両親はやたらと僕にスポーツをやらせようとする。長男が優秀だから、弟の僕にもそうあってほしいのかもしれない。
「やりたくない」と突っぱねることもなく、言われるがままにスポーツをやった。僕は流されやすくて、親がやるといえばそれに従った。僕にはできない。どうせ兄さんのようにはなれないんだ。そんなふうに考えながら……。
一体これで何度目だろう。今度は友達と一緒にスケート教室に行くことに。
「どうせまたダメだ」
そんなふうに考えていた。でも、今回はいつもと違った。
「あれ……、これ、楽しいな……!」
サッカーや野球みたいに、ミスをしてみんなの足をひっぱることもない。兄さんと比較されることもない。もともとやっている人の人口が少なくて、周りもほとんど初心者だから、下手でも笑われない。今までやってきたスポーツとは違って、スケートは気楽に楽しめた。
「これなら僕もできるかもしれない」
それから僕はフィギュアスケートを習うことになる。
フィギュアスケートが今までにやったスポーツと違うのは、個人競技であるところだ。今までの僕はうまくいかないところを人に見られたり、周りと連携するのが嫌だった。そうしたしがらみから解放されたとき、僕はやっとスポーツを楽しめるようになった。
小学6年で、フィギュアスケートに加えてシンクロナイズドスケーティングも始めた。
シンクロナイズドスケーティングは、16人チームで演技や隊形(フォーメーション)の美しさ、全体の一体感を競う種目だ。団体フィギュアスケート、もしくはシンクロナイズドスイミングのスケート版って考えてもらえばいいと思う。
みんなと連携したり比べられたりするのが嫌だった。でも、シンクロではそういう居心地の悪さはない。全員が音楽に合わせて決められた動きをするこの種目では、運動がうまいことよりも、周囲と合わせるということが求められる。良くも悪くも周りに合わせるのは好きだったから、相性が良かったんだ。
シンクロをやりながら、フィギュアスケートも続けた。個人種目で練習をしておけば、シンクロの役にも立つかもしれない。そう思ったからだ。
ただ楽しいだけじゃない。スケートは僕の居場所になっていた。気が付けば、いつもチームのことを思って活動している。1日の大半を一緒に過ごす仲間たちは家族のようなもの、僕にとって大きな存在だ。
そんな仲間たちと必死に練習していれば、辛いことも忘れられる。……たとえ両親が離婚しても。
小学6年生のときのことだ。いつものようにスケートの練習に行こうとしたとき、父さんと母さんがケンカして、そのまま離婚することになった。
どうしてそうなったのか、一体何があったのか、わけがわからない。わけがわからないまま、父さんとは会えなくなり、それ以来母さんはヒステリックになった。
変わってしまった母さんの代わりに、姉さんが僕の面倒を見てくれるようになった。それでも家の中は居心地が悪い。
どうしてこうなってしまったんだろう……。
父はいなくなり、母は荒れ、僕は以前にもましてスケートに打ち込むようになった。練習は朝の6時から、学校を挟んで夜の10時まで続く。それを苦とは思わない。必死に練習していれば、嫌なことも忘れられるから……。