フロアサービス部門で優勝したほんの数週後、私は、ジュネーブにある国連本部の人権委員会に出席する予定だった。
元国連職員の教授の持つゼミに入り、その講義を積極的に取る日々。講義の締めくくりはいつも同じ言葉だった。
「どうしてこういう事が起きるのでしょうね? 」
9歳の原体験がよぎる。居ても立ってもいられず、私は図書館に駆け込み専門書を読みあさるのだった。
そのゼミ教官に勧められたインターンシッププログラムだ。知ったその日に応募を決意。
ゼミ教官の推薦を受け、英語の試験にも合格。家族も喜び、経済的にも応援してくれた。
アルバイトで見つけた“なりたい自分”には、なれた実感がある。
教育や国際協力に関わる専門的な部分でも、“なりたい自分”やできる事が見つかるんじゃないか……。
けれども、事態は思わぬ方向に進んでいった。
私にとって初めての海外経験となるそのプログラムは、ジュネーブでの現地集合と知らされて。
「日本でも迷子になりやすいのに、辿り着けるのかな」「トラブルに巻き込まれたりしないかしら」
海外初心者の胸に浮かぶそうした不安に、周りは気づく様子もない。
「せっかくだからヨーロッパのほかの土地も回ってきたら? 」と簡単に言われ、不安が大きくなったり、
インターン経験者の先輩の活躍を聞かされ、大学の看板を背負うプレッシャーを感じてしまったり。
ゼミ教官に相談しても「だいじょうぶだと思いますよ」と笑って肩を叩かれるだけ。
周囲の見ているものと、私の心の感じるリアリティの、埋められないギャップ。
初めての土地、初めての海外。行ってみたかった憧れの場所。
でも、私はそこにふさわしい自分なのだろうか。
いまの私は、一体何の役に立てるのだろうか。まだ、準備はできていないんじゃないか。
どうせ行くなら何か残したい。役割を果たさねばという“責任感”に縛られた。失敗しても経験のうちだと思えない。
知らないから怖いだけだとわかっていても、いつまでも準備なんて整わないと頭でわかっていても、知らないのだから怖いまま。
不安やプレッシャーに押し潰されそうな私に気づいてもらえず、増してゆく孤独感。
いつしか、体に不調が出るようになっていた。体が重く、ベッドから起き上がれない。
「きっと、このまま行けないんだな、私……」
ホッとする自分もいた。そんなわけには、と思う自分もいた。
そして私は、行かないことを選んだ。
フロアサービス部門で優勝し、アルバイトで今度は人を育てる立場になって。
自分対お客様の関係性に注力する仕事から、
いろんな動機でその場にいるスタッフのやる気を引き出し、良いサービスを提供させる仕事に変わった。
人をやる気にさせるということについて、店舗で借りたマネージャー向けの教材で学んだ。
自分が何かを教えるのではない。その相手のなかにある能力や可能性、答えを引き出すように、言葉を掛けてゆく。
“コーチング”というその考え方に衝撃を受けながら、実践していった。
自分でもよくわかっていないものに自分で気づいてもらうための質問や声掛け。
何かを教える先生になりたいとは思わないけれど、こういうやり方だったら私は続けたい。そう思うようになった。
大学を卒業するまで、アルバイトという立場で人材育成に携わった。
やる気がない、自信がない、やる気はあってもやり方がわからない……そんなスタッフが、
自分なりの魅力を発揮して働くようになるのを見守る。やり甲斐のある仕事だった。
「怖くてもやればできるんだから、やってみたらいいのに」
子どものころから周囲の“やらない人”に対して抱いていた気持ち。これは、相手の力を信じるからこそ生まれるもどかしさだったのだ。
私の言葉をきっかけに自分の能力や魅力を思い出し、自発的に動き輝くスタッフたちが愛しい。
可能性のない人なんて、この世にひとりもいないのだ。
それでも、あの時の後悔は消えなかった。
どんなに怖くても。どんなに自信がなくても。どんなに体調が悪くても。
泣きながらでも、這ってでも私は行くべきだった……ジュネーブに。
時間は戻ってこない、体験はお金では買えない。そう、誰かに言ってほしかった。
恐怖心から変化した体調だったのだ。向き合うべきは体調ではなく、恐怖心のほうだった。
あの時、もしも行っていたら……何が見える私になっていただろう。いま私は何を言っているだろう。
人の力を引き出す喜びを日々味わいながら、私は心に決めた。
挑戦には恐怖心が付き物だ。
不安も恐怖心も迷ってしまう心も理解したうえで、それでも人の背中を押す、そんな存在で私はありたい。
そして私自身は、後悔を招く選択を二度としないように。恐怖心を乗り越えて行動できる自分で、これからは……ありたい。
掲載日:2018年08月23日(木)
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港屋株式会社 代表取締役、一般財団法人生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ
五島希里(ごとう きさと)
コーチとして、中高生を対象に“問いを立て、目標に向かう道のりをデザインする力”を育む活動をしている、五島希里さん。五島さんの人生を貫いているのは、9歳の時にある写真を見て抱いた衝撃でした。