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キッカケインタビュー

たったひとりのためのビジネスを――【お手紙屋さん】開業のきっかけ。

石神敬吾(いしがみ けいご)

お手紙屋さん

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キッカケ記事

いま何やってるの?
あなたのお悩みに対して人生の先輩からのお手紙を届ける【お手紙屋さん】サービスを主軸に、世代間交流のできる古民家カフェなどいろいろな事業を手掛けています。

相談者のお悩みに心のこもった手書きのお手紙を送るサービス【お手紙屋さん】を運営する石神敬吾さん。異色のサービス開業のきっかけは、28歳の時に遭遇した痛ましい出来事でした……。

キッカケ①:二十歳で描いた青写真。

僕が中学3年生の時、父さんは潰れてしまった。

静岡駅の階段で失禁しているのを、見ず知らずの人が助けてくれた。心ここにあらずの父さんは精神科の病棟に入院した。
バブルがはじけてからも必死で持ちこたえていた「石神製作所」の経営。でもきっと父さんの中の何かが切れてしまったんだと思う。
会社は借金を背負ってたたむことになった。製作所の隣で母さんのやっていた「石神鶏肉店」のほうは続けて。

僕は早く社会に出たいと思っていた。自分で会社をやっている父さんを見ていた影響もある。
僕が中卒で働いたとしたら、同い年の誰かがストレートで大学を出るころ、もう7年のキャリアの差が付いている。これはメリットだと考えていた。
「高校くらいは出たほうが……」という母さんの考えで高校には進学したものの、早く社会に出たくてうずうずしていた。
父さんも働けなくなったので、部活の遠征なんかに必要なお金は自分でバイトしてまかなっていた。
貧しいなりに楽しく暮らしていた。弟や妹、母さんと笑い合いながら。


父さんの会社が製作所だったし、静岡県には工場が多いこともあって、高校を出た僕は繊維素材を扱う工場に就職した。
そこで僕をかわいがってくれたのは、読書家の社長。いろんな本を貸してくれた。

いいなと思うとすぐに行動に移したくなるタイプの僕。
『社長、かっこいいな。僕もこんな人になりたい』
『ずっとここに勤めるつもりだったけど、社長みたいに自分で会社をやっていくのもおもしろそう!』
少しずつそんな気持ちが芽生えてきた。
「石神は会社やるのも向いてるかもな。きっといつか君はいなくなる」
と、いつか去るだろう社員である僕をあたたかく応援してくれる社長だった。

『自分で会社をするなら、リーダーの経験と営業の力が要るんじゃないか。
よし、この会社でリーダー経験を積んで、28歳で営業専門の会社に転職しよう。そして、35歳で新しい世界に……』

未来にそんな青写真を描いた。二十歳の時だった。

キッカケ②:唯一無二のあたたかさ。

その会社で仲良くなった女性社員のひとりが結婚をし、かわいい女の子を出産した。名前はレイナちゃん。
『子どもって、こんなにすぐに大きくなるんだな……』
よく遊びに行っていたので、レイナちゃんの成長も間近で見せてもらった。気づけば僕も27歳になっていた。

転職すると決めていた28歳を間近に控えていた。いまの会社でリーダー経験はしっかり積ませてもらった。
厳しい環境で成果を出せば自信がつくんじゃないか。
そう考え、転職サイトに常に求人を出している会社……人の出入りの激しそうな会社に絞って調べていた。


レイナちゃんの5歳の誕生日に僕は絵本を贈った。
『もうすぐ僕はいなくなる。いつまでも僕のことを忘れないでほしいな……』
そう思って渡した『たいせつなこと』という絵本。レイナちゃんはうれしそうに受け取ってくれた。

その2週後、いよいよ東京に引っ越すほんの数日前、レイナちゃんにお別れの挨拶に行った。
帰り際、玄関を出ようとする僕に、後ろ手に何かを隠したレイナちゃんが近づいてきた。
『何だろう?』 
首をかしげる僕に、

「けいご、ありがとう」

と、彼女は封筒を差し出すのだ。長い付き合いだ、呼び捨てなのはもはや気にならない。


僕はニヤニヤしながら帰宅した。人が見たら何事かと思う顔だったかもしれない。
『何が書いてあるんだろう?』 
5歳の女の子が心を込めて書いてくれたお手紙。
逸る心を抑え、机に向かい、封筒を破らないよう丁寧に開けると……

