就活をして、一度内定を頂いた。ただ、高校や大学に進む前みたいなワクワクした野心は湧いてこなかった。
「4月から、この会社が舞台になるのか」
面接官に憧れたり、いろんな意味付けをしたりして、選んだ会社。ここに来て抱いているこの感覚は、何だ……?
自分に嘘をついて進むことはできなかった。
社会人になっても、本気で生きていたい。主務をやっていたころと同じ熱量で、仕事に向き合いたい。
内定を辞退して、もう一度本格的に自己分析をした。
自分の好きな事と嫌いな事、どんな事に心を動かされるか、両親の影響、価値判断の基準……。
「父さんみたいな飲食業界の人の力になりたい」
根っこにある、そんな想いに気づいた。
独立したいという気持ちを持ちながら、家計が担えなくなるリスクを考えて、挑戦せず勤めてきた父さん。
独立起業した料理人のテレビ番組を見る父さんに、「やりてえならやりゃいいのに」と思ってきた。
僕ら息子には「おめえがやりてえ事せえ」と言い続け、本当にやらせてくれたのに。
尊敬する大好きな父さんだけど、そこだけは言行一致していないんじゃないかと思ってきた。
だけど、主務という経験を持った僕には、違ったものが見えた。
父さんは、夢を諦めたんじゃない。
もっと大事なものが出来たんだ。
僕ら家族がやりたい事をやる、その環境を自分が作ってやる、というもっと大事な夢が。
自分が店をやること以上に、僕らがやりたい事をやることのほうを望むようになったんだ。
だから、時にもともとの夢が首をもたげることがあっても、もっと大切なもののほうを貫き続けたんだ。
そうやって、愛と自由を与え続けてくれた父さん。
数年前に肝臓ガンが見つかったものの、早期発見だから治療しながらうまく付き合って、いまでも現役で頑張っている。
そんな父さんの力に、今度はなりたい。父さんみたいな飲食業界の人の力に、なりたい。そのために。
まずは実地の経験をと思った。
カフェの店舗運営をしながら、閉店後にチャリンコで移動、終電まで日本料理屋で修行する日々。
現場に慣れ、あれこれ覚えるのに必死だった数ヶ月を経てふと息をついた時、もの足りなさを感じた。
「この先に僕のしたい事はあるのかな」
「この日々の先に、父さんを助けられるような自分が本当にいるのかな」
悶々と悩みながら、仕事をする。
「主務をやっていたころと同じ熱量で、仕事に向き合いたい」
そう思って就活をやり直したのに、いまの僕のあり方は……。
だけど、「一度勤めたら3年は」「まずは現場で力を」なんて固定観念も強くて、何かを動かす勇気も持てずにいる。
その年の7月。
前日まで東京に遊びに来ていた母さんから、深夜に電話があった。無事家に着いたという連絡にしては、時間帯がおかしい。
「お父さんの容態が……」
すぐに休みを取り、実家に飛んで帰った。
直前まで仕事をしていたという。
ガンが見つかっているとはいえ、父さんが闘病しているという意識は僕にはなかった。
これまでに何度か危なくなっても、必ず持ち直してきた。もちろん、今回だって、きっと。
顔はパンパンで、会話もできなくて……でも、父さんは絶対に元気になる。手を握り、祈る。
明日がヤマだと言われながら、そうだとはとても思えていない自分。
そのとおり、翌日は持ち越した。
そして、もう一日。
父さんは亡くなった。持ち直さなかった。永別の可能性の受け入れられないまま、僕はその時を迎えた。
「明日死んでも後悔しない生き方を」本や映画でよく聞く言葉が、真実味を伴って初めて突きつけられた。
父さんは、きっと後悔しなかった。店を持つことを選ばなかった父さんは、一番大切な願いを叶え続けてきた。
自分の夢以上に大切なものを見つけて、それを貫いて、きっと……納得して生ききった。
じゃあ、僕は? 僕はどう生きる?
明日僕が死んだら、絶対に後悔する。父さんのように死ぬことはできない。
どうする? サッカーをやっていたころの熱量で、主務をやっていたころの熱量で、毎日を生きるとしたら。
「おめえがやりてえ事せえ」
店を、辞めよう。
父さんのような飲食業界の人たちに直接働き掛けられる、コンサルティングの仕事に就こう。
父さんは僕に夢を託してくれた。自分の夢以上に、僕が僕らしく生きることにその人生を懸けてくれた。
その父さんは死んだ。
だけど、父さんの想いを受け継いで生きるなら。
父さんのような料理人や飲食業界の人の力になって生きるなら。
きっと、父さんは天国でずっと笑っていてくれる。父さんは僕のなかに生き続ける。
僕は、父さんとともに生きてゆく。
飲食業界を牽引する存在に。
「俺は必ずやるよ。父さん、見守っててな」
これが、僕の見つけたKeyPage、僕の貫くKeyPageです。
掲載日:2018年12月04日(火)
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飲食コンサルタント
砂田康太(すなだ こうた)
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