独立をして東京に出てからは、とにかくガムシャラに働いた。
東京の人脈を掘り、色々な人にお会いして自分が提供できる価値を見つけに行った。
国内外不動産の仕事をしたり、マーケティングの上でのプロモーション映像を作ったり、食品の冷却保存の事業をしたり、営業代行を行ったり。
安定して会社から給料が入る訳でもない環境はもちろんしんどくて大変だったが、自分が全ての選択をできることは楽しかった。
人生におけるメンターとの出会いもあり、どこまでいっても僕の人生の大きなテーマのひとつは、「人や環境」なのだということを実感した。
そんな中で行き着いたのが、自分が求めるものを凝縮した「コミュニティ」の運営だった。
「チームで何かを成し遂げる楽しさ」を追求したい。
この感覚は、学生時代やR社での経験から、自分のど真ん中にあった。
そして東京に出てきて半年、遂に自分の会社を設立した。
「人が輝くきっかけを提供できる会社でありたい。」そんな意思を込めて、「Sun’s」と名付けた。
そして間も無く、仕事とプライベートの両方の目的で、とある場所に行く機会を得た。
それは、ハワイだ。
何の示し合わせか、そのタイミングは年に1度のホノルルマラソンのタイミングと重なった。
仲間と6人で行くことになり、全員でホノルルマラソンを走ることを提案した。その場では全員で走ることが決まったが、それぞれが経営者だったり、何らかの立場を持っており、仕事を兼ねていたので無茶をすることができず、結局直前で走らない選択をすることになった。
僕は行きの飛行機で、自分が独立したきっかけや想いについて、内省した。そしてすぐに、自分には走る理由があるという気持ちが、どんどん強くなっていくことに気が付いた。
ハワイに到着してすぐに仲間にそれを伝え、マラソン開催前日にひとり、申し込みに向かった。
登録が完了したのは、なんと申し込み締切時間の1分前。28,675名の参加者の最後の登録者が、僕だった。
マラソン当日の10日後に30歳になる僕。つまり、20代の約束を叶えられるのは、この1度きり。
やるしかなかった。
そして走る権利を得ることができた僕は翌日朝5時、アラモアナショッピングセンター前にて、スタートラインを切ったのだ。
日本の仲間は、たくさんの応援メッセージを届けてくれた。
僕が走る理由は「たったひとりの親友との約束を果たす」ため。
走っている時にずっと頭の中で、ぐるぐるとまわっていた言葉がある。
「フルはとっておいたから、“20代のうちに”一緒に走ろう。」
「生きてるから”友達孝行”はできるよね。」
「誰かに『日』を『置』き届けられるような人でありたい。」
様々な大切なものを、背負って走っていた。
日本ではガムシャラに働いていたので、全然トレーニングなどできていなかったし、昔のように走り込んだ体ではなかった。
足が鉛のように重くなる。息はきつい、腕は上がらなくなる。
走っている様は、きっとものすごくかっこ悪かっただろう。でも、歩きながらも、足をひきずりながらも、前だけを見てとにかく進んだ。
僕を追い抜き先に行く人、僕ではない誰かを応援する周りの声、目の前に広がる見知らぬ景色―
色んなものが混ざり合い、また心が折れかける。
一番しんどかった35kmあたりに差し掛かったその時、走りながらふと僕は、空を見上げた。
耳は聞こえているはずなのに、何故か周りの雑音が消えたような、不思議な感覚になった。
見上げたそこには、空と太陽。
“あ…、ケンジと、僕だ。”
ふと、そう思った。
なぜか、走りながら涙が溢れてきた。
それと同時に何か別の力が、体中に湧いてくるのが分かった。
そして結果、僕はフルマラソンを完走した。
タイムは言えたものではない。それでも、ケンジとの約束を果たすことができたのだ。一緒にハワイに行った仲間たちも、ゴールで温かく迎えてくれた。
僕は、ただただ、嬉しかった。
20代のうちに完走したことで、大切なケンジとの約束を果たすことができたからだ。
この経験を、僕はInstagramに赤裸々に綴った。
するとそれがきっかけで、日本に戻ったあとに、Instagramを通じて、ひとりの女性と出逢った。
実際に会うことになった彼女は、僕の想いにこれでもかというほどに共感してくれた。
マラソンから2ヶ月後、受け取った完走メダルを、その女性と一緒に、ある人達に届けに行った。
向かった先は、伊豆。
それは、ケンジがひとりで住んでいた家に、のちに住み始めたケンジのご両親だ。
母の日に最愛の息子を亡くして、ずっと悲しんでいた母親に対して、どれほどのことができたかは分からない。
「ケンちゃんも天国から喜んでると思う。一緒に約束を叶えてくれてありがとう。」
母親から直接、その言葉をもらえたことが嬉しかった。その時の表情は、決して忘れることができない。
その時、一緒に伊豆まで行ってくれた女性。
その女性は今、僕の人生の一番近くにいる女性だ。
そう。その後僕は、その女性と結婚をした。
誤解を恐れず言えば、
“ケンジが生きてくれていたら、今の幸せな家族はいない。”
“ケンジがこの世からいなくなったことで、今の幸せな家族がいる。”
紛れもなく、大切な人との約束が、大切な人との縁を生んだ。
「大切な人の分まで生きるために、大切な人を目一杯大切にする。」そう誓った。