「とおくにひっこしてもわすれないでね」


手書きのメッセージと僕の似顔絵が、そこに。

ドカンと胸に来た。
説明できないようなうれしさがあった。


言葉や論理的に説明できるものは、簡単に共有できる。
けれども、手書きの手紙の良さというのは説明が難しい。心への入り方が違う。そう思った。
きっと、誰にとってもそうだと思う。
何より、いくらお金を払っても同じものは手に入らない。世界にひとつなのだ。


こんなに想いの伝わるものをもらったのはいつぶりだろう?
その手紙には、レイナちゃんの想いがめいっぱい詰まっていた。
それがあふれにあふれ、僕の胸をいっぱいにしてくれた。

『お手紙って、なんてイイものなんだ……』
手紙というものにほとんど縁のない人生だった僕の胸に、そんなおもいが生まれた。


その手紙を携え、僕は新天地東京に旅立ったのだった。

キッカケ③:たったひとりを救うビジネスを。

12人いた同期が3ヶ月で3人になる会社だった。
そのつもりで入社した僕は自分なりに工夫し、すぐに結果を出し、月100万円くらい稼げるようになった。
東京に友達のいない僕は、社会勉強も兼ねて退社後キャバクラに通ったりもした。
営業力を身につけるために、という目的が途中から変わってしまったのはご愛敬だ。

欲しかった営業力が付いて自信も持てたし、将来事業をするためのお金も稼げるし、これでよかったと思っていた。
でもどこか孤独感があった。東京という土地が肌に合わないのかな……。
通勤中でも休みの日でも、いつも空を見ながら歩いていた。空を見上げながらいろんな事を考えていた。


28歳、池袋にあるその会社に勤めて数ヶ月になるころ。いつものように僕は会社に向かっていた。
そのころ忙しくしていて、少し余裕がなかった。空ではなく前を向いて急ぎ足に歩いていた。

通勤路の途中にある建物を通り過ぎるその時――


聞いたこともない「パァン!!」という高い音が耳をつんざく。振り返ると、二十歳くらいの女の子がうつ伏せに倒れている。
……その顔を僕のほうに向けて。


何をすべきか。どこに助けを求めるべきか。
とっさの事に、僕は何も動けなかったしわからなかった。

けれども、はっきりわかった事があった。

自殺だということ。そして、彼女がもう助からないということ。


取り乱しているあいだにほかの通行人が救急車を呼んだ。
白い車体に担ぎ込まれ、僕の視界から消えていった彼女の体。
視界からいなくなったはずの彼女の姿だが、僕の頭からは消えなかった。


昼間は仕事に集中してやり過ごしても、夜になるとその姿が脳裏に蘇る。
僕のほうを向いた女の子の顔。激しく損傷した肉体。パァンという高音。
あの子がその人生の最後に見たのは、僕だったんだろうか……。

見ず知らずの女の子。
知り合いが亡くなったわけじゃないんだから、事前に手を差し伸べることなんかできっこなかったのに。

無力感に苛まれた。
『なんとかして助けられなかったんだろうか』
『あの子を助けることは、僕には絶対に、絶対にできなかったんだろうか』
『いつもみたいに上を向いて歩いていたら、飛び降りようとする彼女に気づいて、大声で止められたかもしれない』
『あのビルの非常口から下を見た時、もしも僕がスキップでもしていたら……
「人生捨てたもんじゃない」なんて思いとどまってくれたんだろうか』
『あの子は僕に当たらないように飛び降りたんだろうか。だとしたら、僕はあの子の最後の優しさをもらったことになるのかな』

夜な夜なそんな事を考える。どうしても、どうしても助けられなかったんだろうか……。


そして、思い至った。

あのビルの非常口の扉を押し開けた時点で、彼女の意志は固まっていた。
彼女のような人を減らすには、そこに立つ前の段階で手を差し伸べていなきゃいけない。
自殺を決意する前の前の前の……もっと前の、何とかできる悩みの段階で頼れる場所や存在がなくちゃいけない。


調べると、悩み相談を電話やメールで受けるサービスはたくさん見つかったのに、手紙を使ったサービスだけがなかった。
これじゃないか。これなんじゃないか。あの子のような悲しい最期を選ぶ人をひとりでも減らすために僕にできる事は。

あの子の最後の優しさを受け取った僕だ。
あの子を助けるためだけのビジネスをしよう。

100人中100人に求められるサービスじゃなくていい。たったひとりでも救われる人がいればそれでいい。
自己満足に過ぎないけれど、僕が前に進むための答えのようやく出せた瞬間だった。

