僕は21歳で大学を中退した。早く現場に出たかったのだ。
上京し芸能事務所の門を叩き、研修生になった。半年もすれば芸能業界の闇の深さはすぐにわかった。研修生から上に行ける可能性がほぼないことが。全部が全部そうとは言わないが、多くの研修生は“夢を持つ若者から、お金を吸いあげて事務所の運営資金にするためのシステム”なんだなということがわかり研修生を辞めた。
「演劇をしよう…僕には演劇しかない」
バイト以外の時間は、全部演劇に費やすことにした。
劇団を旗揚げし、毎月新しい台本を書き、演出をし、俳優としても出演した。チケット管理などの制作業務や小道具の製作もすべてやった。周りから「ありえない」といわれる程の過酷なスケジュールは決して苦ではなかった。そうすることで芝居だけで食べていけるようになったのだから。
34歳で結婚をする。ただ芝居だけで、二人分の生活費を稼ぐことは難しかった。
生活費を稼ぐために家電量販店の派遣社員として営業職に就いた。演劇で培ったコミュケーション能力は、面接にとても活かすことができたが、社会はそんなに甘くなかった。営業が全くできなかったのだ。「僕は役者なのにどうしてこんなことをしなければいけないんだ」といった慢心がそのまま営業成績に反映されていたのだろう。でも、このまま成績が悪ければ派遣は簡単にクビを切られてしまう。どうしたらここで楽しく仕事が出来るんだろうと真剣に考えた。
試行錯誤の末、辿り着いたのが「営業の仕事ではなく演劇の舞台だと思って仕事をすること」だった。
同業者は共演者。お客さんはそのまま観客だ。マニュアルは台本で、職場はステージ。僕はここで芝居をしているんだと思って取り組むことにした。
たったそれだけのことで成績はみるみる上がり、最下位からトップまで登り詰めた。やはり「僕には演劇しかない。そして演劇の可能性は本当に凄い」と改めて思ったのだった。
演劇を使った営業をしながら安定した日常を送っていたある日、昔の友人と会うことになった。友人は会社の社長になっていた。お酒が入って饒舌になった彼は「お金はあるけれど面白いことがないんだ」と僕に愚痴をこぼした。
「面白いことがしたいんだったら僕に投資するといいよ!」と僕は彼に持ちかけた。
「じゃあ覚悟を見せてほしい」と彼は僕に言った。
覚悟か…なんとなくピンと来るものがあった。翌日、いつものように職場に行き、僕は上司にこう告げた。
「最短で辞めたいんですが、いつ辞めることができますか?」と。
僕は生活の安定を捨てた。そして一週間後、彼に会った。
開口一番、僕は彼に「会社辞めてきたよ。」と伝えた。
彼の会社に、僕の為の新規ネットテレビ事業部が作られた。色んなことをさせてもらった。芸人と一緒に幽霊を探しに行ったり、ホームレスにインタビューをしたり…
すごく面白かったけれど、何故か満たされない僕がいた。
どうしてなんだろう…と自問する日々。社長はすごくいい人だ。そして恩もある。でもどうしても自分が納得できなかった。自分がやりたいことと、ネットテレビの流行とがあまりにも合っていなかったのだろう。
ネットテレビの主流は、過酷なことをして笑いをとることになっていた。
そのほうがお金もかからないし、やる人が辛いだけだ。それを観て視聴者は自分が安全圏にいることで笑うことができる。僕は誰もが笑顔でいられるものを作りたいと思っていたのだろう。でもそれを作るには人もお金も時間もかかる。簡単に作れるものじゃない。
「作りたいものはこれじゃない…!」
ジレンマやストレスで下血し、身体が動かなくなっていった。結局、会社は辞めることになる。
掲載日:2017年02月17日(金)
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演劇・ゲーム専門家
池田レゴ(いけだ れご)
コミュニケーションの質を改善する人材育成レッスン「演劇活用法」を普及している池田練悟さん。演劇の未来と役者の為に今の劇団を立ち上げるキッカケとなった自身の経験とは…!?