You have a BIG HEART! 」



時が止まった。心に風が吹き抜けた。

“A BIG HEART”

「……そういえば」


私には、世界中に友達を作るという夢があった。
世界に貢献する人間になりたいんだった。
私の可能性って、世界を見渡せばもっともっとあるんじゃない?

忘れていたいろんなコトが走馬灯のようによみがえってくる。
日本の、自分の安泰な将来にしか向けていなかった私の目の、心の目の、開いた瞬間。



翌月、私は社会人になった。
先輩も上司も優しくて、営業の仕事にもやりがいがある。
何をする時でも全力投球の私。どんどん成績を伸ばしていった。
「お金を頂くっていうのは、自分が誰かをしあわせにした対価なんだな。なんてステキなんだろう」
社会で働く喜びを噛み締めていた。

“ど”の付くホワイト企業だ。定時勤務は当たり前。お給料もイイ、福利厚生もすばらしい。
子どもを産んだら育休3年。昇進のペースもほぼ決まっている。
何年勤めたらどのくらい出世してお給料がいくらになるのか、入社した時点でわかってしまうほど。
「40歳になったらこのくらいのお給料もらってこういう生活して、50になったらこのくらいの水準の生活で、
 あの人の座ってるあのあたりの椅子にあたしも座ってる……」

未来が全部見える。安定。安心。不満なんかひとつもない。
もしあの時サイパンに行っていなかったら、私はこの環境に何の疑問も持たず、勤め続けただろう。


だけど、私は、あの時サイパンに行った。
心がぱあっと開いた。
忘れていた夢を思い出した。

あの日までの私に戻ることは、もうできない。



世界に出ようと思った。

怖いけど。安定や肩書きをなくすなんて、怖いけど。
だけど、夢を思い出した心で、会社にも自分にも嘘をついてここで生き続けることはできない。
自分の可能性は自分で拓いてあげなくちゃ、誰も代わりにそんなコトやってはくれないんだ。

世界中に友達を作ることと、世界平和に貢献することとは、きっとつながる。働きながら、そう思い至った。
世界中をこの目で見て、友達を作って彼らのリアルな声を聞くことが、世界への貢献の第一歩になるはずだから。


300万円の貯金を目標に働き、2年半後、私は会社に辞意を伝えた。
半年間、代わる代わる上司に説得された。それも道理だ。
私はおもいを真摯に伝え、丸3年でその会社を退職した。

「ママ! パパ! 今日、会社辞めてきたの。あたし、これから世界を回ってくる! 」
25歳の私の、新しい人生の幕開けだった。新しい人生……本来の人生、なのかもしれない。

キッカケ④:この家族の一員として。

半年長く勤めたおかげで、予定よりたくさん貯金ができた。
そのお金でまずはニューヨークの語学学校に。1ヶ月みっちり英語を学ぶことにした。
チアのポンポンをバッグに、いざニューヨークへ!

「ハイ! あたしはマナミ、日本から来たの。あなたは? 」
「ここを卒業したあとは、この目で世界を見て回るの! あたしの夢はね……」
毎日毎日新しい友達が出来、仲良くなる。
「世界中に友達が作りたい」ひとつ目の夢があっという間に叶っちゃった!

世界中から集まった仲間に、「私の国に来る時は、うちに泊まりにいらっしゃい! 」と言われる。
もともと、観光には何の興味もない私。
その国で仲良くなった人の家に泊まって、現地に溶け込むような旅がしたい、と思っていた矢先に、
全世界に「泊まりに来て」と言ってくれるおうちが出来た。なんてステキなお導き。
半年長く勤めさせてくれた元上司の皆さん、ありがとう!
ひとつ目の夢が叶い、したかった旅もこのままできそうな予感。



ニューヨークを出て、中米、南米、ヨーロッパ、アフリカ……いろんな国を自分の足で回り、自分の目で見て回った。
日本の友達や家族にはSNSで日々の様子や気づきをシェア。
もちろん、ニューヨークや世界中で出来た友達ともSNSですぐにつながってゆく。

