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キッカケインタビュー

答えも力も、自分のなかにある──9歳の私に届けたい、私の生き様。

五島希里(ごとうきさと)

港屋株式会社 代表取締役、一般財団法人生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ

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キッカケ記事

いま何やってるの?
主に中学校や高校で、生徒が“問いを立て、目標に向かう道のりそのものをデザインする力”を育む支援、そこに関わる大人の支援などをしています。誰もが生まれた環境を乗り越え、自分の才能を発揮できるように。

コーチとして、中高生を対象に“問いを立て、目標に向かう道のりをデザインする力”を育む活動をしている、五島希里さん。五島さんの人生を貫いているのは、9歳の時にある写真を見て抱いた衝撃でした。

キッカケ①:自分を駆り立てる問いとの出合い。

「あなたは何になりたいの? 」
ずっとそう聞かれて育った。

家族も、親戚も、ほとんどが自分で仕事を創り出している。幼稚園や小学校に通っていても、いろんな仕事の人が目に入ってくる。
「あたしは何になりたいんだろう? 何になるんだろう? 」
その問いがいつも自分のなかにあった。

いつかは何者かになる。だけど、いまは“何者か”ではない。……あたしは何者になるんだろう。


物ごころついたころから子どもが大好きで、幼稚園では自分より小さい子たちのお世話をしていた。
8つ離れた妹の生まれた時は……もう、もう、うれしかった!!!

子どものほかに好きなのは、本を読むこと。両親に買ってもらった世界の偉人伝を夢中で読んだ。
いろんな時代のいろんな国に生まれた人が、困難を乗り越えて、すばらしい“何か”を成し遂げる。感動して、ボロボロになるまで読み返した。
「あたしは、何をするんだろう? 」
「いつかは“何か”をするんだろうな。それは何なんだろう? 」
何を読んでも行き着く問いは同じで、その答えはずっと見つからなくて。未来がずっとぼんやりしていた。
目に入るいろんな仕事に対して、「いいな、ステキだな」とは思っても、自分がそれを極めるというイメージが持てなかった。

ヒトラーとガンジーの伝記を読んだ。2冊を並べて読み、共通点に気づく。
ひとつは、スピーチで人の心を動かすのがうまいこと。もうひとつは、厳しい状況に置かれた経験があること。
同じように困難を経験した時、スピーチで人の心をつかむという特技を持ったふたりは、正反対の道を選んだのだ。
ひとりは、敵を作って連帯する道を。もうひとりは、非暴力を訴え連帯する道を。

ひとりの人が苦しい経験をどう捉えて、どの道を選ぶのか。何がその分かれ目になるのか。
そんな事を考えながら、そして自分のやりたい事を考えながら暮らしていた、9歳のある日。


目に飛び込んできたのは、1歳くらいの女の子の写真だった。たぶん、アフリカかどこかの国の子。
土埃の舞う地面に座り込んだ、ガリガリに骨ばった体。それなのに、お腹だけはギョッとするくらい膨らんで。
こちらを見つめる瞳は大きくて、悲しみとも諦めともつかないモノを浮かべている。

……どうして? どうしてこの子はこんな目に遭っているの?

もしかしたら、この子は何かの天才だったかもしれない。
生まれた国が違えば、ものすごい才能を発揮して、世界中の問題のうちのひとつを解決するほどだったかもしれない。
それなのに、この子はどうして?
努力せずに不幸になるのは本人のせいかもしれないけど、生まれた場所のせいでこんな目に遭うのが自己責任だといえるの?

教育とか、経済支援とかが、大事だという。日本政府は途上国にたくさんの援助をしていると聞いた。
けれども、この子はこんな状態でいる。
写真が撮られたあとに、彼女の容態や国の状態が変わっていたら、もしかしたらこの子はもう生きていないかもしれない。

……どうして? どうして、こんなコトが起こっているの?

