僕が中学3年生の時、父さんは潰れてしまった。
静岡駅の階段で失禁しているのを、見ず知らずの人が助けてくれた。心ここにあらずの父さんは精神科の病棟に入院した。
バブルがはじけてからも必死で持ちこたえていた「石神製作所」の経営。でもきっと父さんの中の何かが切れてしまったんだと思う。
会社は借金を背負ってたたむことになった。製作所の隣で母さんのやっていた「石神鶏肉店」のほうは続けて。
僕は早く社会に出たいと思っていた。自分で会社をやっている父さんを見ていた影響もある。
僕が中卒で働いたとしたら、同い年の誰かがストレートで大学を出るころ、もう7年のキャリアの差が付いている。これはメリットだと考えていた。
「高校くらいは出たほうが……」という母さんの考えで高校には進学したものの、早く社会に出たくてうずうずしていた。
父さんも働けなくなったので、部活の遠征なんかに必要なお金は自分でバイトしてまかなっていた。
貧しいなりに楽しく暮らしていた。弟や妹、母さんと笑い合いながら。
父さんの会社が製作所だったし、静岡県には工場が多いこともあって、高校を出た僕は繊維素材を扱う工場に就職した。
そこで僕をかわいがってくれたのは、読書家の社長。いろんな本を貸してくれた。
いいなと思うとすぐに行動に移したくなるタイプの僕。
『社長、かっこいいな。僕もこんな人になりたい』
『ずっとここに勤めるつもりだったけど、社長みたいに自分で会社をやっていくのもおもしろそう!』
少しずつそんな気持ちが芽生えてきた。
「石神は会社やるのも向いてるかもな。きっといつか君はいなくなる」
と、いつか去るだろう社員である僕をあたたかく応援してくれる社長だった。
『自分で会社をするなら、リーダーの経験と営業の力が要るんじゃないか。
よし、この会社でリーダー経験を積んで、28歳で営業専門の会社に転職しよう。そして、35歳で新しい世界に……』
未来にそんな青写真を描いた。二十歳の時だった。
掲載日:2018年02月09日(金)
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石神敬吾(いしがみ けいご)
相談者のお悩みに心のこもった手書きのお手紙を送るサービス【お手紙屋さん】を運営する石神敬吾さん。異色のサービス開業のきっかけは、28歳の時に遭遇した痛ましい出来事でした……。