東信幸 Episode3:「運動音痴」の僕が国体出場選手になったキッカケ | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

» 東信幸 Episode3:「運動音痴」の僕が国体出場選手になったキッカケ

中学に上がって、僕は伸び悩み始めた。運動音痴なりに上達してきたけど、試合に出てみれば結果は最下位。誰かと競うことになると、相変わらず僕は冴えないやつだ。

追い打ちをかけるよう大けがをした。ある日、いきなり腰に激痛が走って立てなくなった。診断結果は腰椎分離症。腰椎という腰の骨が割れて、2つに分離してしまった状態のことだ。身体の使い方が悪くて、腰に負担がかかっていたらしい。高校受験が近づいていたこともあり、僕はずっと続けていたスケートを休むことに。

無事に志望校に受かり、入学後からスケートを再開した。腰のけがは完治したわけじゃない。コルセットを巻いて、けがの治療をしながらも練習を続けた。けがくらいでやめられない。スケートは、僕が唯一続けられたことだから。

だけど、想いだけでなんでもうまくいくわけじゃない。けがを抱えながらの練習は想像以上に辛かった。痛みに耐えながら続けても、思うように上達しない。高校に入って初めてのインターハイでも最下位で、冴えない結果ばかり積み重なっていく。他人と競い合うと、否応なく自分の未熟さを思い知る。

「3回転なんか跳べない」

「君じゃトップにはなれない」

そんなことを言われて、僕自身きっとうそうなんだと思うようになってきた。

もうこれ以上うまくなれないのかな。

せっかくここまで頑張ってきたのに。

……僕が運動音痴だから……?

高校3年生、神宮外苑のスケート場で焦りと不安を募らせていた。そんな僕に、コーチが声をかけた。

「上の階に身体の作り方を教えてくれる人が来てるらしいよ」

池上信三先生。スポーツ動作分析の専門家らしい。独自のトレーニング法に好奇心が湧いて、僕は先生の指導を受けることに。

それまで色々なトレーニングを受けてみたけど、どれもしっくりこなかった。今度は大丈夫かな……期待と不安が僕の中でぐるぐる回る。

「7級取ろう。絶対できるはずだから」

え?7級?僕が?

先生の言葉に僕は戸惑ってしまう。そんなこと言われたのは初めてだった。7級はフィギュアスケートの一番上の級だ。

できるわけない。頭の中をネガティブな言葉が反響する。それは、誰かに言われた言葉か、それとも僕自身の言葉なのか……。

そんな僕に、先生は本気で向き合ってくれた。

先生は陽気で不思議な人だった。コミュニケーションを大事にしてくれて、僕に合う色々な方法を考えてくれた。レッスン内容は楽しいだけじゃなくて、すごく的を得ている。先生の指導を受けてから、僕はまた成長しはじめた。腰が痛くなることもなくなった。

先生と出会って気が付いたことがある。ずっと自分は「運動音痴」なんだと思っていた。でも違う。正しいやりかたを知らなかっただけだったんだ。自分の身体のつくりを知って、コントロールしていく。そうすれば、誰でも運動がうまくなれるんだ。


先生は僕が7級を取れると本気で信じている。だからこそ先生のレクチャーを素直に聞くことができた。そんな先生の真摯さのおかげもあって、実力だけじゃなく自信も身についてきた。

「自分じゃできない」そんなのはただの思い込みだったんだ。

「僕でもこれだけできるんだ!」

「できない」が「できる」に変わっていく。ずっと僕を苛み続けてきた劣等感が心の中から消えていく。僕は以前にもましてスケートを楽しめるようになった。

大学に進学し、フィギュアスケート部に入部。シンクロナイズドスケーティングのチームにも所属し、新しい仲間たちとともにスケートに打ち込む日々が始まる。それと並行して、池上先生のもとでアルバイトも始めた。

チームは設立から7年目で、まだ大きな実績はなかった。練習方法も手探りだ。気が付くと、僕はキャプテンやサブキャプテンと一緒にチームをまとめる立ち位置になっていた。

仲間たちとむかえた全日本大会。勝った方が次の日のエキシビション「オール・ジャパン・メダリスト・オン・アイス」に出ることになる。しかし相手は由緒ある強豪校。それに比べて、僕たちは無名のチーム。全力を尽くしたけど、勝てる気がしなかった。

結果発表。僕は耳を疑った。僕らのチームが相手の点数を上回り、エキシビションの出場が決定した。すっかり自信を失くして帰り支度をしていた僕らはてんやわんや!隣の仲間と抱き合ったり、飛び上がったり叫んだり走り回ったり、喜びのあまり興奮を抑えきれない。



「すげぇ……すげぇ!頑張ればこんな結果を手に入れられるんだ!」

チームはその後、世界大会に出場。僕は個人で国体にも出場した。

運動音痴だった僕が、ようやく周りに追いついた感じがした、対等になれた感じがした。もう仲間に変な気後れを感じる必要もない。

僕はダメなやつじゃない、堂々としていいんだ!

実績を出したことで、僕は自分を締め付けていた劣等感や気後れからようやく解放された。

2年次に入り、キャプテンが家庭の事情でやめることに。「キャプテンはきっと向いてない」そう思ってサブキャプテンをつとめていた僕は、思わぬ形でキャプテンに、チームをまとめる立場になった。

実力と自信を身につけた僕だけど、マネジメントは中々うまくいかなかった。僕がキャプテンになってから中々結果が出ない。ケンカすることも増え、チームの仲にだんだんと亀裂が入っていく。人間関係が原因で抜ける人も出た。

個人では2年生でダブルアクセル(2回転半ジャンプ)3回転ジャンプに成功した。その一方で、チームのパフォーマンスは下がっていく。何でうまくいかないんだ。どうしたらいいんだ……?

「僕は頑張ってるのにみんながいうこと聞いてくれない」

「成果が出ないのはうまいやつが抜けたからだ」

周囲に責任転嫁したところで、何も変わらない。

チームメイトは僕を直接責めることはしない。だけど、常に責められているような気がした。

「頼りにならないキャプテンだな」

また、聞こえない声が聞こえてくる。

僕はキャプテンとしての責任に耐えられなくなり、チームを抜けた。

一方で、シングルとしての僕は多くの実績をあげた。

チームを抜けたあとも国体にも引き続き出場し、東京都の特別強化選手に選ばれた。フィギュアスケート部では主将も全うした。そして最終シーズン、僕はとうとう7級を取得。先生との約束を果たした。

もう仲間たちと一緒にはできない。それでも、スケートは僕が活躍できる唯一の場所なんだ。

成果と、苦悩と、仲間と、自信。たくさんのものを手に入れて、僕はスケート選手を引退した。

掲載日:2020年04月24日(金)

このエピソードがいいと思ったら...

この記事をお気に入りに登録

株式会社HATHM代表取締役

東信幸(あずま のぶゆき)

「バネトレ」というトレーニング法で、子どもたちに運動する楽しさを教えている東信幸さん。運動音痴がコンプレックスだった彼がフィギュアスケート国体選手にまで上り詰め、トレーナーとなるまでの道のりを見てみませんか?

エピソード特集