彼女のことを忘れてしまうのが怖くて、しばらく、そのページをめくることができなかった。



「希里は何になりたいの? 」と尋ねられて育ったから、自分は何にでもなれると思っていて。
それが何かは見つからなかったけれど、望んで努力すれば何にでもなれると信じて疑わなかった。
それなのに、同じ時代の地球の別の場所には、夢のために努力をするどころか、夢を持つことさえできない子どもがいる。
本人ひとりの努力ではおそらく抜け出せない困難のなかで、夢も才能も考えられない日々を送る子どもがいる。

「どうしたら、生まれた環境を乗り越えて、自分の才能を発揮できる人が育つの? 」
「そのためにあたしには何ができるの? 」

自分が何になりたいのか……それ以外の問いが、9歳のあたしの心に初めて生まれた。
この問いの答えを見つけるための人生が、ここから始まる。

キッカケ②:信じて挑戦すること。

相変わらず、なりたいものは見つからない。
子ども、教育、国際協力。この3つのキーワードはとうに定まったものの、仕事としてしっくり来るものが見つからないのだ。

何か始めることを誰かに反対されたことはない。その代わり「始めたら最後までがんばりなさい」と母には言われていた。
目の前の事、やってみたいと思った事に、片っ端から挑戦してゆく。
英語の勉強、英語スピーチコンテスト出場、委員会の委員長、プロをめざす役者の集まる劇団での舞台出演……。
役割を果たしたり何かを達成したりするための努力に少しも苦はなくて、ワクワクした。
全部で10回出場したスピーチコンテストの1回目だけは、直前に不安で怖くなってしまって。
けれども母がリハーサルに付き合ってくれて、「案外だいじょうぶだ!」と思い直すことができた。
話したり書き出したりして明確化すると不安の大部分は消えてゆくと知った。

一方、周囲との温度差も少なからず感じていた。
「一生懸命になるほどはやりたくない」「やりたいけど失敗したら格好悪い」
そんな相手には、「なんでやってみないんだろう?」という気持ちも持っていた。
「自分の力で挑戦してみれば、もちろん失敗するかもしれないけど、できるかもしれないのに。どうして挑戦しないのかな」
不安と向き合うことの大切さを知りつつある私は、そんなもどかしさを感じていた。



もっと世界のことが知りたくて、国際経済のコースのある高校に進学。同時に、近所のマクドナルドでアルバイトを始めた。
「いらっしゃいませ! 」の一言が初めのうちは恥ずかしくて、モップ掛けのほうが気楽だったくらい。

けれども、ある時店長が私の子ども好きに気づき、「今度フロアに出てみる?」と勧めてくれた。
フロアサービスの教材ビデオを見て勉強を始めた。画面の向こうのお姉さんたちのイキイキと働く姿に惚れ惚れした。
「私も、こんな人になってみたい!」

全国のスタッフが接客や調理などのさまざまな部門別で店舗で競い合う大会があるという。
その大会のフロアサービス部門で優勝する、という目標を持った。
ずっと、なりたいものの見つからなかった私。なりたい自分になれるかもしれない、と初めて思えた。

店舗戦があって、地区戦があって、どんどん勝ち上がって……そのうんと先にある日本一。
店舗に置いてある教材を片っ端から読み、日々のアルバイトでひとつずつ取り入れてみる。
アルバイトするのと同じくらいの時間を掛けて、接客スキルを上げるための勉強をした。

そして、高校3年生の時……2回戦で敗退した。
号泣しながら審査員に食らいついた。「どこがダメだったんですか!? 私、もっと良くなりたいんです!」
具体的なフィードバックがほしかったのに、言われたのは「まあ、サービスって好みもあるからね」

万人受けしたいとは思わないけれど、できるだけ多くのお客様に好かれるようにサービスできるのが良いサービスなのだろう。
欲しかった言葉がもらえなかったことで、かえって火がついた。
サービスが良いと聞いたレストランに、自分でお金を出してサービスを受けに行く。空港やホテルにも通った。
アルバイトのお給料から、安くないお金を出して受け取るサービス。そこから学ぶものは、あまりにもたくさんあって。
気づいた事や学んだ事はすべてノートに取り、アルバイトに活かす。
日々のアルバイトでの成功体験や失敗体験もすべて記録し、「次はこうしてみよう」「これを取り入れてみよう」とPDCAサイクルを回す。

大学に進学してからは、勉強や研究にレポート執筆、ユニセフのインターンシップにも応募して合格、
とにかく忙しかったけれど、アルバイトで日本一になる目標は揺るがなかった。

