僕は、大阪府堺市で生まれ奈良県で4人兄弟の長男として育った。
小学校の頃は人と話すのが大の苦手だった。クラスメイトと話そうとすると、過度に緊張してしまい吃音や赤面してしまう。会話ができないことで、まるで対人恐怖症のようになっていった。
友達のいない僕は、本や映画の世界に逃げ込むことしかできなかった。
少し内弁慶なところもあったのだろう、家族とは普通に話せた。結果、授業参観に来てくれた母親が、家と学校のギャップに愕然とし「この子はもう家でしかるのはやめよう」と誓うほど学校では暗く沈んだ小学生だった。
コミュニケーションが取れない根暗な小学生。
僕は格好のいじめの標的になり、休み時間になると殴る蹴るは当たり前。椅子の上から飛び膝なんて一歩間違えたら死んでいたんじゃないかと思う。丈夫な身体が幸いして暴力は陰湿ないじめへと変わっていった。机とカバンが南京錠で繋がれていたり、飲み物にツバが入っていたりした。
ただ地頭は良かったので心が壊れることはなかった。IQテストは学内でトップだったし、体力テストの値も相当高かった。
ただコミュニケーションがとれないだけだ。だからいじめを告発することもできない。一見、優秀な壊れない寡黙な「おもちゃ」は、いじめっ子にとっては最高だったのだと思う。
「なんで僕はこんな人間なのかな・・・」
そんな状況の中でも、人を嫌いになることはできなかった。
だから辛かった。人が好きだけれど、でも人に嫌われてしまう。まるでノートルダムのせむし男。だから人が出てくる物語に惹かれたのだろう、逃げ込んだ本の世界にはたくさんの魅力的な登場人物たちがいる。その中でも、シャーロック・ホームズが大好きだった。将来は名探偵になろうと決めていたくらい。だからあの映画-アニメ映画「カリオストロの城」-に出会わなければ僕は今頃、探偵会社で働いていたかもしれない。
ルパン三世という、魅力的な世紀の大泥棒に僕は強烈な憧れを抱くことになる。
「ルパンになりたい!でもホームズにもなりたい!」
「ダメだ・・・僕(泥棒)を捕まえる依頼が僕(探偵)に入ったらどうするんだ・・・」
「この二つは・・・両立できない・・・!!!」
小学生の頭で必死に考えた。そこで思いついたのが“演劇”だった。
「役者だったらどちらもできる。それに、台詞の練習はコミュニケーションの練習になるかもしれない!一石二鳥じゃないか!」
早速劇団を作ることにした。集めることができたのは、自分が声をかけやすい学校のハブられものたち―いじめられっこ―ばかりだったけれど…
僕が脚本を書き、演出をし、出演もした。
みんなでする練習はとても楽しかった。お楽しみ会(学期末のクラスごとの小さな発表会)で発表する機会ももらった。これが、僕の芝居を始めたキッカケになる。
掲載日:2017年02月17日(金)
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演劇・ゲーム専門家
池田レゴ(いけだ れご)
コミュニケーションの質を改善する人材育成レッスン「演劇活用法」を普及している池田練悟さん。演劇の未来と役者の為に今の劇団を立ち上げるキッカケとなった自身の経験とは…!?