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キッカケインタビュー

夢中になって、つかんだ栄光。 “口笛”で紡ぐライフストーリー!!

儀間太久実(ぎま たくみ)

口笛奏者

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キッカケ記事

いま何やってるの?
現在はソロの他、様々なミュージシャン・オーケストラとの共演など活動は多肢に渡る。メディアにも多数出演。(「目覚ましテレビ」「学校へ行こう!MAX」「笑っていいとも」など)15年3月、マリンバ奏者・後藤ゆり子と、口笛&マリンバによるCDアルバム「embrace」をリリース。16年5月は毎日放送「メッセンジャーの○○は大丈夫なのか?」、6月にはシンガー・北岡樹主催のチャリティーコンサート「心の糸つむぎコンサート」に出演した。

口笛に対する気持ちがわからなくなってもがき苦しんでも、自分の中に湧きあがる想いとその光を信じて、自分自身で答えを出してきた儀間太久実さん。強い信念で進み続ける、若き口笛奏者の生き様にみた、プロとしての葛藤と覚悟とは。

キッカケ①:兄の口から笛の音?!衝撃からのどハマりで禁断症状時代

僕の家は5人家族。両親と、兄が二人いて、僕は男三人兄弟の末っ子。兄弟の中では一番弱かった。
上二人がすごく強くてケンカもよくしていたけど、僕は絶対に敵わないので、機嫌を損ねないように二人の言う事をひたすらきいて、いつもビクビクしていた。

小学校3年生くらいの時だったか、一番上の兄が何の気なしに口笛を吹いてるのを聞いた。
僕はその時まで、口笛の存在を知らなかった。初めて口から出る笛の音を聞いて、ものすごく驚いたのを憶えている。
笛といったら、リコーダーとかフルートとか、楽器から出る物だと思っていた僕は、それが人間の口から出ているということに衝撃を受けた。
めちゃめちゃカッコイイなと、強く思った。


それから口笛を練習して、3日くらいでできるようになったけれど、最初は自分の口から笛の音が出ること自体がもう感動だった。
吹いてると上手くなって、上手くなると色々な曲も吹けるようになる。
学校で習った曲をすぐに口笛で吹いたりして、そうするともっと上手くなって、楽しさがどんどん増していくのがわかった。
楽しいから吹く、吹くから上手くなる、また楽しくなる… そんなサイクルに、気づいたらハマり込んでいた。
そうなってくると、もう“楽しい”という領域は通り越えてしまう。
最初は、自分にとって口笛は、ゲームみたいなものだった。

それがだんだんと変わってきたのは、小学校の4、5年生くらい。
今度は、口笛を吹いていないとツライというか、ストレスが溜まるようになっている事に気付いた。
口笛を始めて1年経ったくらいの頃で、まるで、ヘビースモーカーが禁煙したことで激しく禁断症状を起こすかのようだった。
授業中は口笛を吹いたらダメ、というのはわかっているけれど、あの45分くらいがとにかく苦痛だった。
口笛が吹けないことがツラくてしかたなくて、チャイムが鳴ると同時に吹き始める毎日だった。
口笛一色と言っても良いくらいで、家族にも「うるさい!」と怒られてばっかりだったけれど、やめられなかった。

キッカケ②:先生の手紙は晴天の霹靂!全日本、そして世界へ

中学生の頃にはすっかり口笛キャラが定着して、休み時間になると「ギマ、○○の曲吹いてや!」とクラスメート達がリクエストをくれるようになっていた。
吹くと、「わー!すげー!」なんてものすごく良い反応をくれるものだから、それが心底嬉しかった。
あまりにもいつも吹いていたから、疎ましく思う人が居ても当然だったのだろうに、皆とても優しくて、うるさいからやめてくれなんて言われた事はほとんど無かった。
本当に、土下座したいくらい、皆には感謝している。