考えつく限りの努力をして迎えた大学1年次の大会で、とうとうその目標を達成。



挨拶もできなかった私が、あの時憧れた自分になれた……!!! 泣いて、喜びを噛み締めた。
思いつく限りの努力をすれば、これだけの成果が出せるのだ。
この世にできない事なんかないと言うと、言いすぎかもしれないけれど。それでも、自分を信じて挑戦することは自分を裏切らないのだと知った。


ここから、私の次の挑戦が始まる。

キッカケ③:恐怖心に打ち勝てなくて。

フロアサービス部門で優勝したほんの数週後、私は、ジュネーブにある国連本部の人権委員会に出席する予定だった。


元国連職員の教授の持つゼミに入り、その講義を積極的に取る日々。講義の締めくくりはいつも同じ言葉だった。
「どうしてこういう事が起きるのでしょうね? 」
9歳の原体験がよぎる。居ても立ってもいられず、私は図書館に駆け込み専門書を読みあさるのだった。

そのゼミ教官に勧められたインターンシッププログラムだ。知ったその日に応募を決意。
ゼミ教官の推薦を受け、英語の試験にも合格。家族も喜び、経済的にも応援してくれた。

アルバイトで見つけた“なりたい自分”には、なれた実感がある。
教育や国際協力に関わる専門的な部分でも、“なりたい自分”やできる事が見つかるんじゃないか……。



けれども、事態は思わぬ方向に進んでいった。

私にとって初めての海外経験となるそのプログラムは、ジュネーブでの現地集合と知らされて。
「日本でも迷子になりやすいのに、辿り着けるのかな」「トラブルに巻き込まれたりしないかしら」
海外初心者の胸に浮かぶそうした不安に、周りは気づく様子もない。
「せっかくだからヨーロッパのほかの土地も回ってきたら? 」と簡単に言われ、不安が大きくなったり、
インターン経験者の先輩の活躍を聞かされ、大学の看板を背負うプレッシャーを感じてしまったり。
ゼミ教官に相談しても「だいじょうぶだと思いますよ」と笑って肩を叩かれるだけ。

周囲の見ているものと、私の心の感じるリアリティの、埋められないギャップ。

初めての土地、初めての海外。行ってみたかった憧れの場所。
でも、私はそこにふさわしい自分なのだろうか。
いまの私は、一体何の役に立てるのだろうか。まだ、準備はできていないんじゃないか。

どうせ行くなら何か残したい。役割を果たさねばという“責任感”に縛られた。失敗しても経験のうちだと思えない。

知らないから怖いだけだとわかっていても、いつまでも準備なんて整わないと頭でわかっていても、知らないのだから怖いまま。
不安やプレッシャーに押し潰されそうな私に気づいてもらえず、増してゆく孤独感。


いつしか、体に不調が出るようになっていた。体が重く、ベッドから起き上がれない。
「きっと、このまま行けないんだな、私……」
ホッとする自分もいた。そんなわけには、と思う自分もいた。


そして私は、行かないことを選んだ。



フロアサービス部門で優勝し、アルバイトで今度は人を育てる立場になって。
自分対お客様の関係性に注力する仕事から、
いろんな動機でその場にいるスタッフのやる気を引き出し、良いサービスを提供させる仕事に変わった。

人をやる気にさせるということについて、店舗で借りたマネージャー向けの教材で学んだ。
自分が何かを教えるのではない。その相手のなかにある能力や可能性、答えを引き出すように、言葉を掛けてゆく。
“コーチング”というその考え方に衝撃を受けながら、実践していった。

自分でもよくわかっていないものに自分で気づいてもらうための質問や声掛け。
何かを教える先生になりたいとは思わないけれど、こういうやり方だったら私は続けたい。そう思うようになった。
大学を卒業するまで、アルバイトという立場で人材育成に携わった。
やる気がない、自信がない、やる気はあってもやり方がわからない……そんなスタッフが、
自分なりの魅力を発揮して働くようになるのを見守る。やり甲斐のある仕事だった。

「怖くてもやればできるんだから、やってみたらいいのに」
子どものころから周囲の“やらない人”に対して抱いていた気持ち。これは、相手の力を信じるからこそ生まれるもどかしさだったのだ。
私の言葉をきっかけに自分の能力や魅力を思い出し、自発的に動き輝くスタッフたちが愛しい。
可能性のない人なんて、この世にひとりもいないのだ。


