僕は、お父さんが65歳の時の子どもだ。中国人のお父さんと、台湾人のお母さん。
ふたりとも会社に勤めるんじゃなくて、自分の仕事を持っていて。
特に、レストランを経営するお父さんのかっこよさといったら!!
サラリーマンなら退職しているような歳なのに、ビシッとスーツで出勤する姿は僕の憧れだった。
尊敬するふたりだけど、自営業なのでどうしても忙しい。
お手伝いさんが面倒は見てくれるけれど、もっと両親に構ってほしかった。
ものすごく勉強ができるわけでもない。スポーツで飛び抜けられたらと思って野球を始めた。
ただ、本気でプロをめざすとなると、両親は難しい顔をする。
「夢を持ったり言ったりすると、反対されるのか……」
子どもの僕にはよくわからないのだけど、そんな折、両親が離婚することに。
僕はなぜか、お父さんの前の奥さんの家で育てられることになった。
中学生になり、高校に進んで。プロ4球団からドラフトの指名を受けるくらいの成績だった。
ただ、実力以上に自分が評価されていることを感じてしまった僕には、プロの世界に進む勇気が持てなかった。
大学からの推薦も受けている。大学で野球をやって、自信を付けてからプロに行こう。そう考え、大学に進学。
入学した年の4年生の先輩には、翌年巨人に入団して大活躍するような人もいた。
めざすとか、追い抜くとか、そんな発想が浮かばなかった。同じ世界の人間だと思えなかった。
違うスポーツを見るような気持ちで見ていた。すごすぎた。
2年次には肩も壊してしまった。
たとえ肩が治っても、プロになって戦うのは化け物みたいな人たち。プロをめざすのも、このあたりが潮時なのか……。
ちょうど同じ時期、お父さんが亡くなった。
僕の生まれた時点で65歳、友人たちより早くお父さんとの別れが来るだろうことは覚悟していたけれど。
僕を育ててくれ、学費も出してくれているのは、お父さんの前の奥さんの家族だ。
「お父さんが亡くなったいま、お義母さんは僕のためにお金を出し続けてくれるのかな?
野球も大学も辞めなきゃいけないのかな。これからどうやって生きよう……」
将来を真剣に考えた。
お父さんの背中を見て育った僕には、サラリーマンとして定年まで働く生き方は想像できない。
かっこいいスーツに爽やかな笑顔で出勤するお父さん。
定年なんて関係なくパワフルに働くお父さんの姿が、僕にとってのリアリティだった。
いつか家族を持つなら、定年や引退のない働き方がいい。
お客様や関わる方からの感謝もダイレクトに受け取れる、お父さんのやっていた飲食店にはそんなイメージもあった。
「いつか自分の店を持とう。そのために就職して、力を付けよう」
育ての家族はそれまでと変わらず僕を大学に通わせてくれた。
家族への感謝と将来のビジョンを胸に、僕はブライダルを手掛けるホテルに就職、配属地である福岡に旅立ったのだった。
掲載日:2018年03月11日(日)
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