シャワーとお手洗いと寝る時以外、ずっと誰かとしゃべっているんじゃないかな。
語学学校で出来た友人のいる国なら、家族ぐるみでお世話になって、あちこち連れて行っていただく。
知り合いのいない国でも、現地で誰かしら仲良くなって、泊めてもらう。
チアをやってみせると興味を示してくれる。現地の学校を突撃訪問して子どもたちといっしょに踊るのも日常茶飯事。
どの国でも、怖い目にも危ない目にも遭うことはなかった。



アフリカのある部族にお世話になった時のこと。
持っていた口紅をひとりの女性に塗ってあげたら、目をキラキラさせて喜んでくれた。
「私にも塗って」「私も! 」

ああ。女の子が「キレイになりたい」「キレイになったらうれしい」と思う気持ちは、世界中どこでも同じなんだ。
見た目が違っても、育った環境が違っても、常識や文化が違っても、わたしたちは心に同じものを持っている。



新しく友達が出来たらうれしい。
家族が病気になったら悲しい。
優しくされたらうれしいし、冷たくされたら悲しい。
カッコいい男の子と付き合えたらうれしい。
キレイなお姉さんのキレイな脚が見られたらうれしい。

表面的にどんなに“違い”のほうが目に付いても、私たち人間の根っこは同じ。
もちろん違いも尊重しながら、同じハートを持った人間同士、世界中の人に心を開いて生きていたい。
そんな事を日本中、世界中の人に伝えたい。



帰国後、私は講演活動を始めた。
日本の友人に小学校の先生が多いということで、学校を訪問する機会もたくさん。
みんな、私の旅をSNSで見ていてくれたので、教育機関に快くつないでくれた。

世界各地で見てきた事
力強い弟の話
どんな国の人でも根っこは同じだということ
笑顔は世界共通だということ
命の尊さ
世界平和を志すおもい

子どもたちが体を乗り出して目を輝かせるたび、
社会人向けのセミナーで大人たちの心が開くたびに、私は確信を新たにする。


一人ひとりが自分の生まれた意味、存在意義を思い出し、まっとうすることで、この世界は変わってゆく。
自分の存在意義を思い出し、輝いて生きる人が増えることで、世界は変わってゆく。
人が人を傷つけたり殺したり、人の心の起こす不平等で誰かが飢えたりするような世界は、必ず変わるんだ。


もちろん、世界に目を向けることがすべてじゃない。
日本国内の何かに関心のある人は、それに真剣に向き合えばイイ。
私と違って、人よりモノや自然、何かを作ることや調べることが好きな人だっている。

それでいいんだ。それぞれがそれぞれの関心事に全力を傾け、存在意義をまっとうしてゆくこと。
そうして豊かに育まれた心、輝く命が、直接的にも間接的にも世界中の問題を解決してゆくのだと思う。


世界の現状を伝えながら、
目の前のその人が心を開き自分の生まれた意味を思い出すキッカケも提供する。
そんな事がしたくて、講演、チア、SNSでの発信、政治へのアプローチ……形を問わず活動している。



帰国して数ヶ月後、父は布団で冷たくなって発見された。前日まで家族であたたかく会話していた父の、突然死。
世界に5人しかいないという難病の弟の容態はいま落ち着いて、母と私と3人で暮らしている。


命の大切さ、思いやりの心を伝えてゆくことで、世界中の人と人を笑顔でつなぐ。

両親のまっすぐな愛を注がれて育った私の
難病を抱えながら笑顔で生きる弟の姉として生きる私の
この地球で生きる使命。

迷いもためらいもない。私はこの使命をまっとうして、全力で生きてゆく。



私のKeyPageが、ひとりでも多くの方の心に届きますように。
そして、あなたの心の開くキッカケになりますように。

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掲載日:2018年09月21日(金)

鍵人No.109

松本真奈美(まつもと まなみ)

1988年、埼玉県生まれ。大手金融機関退職後、5大陸、約30ヶ国を回る旅に出る。「ユニセフ国際協力講座」15期卒業生。2018年7月、特定非営利活動法人「SC HURRAY」を立ち上げる。

HP:https://www.hurrayers.co.jp/

HP:https://www.worldmona.com/

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