医学科に入って、専門を選ぶ時に、はたと立ち止まった。
僕が医者を目指したのは、大好きな人達の力になりたかったからだ。
大きな病気やお金の苦労をしてこなかった僕。
リアルに感じられる人生で一番大きな不幸は、死だった。
だから、死に際した人やその家族のサポートがしたいと思ったのだ。
ただ、医者は臓器別に専門科に分かれている。「別に、心臓だけが見たいわけじゃないし……」
専門をどうしようか考えながら学ぶうち、救急医療を専門にしたいと思う様になった。
飛行機や街中で人が倒れた時に、専門じゃないかもしれないからと名乗り出ない医者になっちゃいけない。
いつかのおばあちゃんの言葉も、救急の道に進む指針になった。
アルバイトも大切な社会勉強の機会だった。
夏休みの屋台の手伝いをとおして人の集う空間を創るという飲食店の魅力に気づいたのと、
もっと人と話すことに慣れたいという気持ちがあったのとで、
縁のあったカフェバーと居酒屋でのアルバイトを始めた。
バーでも居酒屋でも、カウンター越しにお客さんと話す機会がたくさんある。
高3の修学旅行以来いくらか社交的にはなったものの、ここでいろんな方と話した経験は
人としても医者としても本当に大きな財産になった。
僕が医学生だということも常連さん達は皆知っている。
普通の会話もするけれど、医学生として相談を受けることもあった。
「しんちゃん。もし俺の余命がわかったらな、半年以上前に言うてくれ。」
特に持病も持たない健康な人がそんな風に言うことがあった。
「もし突然余命1ヶ月って言われても、そんな急に死んでられん。
残った仕事どうするかとか、後継どうするかとか、いろいろ死ぬ前に準備せないけん事がある」
オーナーにも
「俺が死ぬ時は余計な治療なんかしないで、死にたい様に死なせてくれ。苦しまない様に安楽死させてくれ」
とよく言われた。
病気そのもの、死そのものだけが問題や恐怖の対象ではないのかもしれない。
その背景に「何か」があって、その上で死や病気への恐怖が生まれているんじゃないか。
そこまで深みを持って患者さんと接しないと、
患者さんの求めるものと医療者の提供するものに齟齬が生まれてしまう。
大学の講義では教えてもらえない、生身の人と接して初めて気づく事だった。
6年間の大学時代での色々な経験をとおして
「病気じゃなくて人を診る医者になりたい」
と強く想う様になった。
そうした志を抱き、卒業後はT病院への勤務を希望、
住み慣れた福岡の地を離れることにしたのだった。
掲載日:2018年12月03日(月)
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