中島庸彰 Episode3:仕事とは、人を喜ばせること。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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美容師としての独立は諦めたものの、人生そのものを諦めたわけじゃない。
「わかんなかったら人に聞け」
専門学校時代の成功体験は、美容師の道が絶たれても僕の支えになった。

それまでにいたのは、電話帳に100人の名前があれば90人は美容師、という閉鎖的な業界だった。
「何をするにも、世間を知らなきゃな」
そう思い、知り合いを5人集めて飲み会を開いた。彼らに仕事のことを聞いてみると、それぞれ答えが返ってくる。
「営業やってるよ」「俺はIT系」
営業って何……??? イットと書いてITなのはわかるけど、内容はさっぱり……。予想以上に世間知らずだった。
それでも、たった5人の話を聴くだけでも僕の知らない世界がこんなに。もっともっと知りたい、そう思った。

そのなかのひとりの紹介で、同世代の経営者に会わせてもらった。
学歴のないなかで経営者として成功している彼は、
やはり学歴がなく、唯一のキャリアの絶たれた僕に、経営者のものの考え方や選択の仕方を教えてくれた。

25歳での独立。美容師でなくても、経営者としての独立ならできるかもしれない。学歴もキャリアも何もなくても。

もっと人と会おうと思い、最初の5人に友達を連れてきてもらって飲み会を継続。
友達の友達の……と、知り合いがどんどん増えていった。
世の中にはイベントというものがあると教えてもらい、パーティとか交流会とか呼ばれるものに飛び込んでみたり。
「起業したいなら、セミナーとか勉強会とかに出てみたら? 」
パーティで知り合った人に勧められ、そうした勉強会にも出てみたり。

9時18時の派遣の仕事に、週2、3回はファーストフード店で働き、それ以外の時間はとにかく人に会い、ビジネス書も読んだ。
独立につながりそうな人脈や知識に貪欲だった。
流行っているビジネスをやってみては、成果が出なかったり。
飲み会のほうで利益を出そうと集客しても、声を掛けた人にイイ顔をされず、多めに予約した分が赤字になってしまったり……。
「お金がない」「時間がない」「わからない」を言い訳にしたくなかったので、消費者金融からお金を借りまくった。
そうして動いて1年以上、7社から借りた総額が220万くらいに。とうとう1万円も借りられなくなってしまった。

だいぶ前に家賃4万6千円のボロアパートに越していたし、売れそうな家財道具も売り払っていた。
「これ以上どうしたら……」
そんな時、お世話になっている経営者の方にこう言われた。

「中島くん。仕事っていうのは、自分が人を喜ばせた何かに値段をつけたものだよ。人が喜ぶ事をやりなさい」

ビジネス書やセミナーで何度も触れていた言葉だった。知っていたはずの言葉だった。
それなのに、その言葉は新鮮に僕の胸に刺さった。

独立を焦るあまり、思考や行動が自分本位になっていた。
この出会いは自分にとってメリットがあるかどうか。イベントを黒字にするために集客しなきゃ。
このビジネスなら利益が上がるんじゃないか。そんな事ばかり考えていた。

最後にもう一度やるイベントは、参加者、スタッフ……関わる全員にとって喜びになるような形でやろう。
そう決めて、最後の一回に挑戦した。

当たり前のように土曜日の夜に借りていた会場を、あまり売上の立たない時間帯に安く借りて、100人規模の交流会を開催。
どんなコンテンツを用意すれば喜んでもらえるか。
スタッフひとりひとり、関わってくれる目的も違う。それぞれをモチベートして手伝ってもらうにはどうしたらイイのか。
相手目線で試行錯誤したそのイベントは、初めて黒字、それも10万円の利益を出したのだ!

会場側は「この時間帯使ってくれるのは有難いよ」と言ってくれる。
参加者は「あの時こんな友達が出来て」「また呼んでよ」と言ってくれる。
スタッフも「すごい楽しかった!! 」と喜んでくれる。
関わったすべての人が喜んでくれて、しっかり利益にもなったのだ。

「これが……人を喜ばせるってことが、仕事の本質なんだ!!! 」

その後、派遣やバイト以外の時間はひたすら企画を考え、集客をし、月に12本の企画を打つようにした。
翌月、月70万円の利益を出し、じきに月100万円に。3ヶ月も続けると、消費者金融からの借金は完済できた。

人を喜ばせる事をして、その対価をもらうこと。
この感覚を大切に、愚直に行動したら、少し前の自分には信じられないような結果が出せた。偶然の一発屋ではなく、継続的に。
確信を得た僕は派遣を辞め、2011年4月1日に独立。
ボロアパートから、狭いけれどもタワーマンションに引っ越し、心配掛け通しだった群馬の両親を呼んで感謝を伝えた。

そのエレベーターホールに立った時。
「本当に、独立したんだな……」
ちゃんと自分のビジネスで、自分の足で立てた実感に、こみ上げるものがあった。
表参道で空を仰いで流した涙とは違う、あたたかい涙。24歳のことだった。

掲載日:2018年06月22日(金)

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socia'L CORE代表取締役社長等

中島庸彰(なかじま のぶあき)

特技も何もない、普通の少年だった中島庸彰さん。初めてつかんだ目標に向かい邁進する日々は、ある日突然絶たれたのでした。絶望に打ちのめされても決して人生を諦めなかった中島さんの奮闘記です。

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