口笛を始めてから換算した吹奏時間というのは、誇張じゃなく、僕が地球で一番吹いてる自信がある。中学になってさらに加速した感じだった。
中学生なんていう思春期真っ只中では、流行りの曲含め音楽というものに結構敏感になって、音楽自体ももっと好きになる。
それもあってか、友だちらにはたくさん口笛を聞いてもらっていたが、同時に、口笛で人を喜ばせるということに、自分で生きがいを感じるようにもなっていた。
高校生になってもそれは変わらなかった。ただ、別に口笛で何かできるとも、やろうとも思っていなかったし、自分の口笛は「一生趣味で終わるんやろなぁ…」なんて思っていた。

しかしそれは、突然やってきた。

高校3年生のある時、中学校の時の先生から手紙が来た。
「日本で初めて口笛のコンクールが開催されるから、儀間くん口笛好きやったからぜひ出て欲しいです。」と書かれていた。
それを読んだ僕は、「こんなんあるんや!」と内心飛び上がっていた。
それまで口笛は、自分の周りでやっている人は誰も居なかったし、本当に僕一人の世界としてやってきていた。
だから、コンクールがあるということよりも、「自分以外にも口笛をやっている人が日本に居るんだ!」というのが単純に嬉しくて、自分の目で確かめたくて、すぐにその『全日本コンクール』への出場を決めた。

コンクールは、手紙もらった時点から2、3ヶ月後くらいの開催だったので、とにかく即行で練習を始めた。
昔習っていたピアノの先生のところに行って相談をして曲を決めて、それから怒涛の練習を重ねて、コンクールに出た。
1位・2位入賞者は、翌年アメリカで行われる国際大会に出場できる資格をもらうことができるこのコンクール。僕は、2位入賞を果たした。

世界と言ってもほぼアメリカ国内の各地から集まるという感じではあるが、それでも日本よりずっと歩みも長く、世界大会は僕が出る時でもう34回目の開催だった。
アメリカ、世界大会…となると、なにかこう、「もし世界大会で優勝できたら、口笛で何かやっていっても良いかもな…」という、何かじわじわと湧きあがってくるものがあった。

世界大会というのは年齢で分けられていて、10代の部と、20歳以降の部の二つがあった。
僕は、19歳だったので10代の部に出場。

…そこでなんと、優勝してしまったわけである。

日本のコンクールで1位だったのは30歳くらいの方で、アメリカでは部門が違って20歳以降の部に出場され、残念ながら結果には繋がらなかった。
レベル的には20歳以降の部の方が高かったとは思うので、僕は、そういう意味でかなりラッキーだった。

キッカケ③:口笛に挫折・・しかけたその先に、自分の内側から湧きあがってきた“想い”

国際大会で優勝したのがきっかけで、帰国後メディア等に出させてもらう機会がどっと増えた。
もう、1週間のうちに半分以上何かしら、取材なりテレビなりの予定が立て込むという状況。
縁が縁を呼び、次々と仕事に繋がってゆく。

まだ大学には在籍していて、授業もある時期だったが、「大学はいつでも行ける。取材とかテレビとか、そういう仕事は全部今しか受けられないのではないかな?」と、そう思って全く大学には行かなかった。
演奏や取材を優先して、結果3回留年して、休学もして、大学を卒業するのに6年半かかった。なんとか卒業したという感じで、そして、就活もしなかった。

「自分は口笛を仕事にしていくんやろな」という想いが、じんわり自分の中にあった。
就活をするより、そう考える方が自分の中で自然だった。だから、大学を卒業してからこれまで4年ぐらい、バイトをしていた時期もありつつ、一応口笛だけで仕事をやらせてもらっている。
一度も、いわゆる正社員に就職した事はない。
何かをやりながら口笛をやる、というのは、僕には考えられなかった。自分が納得できるとこまでやって、無理だったらその時は別の道を考える、というほうがしっくりくる。何かやりながらだと、その状態でずるずる続いてしまうと感じていた。

コンクールに出てからは、本当に口笛中心の生活で、いつどこで何をやっていても、常に頭の中に口笛がある。
これから自分は口笛をどうしていこうか、どうやったらもっとうまくなれるのか。
そのことばかり考えて、もう、口笛というものが“僕自身”になってしまった。これは意識したというより、気付けばなっていたという感じ。

