自立支援への思いは強くなりましたが、その時にはすでに就職が決まっていたので、
通信関係のベンチャー企業に入社し営業をしました。
少ない休みを縫って活動はしていたものの、圧倒的に時間が足りなくて。
その年の6月、梅雨の頃。
小学時代からの親友が亡くなったという電話がありました。
学生ながら海外を渡り歩いていた彼は、
自分にはない考えや世界を教えてくれた人でした。
就活の時も情報交換をしたり、目標を語り合ったりしていました。
それなのに入社後毎日毎日仕事に追われていた僕は、その友人に会う機会もなく、
自立支援のことも何もできていない状態。
かつて友人の死に際して抱いたはずの「自分の人生を楽しもう」という決意すら、忘れかけていました。
親友の死をキッカケに、
「仕事が忙しいから」という理由でやりたいはずのことから逃げていたと気づきました。
このままではいつまで経っても始まらない……。
僕は、会社を退職しました。
まず自分がマネタイズできなければ
障害者の方に仕事を回すこともできない。
退職前から動いてはいたのですが、退職後は本腰を入れて、Webを活用していろんなチャレンジをしました。
転売、アフィリエイト、Twitterや動画サイトでの広告収入の産出など。
Twitterは150個くらいアカウントを作成して集客、月10~20万円もの収入を得ましたが、
3か月ほどですべてのアカウントが凍結されました(笑)
他の投資も行っていたので、手元に残ったお金はなし!
結局失敗してしまったわけです。が、収穫はありました。
Webの活用と障害者雇用は相性がいいのでは? そんな手ごたえを感じました。
また、最初は「自分のため」「稼ぐため」にしていた発信も
「見てくれる人のため」「価値の提供のため」という視点へと変化していきました。
すると不思議なことに、徐々に物事がうまくいくようになりました。
純粋に収益が上がるようになったし、それだけでなく
Webを使った集客について教えてほしいという依頼がどんどん増えていったのです。
個人を相手にしたアフィリエイトから店舗さんや実業家の方たちにWeb集客を教える方向に
シフトしてゆきました。
そうした情報発信を通じたマネタイズの方法を障害者の方にも教えようとした時期もありましたが、
例えば発達障害の方の多くにはそうした作業が向いていても
障害の種類によってはひとつの作業に集中するということに向かない人もいます。
それより障害者ひとりひとりのびっくりするような……絵が上手いとか、記憶力がとんでもないとかいった才能を僕が見出だし、
Webを使ってプロデュースするような形のほうがよいのではないか。
わかりやすいスキルや才能が今のところ見えない障害者の方には、
データ入力や事務作業などの仕事を僕が取ってきて外注するような形はどうだろう?
少しずつ少しずつ……障害者自身がこの日本で自立して稼ぐ方法が見えてきたのでした。
掲載日:2017年11月10日(金)
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株式会社Nextwel(ネクストウェル)代表
ポータルサイト「Welsearch」編集長
日野信輔(ひの しんすけ)
友人の死をキッカケに、限りある人生を思い切り生きると決めた。 野球一筋の生活を終え、思いがけず知った障害者雇用のあまりに厳しい現実。 自立支援を実現させる夢を追い続けて。