それでも、あの時の後悔は消えなかった。

どんなに怖くても。どんなに自信がなくても。どんなに体調が悪くても。
泣きながらでも、這ってでも私は行くべきだった……ジュネーブに。

時間は戻ってこない、体験はお金では買えない。そう、誰かに言ってほしかった。
恐怖心から変化した体調だったのだ。向き合うべきは体調ではなく、恐怖心のほうだった。

あの時、もしも行っていたら……何が見える私になっていただろう。いま私は何を言っているだろう。



人の力を引き出す喜びを日々味わいながら、私は心に決めた。

挑戦には恐怖心が付き物だ。
不安も恐怖心も迷ってしまう心も理解したうえで、それでも人の背中を押す、そんな存在で私はありたい。
そして私自身は、後悔を招く選択を二度としないように。恐怖心を乗り越えて行動できる自分で、これからは……ありたい。

キッカケ④:生まれた環境を乗り越えて。

社会問題に関心を持たない人も自然と巻き込めるような、企業活動をとおして社会構造にアプローチするような仕組みが作れないか。
大学で研究しながら私はそう考えるようになった。そして、国際協力系や教育系の分野ではなく、一度民間の企業に勤めることを決意。

就職してからも初心を忘れないために、揺るぎない体験を持っておきたい。
同期が卒業旅行に行く時期に、私はインドネシアの孤児院でボランティアをすることにした。


バリ島の片田舎の孤児院に、バスに揺られて向かう。
ワクワクする気持ちと、緊張感と。現地の生身の子どもたちとやっと会えるのだ。私にとって、どんな経験になるのだろう?

近い年齢の日本人もいて、絵本やおもちゃをそれぞれ手にしていた。
おもちゃをあげるのもどうだろうと思われたので、私は地球儀のようなゴムボールを持っていった。
言葉が通じなくてもお話をするきっかけになったらと思ったのだ。


ようやく会えたインドネシアの子どもたちは……涙が出るくらいかわいかった。
日本人の持ってきたお土産も笑顔で受け取り、お礼を言ってくれて。
初めは恥ずかしそうにしていても、すぐに打ち解けて、言葉も通じないのに何かを伝えようと話してくれる。いじらしくて、愛しくて……。
「お部屋を見せてあげる」とでも言いたいのだろう、数人の子が私の手を引くので立ち上がり、ふと後ろを振り返った。

そこには絵本やしゃぼん玉、おもちゃが散乱していた。


……ああ。この子たちは、もらい慣れているのだ。

日本のある旅行会社のツアーの一部に、この孤児院の訪問も組まれている。
危ない目は御免だが、ちょっと現場を知ってイイ事をした気になりたい……そんな日本人が大勢訪れ、たくさんのおもちゃを与えてきたのだろう。
笑顔でお礼を言うことも教育されてきたのかもしれない。「そうすればモノがタダでもらえるから」と。

孤児院に暮らす彼らは、与えられることに慣れ、もらったモノにもすぐ飽きてしまう。
自分の力で何かを獲得する機会も意欲も削がれているのだ。
貧困より何より、そちらのほうが大きな問題じゃないか。自分の力で人生を切り拓く意欲をなくしてしまうなんて。


社会人になってからも、カンボジアなどの途上国で物乞いをする大人を大勢見た。
日本人である私と目が合った途端、眉を下げて悲しそうな顔をする。さっきまで普通に話していたのに!
“かわいそうな物乞い”の顔を作り、施しをしなければ罪悪感を抱かせるような存在に、みずからを設定する。
現地で活動している人たちも、先進国の私たちに「何はなくともお金が必要だから、ちょうだい」と平気で言う。

自分をかわいそうな、何もできない存在に設定して、同情心や罪悪感からモノを与えさせる……。
そんな技術を身につける努力より、自分の力を発揮して生きる努力をしたらいいのに!!
この構造を許してきた、安易に与えて“それなりの事をした”気になってきた先進国の人間にも憤りを感じる。
けれども、この構造に甘んじて、自分自身の力を見くびって生きている途上国の彼らにもモヤモヤした。胃がキリキリする。
「あなたたちの力、そんなもんじゃないでしょ!!! 」