【お手紙屋さん】サービスの試行錯誤は、そこから始まったのだった。

キッカケ④:「お手紙」の可能性を信じて。

父さんが脳梗塞で倒れたのをきっかけに、30歳の僕は静岡の実家に戻った。
実家の近くで友人と飲んでいると、居合わせたおじさんと意気投合。県内では有名な企業の社長さんだという。
「志太ビジネスプラングランプリってのが今度あって、俺がファシリテーターをするんだが。
 第1回だぞ。君、出てみないか?え?出る?みんな!優勝候補だ!!」

もともとあたためていた【お手紙屋さん】ビジネスと、ほかにも2つのビジネスアイディアを引っ提げて、僕はエントリー。
そして、その『お手紙相談サービス「ハートレター」』で第1回の大賞を受賞した。


それからは行政のバックアップを受け、
いろんな催しにブースを出させてもらったり、こちらから売り込みに行かなくても取材を受けたりするようになった。

お悩みを持つ人に届くように。
ビルの屋上に立つ前に【お手紙屋さん】を利用するという選択肢を、必要な人に知ってもらうために。
いろんな場所に足を運んだ。

母さんが一度たたんだ焼き鳥屋「石神鶏肉店」を再開したり地元の仲間と事業をしたりしながら、
こうして僕は【お手紙屋さん】を始めたのだった。
知り合いのおじいちゃんおばあちゃんや、焼き鳥屋の常連さんやご近所さんに紹介されたおじいちゃんおばあちゃんに、
寄せられたお悩みのお返事を書く役をお願いして。
レイナちゃんのお手紙の経験が大きかったので、もちろん手紙はすべて手書き。
利用料の半額は彼らへの報酬、経費を差し引いた残りが【お手紙屋さん】の利益になる仕組みだ。


手紙のすばらしさと可能性を教えてくれたレイナちゃん。
最後の優しさをくれた名前も知らない女の子。

自己満足だけど、ふたりのおもいを背負って僕はこの事業を続けている。

二十歳の時に将来の青写真を描いたのは、ただ『僕がこうしたい』というおもいひとつだった。
いまは、誰かが、社会が必要としてくれるものを届けたいと思うように変化している。
ビジネスとは、社会に合わせてするものなんだ。

【お手紙屋さん】にアクセスしてくれた人は、もう僕の人生の一部だ。
目の前の人をしあわせにすること、それを続ければ、僕の周りにはしあわせな人が増える。
もしかすると、【お手紙屋さん】を利用して気持ちが楽になったり傷が癒えたりしたその人たちも、
今度は周りの人をしあわせにしようと生き始めるかもしれない。

しあわせな人に囲まれていれば、自分ひとり不幸でいることのほうが難しいだろう。
目の前の人を片っ端からしあわせにすることが、自分をしあわせにする一番の近道なんじゃないか。
東京にいたころより人と深くつながれる実感のあるいま、改めてそんな事を思う。

お金の価値がどんどん下がっている現代、唯一無二の「お手紙」に価値を見出す人、救われる人も少なくないと思う。
やりたい事業や収益の上げやすい事業はほかにもあるけれど、
この先ほかに何を手掛けてもこの【お手紙屋さん】サービスは続け、もっともっと広げてゆく。
メールが普及しようがLINEが流行ろうが、手紙という文化が消えてなくなることはない。
その価値に気づき直してくれる人が増えてくれたらうれしいし、必要な人には【お手紙屋さん】を気軽に利用していただきたい。


人ひとりの人生を変える、救うことさえできるかもしれない「お手紙」の可能性を信じて。
これが、僕の掴んだKeyPageです。

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掲載日:2018年02月09日(金)

鍵人No.0088

石神敬吾(いしがみ けいご)

1983年、静岡県生まれ。高校卒業後県内の工場に勤め、28歳で上京、30歳で静岡に戻る。
28歳の年に自殺の現場に居合わせたことをきっかけに【お手紙屋さん】サービスを考え、第1回志太ビジネスプラングランプリにエントリー、大賞を受賞。

「お手紙屋さん」HP: http://toyou.base.ec/

「石神敬吾(お手紙屋さん)」Twitter: https://twitter.com/htckeigo

「商売人けいごのブログ」: https://ameblo.jp/keigo2022/

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