不妊治療を続け、その年のうちにもう一度妊娠した。けれども、その子も12週で空に還った。
待望の赤ちゃんを授かる喜びと、その命を見送る絶望と。
一年で感情の頂点とどん底を2度も経験した。
不妊治療のために会社を休む事もあったし、流産のあとに少し休みを取らせてもらったりもした。
それでも営業成績は落とさなかったので、同僚からは嫉妬された。
だけど、正直気にならなかった。二度の流産のショックが大きすぎて……。
いくら悲しんでも、悲しみが尽きない。
「どうして私だけ」と運命を恨んだり、自分を責めたり。
社内の嫉妬も、体の異変も、何も気にならなかった。
そう、体の異変も……。
35歳になる年には全員人間ドックを受診するよう、社内で通達があった。
見て見ぬふりしてきた脇の下のしこりの事を、この際はっきりさせよう。
2009年3月10日。人生初の人間ドックの日。
「安心するために行ってくるね」夫にそう言って家を出る。
郵送で届く結果を待たず、お金を払ってでも何をしてでも、今日中にはっきりさせてこよう、と決めて。
もうすぐホワイトデー。夫との温泉旅行も予定している。せっかくだからスッキリした気分で行きたいもの。
すべての検診を終え、お医者様に呼ばれるまでの長い時間を待合室で過ごす。
壁に貼られたいくつものポスターのなかでも、目に留まるのは……。
(いや、乳房じゃなくて脇の下だもん……違うよね)
「鍵さん、お待たせしました。これですが……」
マンモグラフィの画像を画面に表示させ、お医者様が言う。
「これ、何だと思います?」
(聞かないでよ、知りたくて来たんだから……)
不安が煽られ、胸が締めつけられる。
「正確なところは、細胞を取って見てみないと何とも言えませんが。この形を見る限り……」
それっきり、口を閉ざしてしまう。
言いたくもないのに、言わされるように……私はその言葉を口にした。
「もしかして、……乳がん? 」
(麻由ちゃんの言葉を一番聴いているのは、麻由ちゃんよ)
“がん”と口にした瞬間、頭に、体中に、その言葉が響いた。
(がん……がん、なの? 死ぬの? 私、死ぬの……??? )
ショックで椅子から転げ落ちた。堰を切ったように涙があふれる。
そんな反応に慣れているのか、淡々と説明を続けるお医者様。
「残念ながら、リンパに転移しています。初期ではありません。統計では、5年生存率は……」
(やめて。やめて……! 人の命の期限を、勝手に決めないで……!!! )
夫にはすぐに電話がつながらない。
人間ドックの事なんて伝えていなかったけれど、母、節子さんに電話を掛けた。
娘にいきなり乳がんだと打ち明けられた節子さん。途切れ途切れの私の言葉を黙って聴いてくれた。
「まだ、やりたい事……いっぱいあるのに……40歳になれないかもしれないなんて、勝手に、決められちゃって……」
「麻由ちゃん……大丈夫。絶対大丈夫。絶対……大丈夫よ! 絶対、絶対……」
絶対、大丈夫。
節子さんは、電話を切るまでの間、何回も、何十回も、そう繰り返した。
子どもの頃から無条件に私を信じてくれた節子さんの、「大丈夫」の言葉。
神様に見放された、さすがにこれは乗り越えられる気がしない、と絶望する私の心に、小さな光が射した。
その後、夫とも連絡が取れた。
電話口で彼もショックを受けていたけれど、「一緒に乗り越えよう」というゆっくりと優しく温かい言葉に勇気づけられた。
上司には「最長1年間休みが取れるから、ゆっくり休んで元気になって帰っておいで」と言われ、傷病休暇を取る事にした。
温かい味方や理解者に囲まれている私。
乗り越えよう。絶対、大丈夫。私はひとりじゃない。
絶対に……乗り越えてみせる。
自分を信じて笑顔で挑戦すれば、乗り越えられない事はないんだ……。