勤めている人材サービスの会社で障害者を雇用するための子会社を作らせてもらう機会があった。
それぞれに障害を持って生きてきた彼ら。
ひとつの事を伝えるにも、例えば聴覚障害と脳性麻痺と知的障害と……3人に理解できる3通りの伝え方をする必要がある。
苦労ももちろんあったけれど、障害の特性や性格の特性を理解してコミュニケーションを取るにつれ、彼らの意欲や才能はどんどん発揮されていった。
率先して私の手助けをしてくれるスタッフも、誰より丁寧に仕事をするスタッフも、びっくりするくらい情熱的なスタッフも、それぞれ輝いて。
「両耳が聞こえてるのに人の話の聴けないオジサマのほうがよっぽど……」なんて思うほどだ。

人の決めた、社会の決めた障害って何だろう。
不便な事はあるだろう。けれどもそれは、多かれ少なかれ健常者にもあるもの。
生まれ持ったものや自分で変えられなかった環境をいかに乗り越えるかという意味において、障害者と健常者に違いはない。

「どうしたら、生まれた環境を乗り越えて、自分の才能を発揮できる人が育つの? 」
9歳の時に抱いた問いを改めて噛み締める。
途上国の孤児院に育つことも、日本で障害を持って育つことも、生きてゆくうえで抱く悩み苦しみも、ある種“生まれた環境”であって、
一人ひとりが自分の制約や体験を再解釈して意味を見出せたら、きっと乗り越えられるもの。
その手助けのできる自分でありたいし、生まれた環境を乗り越えられないような社会構造にメスを入れられる自分でありたい。



それと言わずに会社内でコーチングのメソッドを使ってきた私だけど、コーチとしての技術を高めるため、コーチング事業を手掛ける会社に転職。
5年勤めたのち、1年間フリーランスのコーチとして働きながら準備をし、2016年7月、「港屋株式会社」を設立した。
現在は私立の中学校、高校の「総合的な学習の学習」や課外活動の時間を頂き、
生徒たちが関心を持つ社会問題などへの取り組み案を創出するところから資金調達して実際に挑戦するところまでサポートをしている。
“問いを立て、目標に向かう道のりそのものをデザインする力”を生徒たち自身のなかに育んでもらうのだ。


自分自身の力や可能性に気づいた子どもたちの表情といったら! それに触れる教員たちのほうが影響を受ける姿もたくさん見てきた。
いまいる場所から一歩踏み出せる人が増える。それが、私の喜びだ。

したい事は山のようにある。こんなふうに広げたい、届けたいという想いに現実が追いつかなくてもどかしい。
それでも私は方法論にこだわるのではなく、
“自分を駆り立てる問い”を自分の中心に置いて、問いに対してその時ベストだと思える解を信じて、挑戦を続けてゆこうと思う。

カタログから商品を選ぶように人生を決めることなんか、できるわけがない。
少しでも心の動いたモノに飛び込んでみて、たとえ違うと気づいてすぐに別のものを選んだとしても、そこから得られる学びは無限にある。
回り道も失敗も含め、感じたり学んだりしたたくさんの事が、気づくとひとつの流れに集約する……それが人生だと思うから。
目の前の子どもや人の可能性を、本人と一緒に信じて、「やってみようよ」と言える自分でありたい。
未知に対する恐怖心も理解しながら、それでも背中を押してあげられる存在として、私は生きてみたい。

「どうしたら、生まれた環境を乗り越えて、自分の才能を発揮できる人が育つの? 」
この問いを胸に、迷いながらも人生を突き進んできた。
9歳の私の見たかった世界はまだ実現できていないけれど、この足でそこに向かっているよと伝えられる自分にはなれたかなと思う。
そして、これからも進んでゆく。


まだまだ発展途上の私のKeyPage。あなたもあなたの輝きを思い出してくれたらいいな。

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掲載日:2018年08月23日(木)

鍵人No.0103

五島希里(ごとうきさと)

1984年、東京都生まれ。大学在学中にマクドナルドのオール・ジャパン・クルー・コンテストのフロアサービス部門で優勝し、人材育成のキャリアスタート。人材サービス企業でのIR、新規事業、子会社設立を経て、世界最大級のコーチングファームへ。2016年7月に港屋株式会社を設立。コーチングを応用して、子どもたちのソーシャルデザイン能力の開発に取り組む。

HP: https://www.minatoya-jpn.com/

HP: https://scholarshipyard.com/

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