ただ、そうなると…わからなくなる瞬間が、現れ出す。なぜ自分が、口笛をやっているのか、を。とにかく口笛が好きで、やりたくて仕方なくて、自分からアクティブに活動して、というのでは無い自分に気付いた。

先生の手紙をきっかけに、社会的な意味でより口笛の世界に入っていき、その波というか螺旋というか、に飲み込まれ、ハタと我を振り返る。
最初は無心に楽しくて、口笛を吹くだけで幸せだった。吹くこと自体、それだけで楽しかったし、人を喜ばせる事が幸せだった。
が、仕事としてやっているうちに、そういう楽しいという気持ちは無くなっていた。

もう、口笛を吹く事が当たり前、もっと言えば、口笛は“吹かなければならない”もの。仕事としてお金をもらってやっているというのはつまり、上手くて当たり前、良い演奏して当たり前だという事。
変な演奏をすれば、もちろん相応の評価が返ってくる。
例えばテレビに出て、内容をネットで結構に叩かれたこともあった。
そうなると、本当に“義務”とか“稼ぐために吹く”という心境になってくる。
口笛を仕事にするとはそういうことなのか…と感じるようになり、やがて、口笛自体が嫌になったり、口笛を吹く事に対して喜びが見出せなくなって、本当に辞めてしまおうと思うことが何度も起こるようになった。

毎回同じ曲をずっと延々と練習し続けて、それでいて、上手く吹けて当たり前、というのが連綿と続いてゆく。
一ヶ月後も二ヶ月後も。そう感じて、どんどん疲弊していく自分が居た。正直、なにもかも面倒くさくなって、練習をサボった時もある。僕は元々、練習がとても嫌いだから。
そうすると、案の定ミスをする。そんな時は、「ほんまに自分音楽やる資格無いな…」と罪悪感が湧いてしまう。

音楽をやる人間の義務というのか、聞く人を喜ばせる為にどんな努力もして絶対に成功させる、というのが“プロ”だと思う。でもこの時期は、それが全く無かったと言っても過言ではない。
1回何万とか、30分で3万とか、バイトをするよりも断然稼げる状況で、口笛が割の良いバイトのように思えてきてしまっていた。
例えば、良い演奏をしようが、それなりの演奏をしようが、もらえるギャラは一緒。
だから、最低限の練習でどれだけそれなりに見せられるか…と、そんなことを思ってしまうのだ。
本当にもう、最低なのだけれど。そんなこと思う時点で音楽をやるべきでないのだろう、とは思うのだが、バイトと考えればすごく割が良いと考えてしまい、それがつらかった。自分はすごく楽をして、音楽をやる資格も無いのにお金の為にやっている。それに気付いているけれど、お金も必要だからやらざるを得ない… 
それなりにベストを尽くしながら、同時に、自分の中に常に矛盾を抱えていた。そんな心持ちのまま、2年くらいが過ぎていった。

大学の卒業時期。ついに「もう本当に辞めよう…」と決めた。
ただ、その瞬間にドッと涙が溢れてきた。
何の涙だろうと思った時浮かんできたのは、音楽を通じて、口笛を通じて知り合った、色んな音楽仲間や、大好きな人たち。そういう人達と違う世界に行くのだなと思うと涙が出てきた。
何だかんだ、この世界が好きだった。でも、この決意は変わることはなかった。「口笛を辞めよう…」

それから、僕はラーメン屋になろうと思った。
元々、食べ歩くのが趣味なほどラーメンがとても好きだったので、ラーメン屋になる為に、どこかに修行に行こうと思っていた。が、そこで気付いた。待てよと。口笛だって、最初はそんな気持ちでやっていたんじゃなかったか、と。

