儀間太久実 Episode3:口笛に挫折・・しかけたその先に、自分の内側から湧きあがってきた“想い” | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

» 儀間太久実 Episode3:口笛に挫折・・しかけたその先に、自分の内側から湧きあがってきた“想い”

国際大会で優勝したのがきっかけで、帰国後メディア等に出させてもらう機会がどっと増えた。
もう、1週間のうちに半分以上何かしら、取材なりテレビなりの予定が立て込むという状況。
縁が縁を呼び、次々と仕事に繋がってゆく。

まだ大学には在籍していて、授業もある時期だったが、「大学はいつでも行ける。取材とかテレビとか、そういう仕事は全部今しか受けられないのではないかな?」と、そう思って全く大学には行かなかった。
演奏や取材を優先して、結果3回留年して、休学もして、大学を卒業するのに6年半かかった。なんとか卒業したという感じで、そして、就活もしなかった。

「自分は口笛を仕事にしていくんやろな」という想いが、じんわり自分の中にあった。
就活をするより、そう考える方が自分の中で自然だった。だから、大学を卒業してからこれまで4年ぐらい、バイトをしていた時期もありつつ、一応口笛だけで仕事をやらせてもらっている。
一度も、いわゆる正社員に就職した事はない。
何かをやりながら口笛をやる、というのは、僕には考えられなかった。自分が納得できるとこまでやって、無理だったらその時は別の道を考える、というほうがしっくりくる。何かやりながらだと、その状態でずるずる続いてしまうと感じていた。

コンクールに出てからは、本当に口笛中心の生活で、いつどこで何をやっていても、常に頭の中に口笛がある。
これから自分は口笛をどうしていこうか、どうやったらもっとうまくなれるのか。
そのことばかり考えて、もう、口笛というものが“僕自身”になってしまった。これは意識したというより、気付けばなっていたという感じ。

ただ、そうなると…わからなくなる瞬間が、現れ出す。なぜ自分が、口笛をやっているのか、を。とにかく口笛が好きで、やりたくて仕方なくて、自分からアクティブに活動して、というのでは無い自分に気付いた。

先生の手紙をきっかけに、社会的な意味でより口笛の世界に入っていき、その波というか螺旋というか、に飲み込まれ、ハタと我を振り返る。
最初は無心に楽しくて、口笛を吹くだけで幸せだった。吹くこと自体、それだけで楽しかったし、人を喜ばせる事が幸せだった。
が、仕事としてやっているうちに、そういう楽しいという気持ちは無くなっていた。

もう、口笛を吹く事が当たり前、もっと言えば、口笛は“吹かなければならない”もの。仕事としてお金をもらってやっているというのはつまり、上手くて当たり前、良い演奏して当たり前だという事。
変な演奏をすれば、もちろん相応の評価が返ってくる。
例えばテレビに出て、内容をネットで結構に叩かれたこともあった。
そうなると、本当に“義務”とか“稼ぐために吹く”という心境になってくる。
口笛を仕事にするとはそういうことなのか…と感じるようになり、やがて、口笛自体が嫌になったり、口笛を吹く事に対して喜びが見出せなくなって、本当に辞めてしまおうと思うことが何度も起こるようになった。

毎回同じ曲をずっと延々と練習し続けて、それでいて、上手く吹けて当たり前、というのが連綿と続いてゆく。
一ヶ月後も二ヶ月後も。そう感じて、どんどん疲弊していく自分が居た。正直、なにもかも面倒くさくなって、練習をサボった時もある。僕は元々、練習がとても嫌いだから。
そうすると、案の定ミスをする。そんな時は、「ほんまに自分音楽やる資格無いな…」と罪悪感が湧いてしまう。

音楽をやる人間の義務というのか、聞く人を喜ばせる為にどんな努力もして絶対に成功させる、というのが“プロ”だと思う。でもこの時期は、それが全く無かったと言っても過言ではない。
1回何万とか、30分で3万とか、バイトをするよりも断然稼げる状況で、口笛が割の良いバイトのように思えてきてしまっていた。
例えば、良い演奏をしようが、それなりの演奏をしようが、もらえるギャラは一緒。
だから、最低限の練習でどれだけそれなりに見せられるか…と、そんなことを思ってしまうのだ。
本当にもう、最低なのだけれど。そんなこと思う時点で音楽をやるべきでないのだろう、とは思うのだが、バイトと考えればすごく割が良いと考えてしまい、それがつらかった。自分はすごく楽をして、音楽をやる資格も無いのにお金の為にやっている。それに気付いているけれど、お金も必要だからやらざるを得ない… 
それなりにベストを尽くしながら、同時に、自分の中に常に矛盾を抱えていた。そんな心持ちのまま、2年くらいが過ぎていった。

大学の卒業時期。ついに「もう本当に辞めよう…」と決めた。
ただ、その瞬間にドッと涙が溢れてきた。
何の涙だろうと思った時浮かんできたのは、音楽を通じて、口笛を通じて知り合った、色んな音楽仲間や、大好きな人たち。そういう人達と違う世界に行くのだなと思うと涙が出てきた。
何だかんだ、この世界が好きだった。でも、この決意は変わることはなかった。「口笛を辞めよう…」

それから、僕はラーメン屋になろうと思った。
元々、食べ歩くのが趣味なほどラーメンがとても好きだったので、ラーメン屋になる為に、どこかに修行に行こうと思っていた。が、そこで気付いた。待てよと。口笛だって、最初はそんな気持ちでやっていたんじゃなかったか、と。

口笛が好きだったからやり始めて、でも苦しくなって続けていけると思えなくなって、じゃあラーメンが好きだから今度はラーメンをやろうとなって。
でも、結局は同じことになるのではないか。口笛も、最初は死ぬほど好きだった。
でも、「仕事!義務!」となって、あまり好きでは無くなった。ラーメンも、もし自分が店を持ったとして、毎日ラーメンを作りまくり、ラーメンで絶対食べていかなくてはいけない、もしかしたら借金を抱えるかもしれない、という状況になったとしたら。
多分そうなったら結局、今とまったく同じ事、つまり、ラーメンが絶対的に嫌になる。そう思った時に、「なんや、何やっても一緒やん!仕事にするんやったら結局、なんでも嫌いになるんやな、最初はどんなに好きな仕事でもそうなるんやろな」という考えに至った。

何をしても一緒ならば、じゃあどうしよう?と思った時に改めて、口笛だけは、違うのだと気づいた。
何をやっても嫌になるというのを前提として、生きていくには何かやるしかないとなった時に、口笛に関しては「絶対自分にしかできへんな。」と云う想いが湧きあがった。
うぬぼれかもしれないが、口笛が今よりもっと世の中に認められていく、それを本当の意味で実現できるのは、日本で絶対僕しか居ないと、そんな気持ちになったのだ。どうせどんなことやっても嫌になるのならば、自分にしかできないと思えるものをやるべきなんじゃないか。
逆に、そこまで思えるものなどそうそうあるものでは無い。色んな人に相談したりしつつ最終的に、この想いが強く浮き彫りになった。

掲載日:2018年11月28日(水)

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口笛奏者

儀間太久実(ぎま たくみ)

口笛に対する気持ちがわからなくなってもがき苦しんでも、自分の中に湧きあがる想いとその光を信じて、自分自身で答えを出してきた儀間太久実さん。強い信念で進み続ける、若き口笛奏者の生き様にみた、プロとしての葛藤と覚悟とは。

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