佐藤皓紀 Episode2:やってみないとわかんない! | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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大学入試の時、最初に志望した国立大学は
「やってもいいけど、どうせ受からないんだから」という親の言葉で挑戦自体を諦めた。

テストで良い点を取ることだけが生き甲斐だった高校時代。
そんなコトも手伝って、親の予想を裏切って、ほかに10近く受けた大学のほぼすべてに合格。
茨城県の国立大学に進学した。福島の実家から離れてひとり暮らしを始めた。

人見知りも激しくて、最初はつまんなかった。夏休みで1ヶ月人に会わないこともあった。
でも、新しい環境での変化もあった。

短期のアルバイトをした時、沖縄出身のクラスメートがたまたま一緒になった。
僕の大学にはクラスというのがあるんだけど、そこで学級委員長とかやっているような奴だ。
そのタツヤがやたら気に懸けて、声を掛けてくれる。

そのうち僕らふたりとも常勤バイトになった。
彼が出勤しないはずの日。
バイトを終えて裏から出ると、「メシ食いに行こうぜ」とタツヤが待っていてくれたこともあった。

「なあ、今度あいつとあいつ誘ってメシ食いに行くから」
「今度うち来いよ。みんなで鍋でもしようぜ」
「今度あいつの家で映画観るんだよ。来いよ」
やたら、集まりに誘ってくれる。でも僕はいつも
「悪ぃけど、忙しいから」
別に忙しくないんだけどね。

タツヤと話すのは平気になったけど、まだ仲良くない人が何人もいる場は苦手。
理由を付けて断ってきたけど、断りきれずに何度か参加した。

帰宅したらドッと疲れて、ベッドの家で独り反省会開始。
僕は何の取り柄もない普通の奴だ、そんな僕が何か話しておもしろがってくれるはずがない。
そう思いながら人と会うのは、もう苦痛も苦痛。まず、人との話し方がわからない。
「おもしろくしなきゃ」「おもしろい人を演じなきゃ」「せめてソツなく振る舞わなきゃ」
人の気持ちを汲み取るのは昔からの癖だけど、自分にそんなプレッシャーを掛けるもんだから、帰宅するといつも
「今日も上手くできなかったな……」「あの時こう返せばよかった……」
そんな思考がグルグルする。自分も楽しむ、なんて夢のまた夢。

だけど、じきに気づいた。
僕が「しまった、こう返せばよかった」と思ってしまうようなサエない受け答えをしても、相手は別に嫌がったりつまらなそうにしたりしていない、ということに。
よくよく周りを見ていると、おもしろいとか気の利いた返しとかじゃなくても、みんな笑顔でコミュニケーションしている。

そうか、別にお笑い芸人じゃあるまいし。
ただその場を楽しんだり、相手の話を一生懸命聴いたり、心のうちを素直に話したり……もしかして、それでよかったのかな?

少しずつ、少しずつだ。
「気の利いた事を」なんて考えず、自然体でモノが言えるようになった。
人が怖くなくなって。人と話したあとも疲れなくなって。赤面しなくなって。

「俺、これよりこっちのほうが観たいかも」
映画を観ようという時、勇気を出して自分の希望を言ってみた。
ワガママとか空気読めないとか思われるんじゃないか……前だったらそう気を回して、とても言い出せなかったのに。
「お、いいじゃん」「今日はそれにしようぜ」

これがしたいと言うことは、悪いコトじゃないんだ……!!!

さて、僕に人との交流の楽しさを教えてくれたタツヤは、沖縄県人会に入っている。
毎年学園祭で披露するエイサーを数ヶ月前から練習して、そのつながりも濃くて充実した時間なんだそうだ。

タツヤのおかげでクラスの友達が増えたり、テニスサークルでの友達も作れるようになったりした。
とはいえ僕には「ここに所属している」というはっきりした意識がなくて。
「県人会かあ、いいなあ……。福島県人会はないのかな? 」
調べると、うちの大学にはないという。でも、僕もそういうのやりたい……!!!

やりたいと思った気持ちを言葉にして、行動にした。
クラスの福島出身者や東北出身者に声を掛け、福島県人会を発足。
その年の学園祭で揚げまんじゅうの模擬店を出店することに。福島名物だ。

何度も集まって原価計算したり、ワイワイ試作品を作ったり。
「おい、誰だよ! たい焼き揚げたの! 」
ドッと上がる笑い声。楽しくて仕方ない。
模擬店を出すためにというより、準備を含めた“この瞬間”のために全力集中している感覚。
そうして迎えた本番も大盛況! 1万を超えた利益で打ち上げをした。

やろうと決めた時、怖さがなかったわけじゃない。
やりたいと言って、行動するのに、勇気だって要った。でも、それ以上にワクワクしたから踏み出せた。
「やりたい事は、口にしていいんだ」
「何でも上手くいくわけじゃない。でも、まず言って、やってみなきゃ、何もできないんだ」
「人に壁はない。壁を作るのは自分自身だけ」
タツヤの広げてくれた交友関係から、そんなコトが、理屈じゃなくて心身に染み込んでいったから。

だから行動できた。ひとつの組織を立ち上げ、かけがえのない思い出を作ることができた。
「どうせ無理」という自分への気持ちが「やってみなきゃわかんない」に塗り替えられた大学時代だった。

掲載日:2019年01月24日(木)

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オモロく生きるエンジニア社長

佐藤皓紀(さとう ひろき)

IT 企業の枠を超えて活動する、株式会社 Luxy の佐藤皓紀さん。対人恐怖症や赤面症を持っていた子ども時代から、どんなキッカケを経て人と広く深く関わる生き方に変わっていったのか......?その半生を追いました。

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