口笛が好きだったからやり始めて、でも苦しくなって続けていけると思えなくなって、じゃあラーメンが好きだから今度はラーメンをやろうとなって。
でも、結局は同じことになるのではないか。口笛も、最初は死ぬほど好きだった。
でも、「仕事!義務!」となって、あまり好きでは無くなった。ラーメンも、もし自分が店を持ったとして、毎日ラーメンを作りまくり、ラーメンで絶対食べていかなくてはいけない、もしかしたら借金を抱えるかもしれない、という状況になったとしたら。
多分そうなったら結局、今とまったく同じ事、つまり、ラーメンが絶対的に嫌になる。そう思った時に、「なんや、何やっても一緒やん!仕事にするんやったら結局、なんでも嫌いになるんやな、最初はどんなに好きな仕事でもそうなるんやろな」という考えに至った。

何をしても一緒ならば、じゃあどうしよう?と思った時に改めて、口笛だけは、違うのだと気づいた。
何をやっても嫌になるというのを前提として、生きていくには何かやるしかないとなった時に、口笛に関しては「絶対自分にしかできへんな。」と云う想いが湧きあがった。
うぬぼれかもしれないが、口笛が今よりもっと世の中に認められていく、それを本当の意味で実現できるのは、日本で絶対僕しか居ないと、そんな気持ちになったのだ。どうせどんなことやっても嫌になるのならば、自分にしかできないと思えるものをやるべきなんじゃないか。
逆に、そこまで思えるものなどそうそうあるものでは無い。色んな人に相談したりしつつ最終的に、この想いが強く浮き彫りになった。

キッカケ④:自分流で進んだる!そして自分自身が“夢”になる、未来へ

少し話を戻して。世界大会から帰ってきてしばらくは、優勝をおさめたことに有頂天になっていた。
自分の口笛はなんて上手いのだろう、もうこれ以上上手くなれないのではないか?と思う程に、自己陶酔状態だった。そんな中、プロのミュージシャンや音大生と一緒に演奏してほしいという依頼があり、仕事を受けたのだけれど、僕は全然ついていけなかった。

口笛という狭い世界で優勝して調子に乗っていた僕は、“音楽”というもっと広い意味で捉えた上では、なんてこともない、ちっぽけな存在だったのだ。
全くついていけない自分が、とてつもなく悔しかった。その時心底、口笛を「ただの口笛」という世界観で終わらせたくない、ひとつの立派な音楽として、ピアノやヴァイオリンと同じ土俵、同じ立ち位置、同じ舞台で勝負していけるようなものにしたい、という気持ちがはっきりと輪郭を持った。
「口笛でここまでやれたらすごいよね~」という評価ではなく、「ピアノって良いよね」と同じように「口笛って良いよね」と人が感覚するように、ひとつの“楽器”として聞いてもらえるようになりたい。きっと僕だけではなく、口笛をやっている全ての人が思っているだろう。
今はまだまだでも、本当にそう感じてもらえるようになりたい。

ただ、これを根底に強く持ちつつも、口笛を吹く事を仕事として捉え過ぎたことで苦しくなっていた時期を越えた今は、また少し違う姿勢で口笛に向き合っている。

僕は、あまりにも多くの人にお世話になっている。
変わらずにずっと応援してくれている人が、本当に沢山居る。
その人達に、恩返しができたらと思っている。ただ、別に何かをあげるということではなくて、僕がその人の“夢”なり“誇り”になって、僕と出逢い縁が繋がっていることを、良かったと思ってもらいたい。もちろんその人の為にはなんでもするつもりだ。
きっと、「儀間さんの息子いつもあんなんやってんや…」と、後ろ指さしてくる人も絶対にいるはず。
だから家族も含めて、無償で応援し続けてくれている人たちに、有名になって恩返しをしたい。
ほんとうに、こころから。

これが僕、儀間太久実のKeyPage…

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掲載日:2017年06月30日(金)

鍵人No.0027

儀間太久実(ぎま たくみ)

10歳より独学で口笛を始める。06年第1回全日本口笛音楽コンクールで準グランプリ。07年国際口笛大会第34回インターナショナル・ウィラーズ・コンベンション(アメリカ)ではポピュラーとクラシックの2部門で1位を獲得。 『口笛奏者 儀間太久実 オフィシャルホームページ』
https://whistlertakumi.jimdo.com/

『口笛吹き 儀間太久実ブログ 口笛地獄』
http://blogs.yahoo.co.jp/trapofhusband25

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