鍵麻由 Episode4:笑顔のチカラを信じて | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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目覚めてカーテンを開けると、視界に富士山が飛び込んでくる。
「そうだ。富士山が見える事も、ここを買った理由のひとつだったのに」
忙しさにすっかり忘れていたけれど、毎日そこにあった幸せ。
そもそも毎朝目覚めて「おはよう」と言える事自体、当たり前なんかじゃなかった。

「毎朝笑顔で『おはよう』って言えるのも、奇跡だったんだね」
夫としみじみ語り合う。この一瞬一瞬も、かけがえのない奇跡……。


毎朝富士山に向かって挨拶する事を新たな日課にした。
「おはようございます! 私の乳がん、キレイさっぱりなくなりました! ありがとうございます!! 」

「麻由ちゃんの言葉を一番聴いているのは、麻由ちゃんよ」
「乗り越えたい事があったら、頭で考えるのも大事だけど、書き出したり人に話したりするといいよ」
もう心身に染み込んでいる節子さんの言葉を、改めて噛み締める。

もともと予定していた温泉旅行。こんな時だからこそ、とキャンセルせず夫とゆっくり話し合って。
5年生存率という言葉がちらつき、必ず乗り越えたいという思いから5年後の自分に宛てて手紙を書いた。

「この手紙を読んでいるという事は、約束通り笑顔で乗り越えたんだね……。本当に頑張ったね。ありがとう」
5年後も私は生きている。笑顔で乳がんを乗り越えている、きっと。
「乳がんを乗り越えた経験も、宝物にしよう」

すぐに切除を、とお医者様に勧められても、節子さんは冷静だった。
「心臓や脳だと一分一秒を争うけど。
 がん細胞ってゆっくり出来たものだから、ゆっくり向き合って治していくのがいいんじゃないかな」

切除手術をキャンセルし、セカンドオピニオンを求めてあちこちの病院に行った。
ある時、診ていただいたお医者様にこう言われた。
「僕は何万人とがんの方を診てきましたが……笑顔で病室に入って来て、笑顔で出ていく患者さんは、鍵さんが初めてですよ」

病室をあとにしようとしていた私は、ハッとして振り返る。
「僕のほうが勇気をもらいました。……ありがとう」


子どもの頃から笑顔がステキだと言われ、私自身笑顔で乗り切れない事はないと信じてきた。
今回こそは無理だと絶望した時も、家族をはじめとした仲間に支えられ、不安を持ちながらも笑顔を取り戻した。

がんになってさえ、私の笑顔がお医者様に勇気を与えるんだ。
笑顔のチカラってすごい! この笑顔のチカラを、私は信じてゆこう。

術前化学療法として、一時期抗がん剤治療を受けた。
がんをなるべく小さくしてから、最後の手段として切除する時はしよう、と。

シャンプーのたびに抜けてゆく髪に、ショックは大きかったけれど。

「せっかくだから、ウィッグもオシャレとして、楽しめたらいいわよね」
ウィッグを選びに一緒にお店を回ってくれた節子さん。
ふさふさの頭にもかかわらず、彼女は自分のためのウィッグも買った。

乳がんと診断された3ヶ月後、両親、主人と4人で、グアム旅行に行った。
私の誕生日にみんなでレストランに行って。その時敷かれたコースターの言葉に勇気をもらった。
“No rain, no rainbow! ”

そうだ、雨が降らないと虹は出ない。そして、止まない雨はない。
虹というスペシャルなものは、人生の雨のような時期を経て初めて見られるんだ。

そう思った瞬間、スコールが止んで。窓の外には美しいダブルレインボー。
「大丈夫。絶対に治る! 」
そう、確信を増した瞬間。大きなダブルレインボーに背中を押してもらった気がした。

たくさん自分と向き合い、当たり前だと思っていた事のかけがえのなさに気づき、家族の愛を噛み締め、ますます深く自分を信じて。
旅行に行き、ホストファミリーとして留学生を招き、子どもの頃から興味のあった国際交流も存分に。

がんがあろうと関係なく、笑顔で感謝して過ごす日々。
エコー検査のたびに、その影は少しずつ小さくなっていって……。

いろいろな事がプラスに影響したと思う。
これをしたから治った、という事ではないだろうし、薬事法もあるからあくまで「私の場合はこうだった」としか言えない。

けれども。

乳がんは、消えた。

1年後、私の乳がんは消えてなくなっていた。

42歳で再発がわかった時も。
「一度乗り越えたから絶対大丈夫! 」自分を信じる気持ちは揺るがなかった。

まったく同じ箇所の再発だったから、今回は切除手術を見据えて、抗がん剤治療を受けた。
もう、どんなに髪が抜けても笑顔でいられた。大丈夫、絶対に乗り越えられるから。

1年間の抗がん剤治療のあと、乳房を切除して、再建手術も受けて。
回復力が驚異的だったようで、本来は2週間と言われていたのに、5日で退院した。

1ヶ月後には、縁あったパーティでレッドカーペットを堂々と歩いた。
当日の朝まで上がらなかった腕を上げて、見事に投げキッスを。復活記念日だ。

治療をしながら、練習に参加し、なんとミュージカルにも出演。
乳がんを乗り越えたあとのほうが、より一層、笑顔で様々な事にチャレンジし、濃厚な人生になっている。

現在は、株式会社Clover出版で広報担当として働きながら、
「ひまわりのような120%笑顔で2度の乳がんを乗り越えたサバイバー」として、“今を笑顔で生きる”事の大切さを伝える講演家として活動もしている。
まさに、手紙に書いた通り、「乳がんを乗り越えた経験も宝物」になった。

たった一度しかない人生。やりたいと思った事はどんどん叶えてゆきたい。
それはがんを乗り越えた私だけに言える事じゃなくて。

どんな人でも、病気があってもなくても、今を笑顔で生きる事はできるから。
すべて思い通りじゃないかもしれない、望んだ人生の正反対だと感じられる人もいるかもしれない、それでも。
今を絶望や不満とともに生きるのか、笑顔で生きるのかは、選択できる。
今を意識的に選択する事で、未来は確実に変わってゆく。

あなたの言葉を一番聴いているのは、あなた自身だから。
口に出す言葉も、心の内で話し掛ける言葉も、あなた自身が聴いている。
笑い声も、「大丈夫」「信じているよ」という言葉も、あなた自身が聴いている。

大丈夫。止まない雨はない。その雨の先には虹が待っているから。

当たり前の事なんかない。日常の一つひとつが奇跡。
家族や仲間の温かさ。計り知れない笑顔のチカラ。無条件で自分を信じる事の大切さ。

子どもを授からなかった事も、2度の乳がんも、私にそんな事を教えてくれた。

すべての経験が宝物。
辛かった事も、どう乗り越えていいのかわからなかった事も……今の幸せを形作るパズルのピースだった。

あなたが今どんな状況だったとしても、いつか必ずそう思えるようになる。
その日を信じて、笑顔で踏み出してほしい。

これが、私の伝えたいKey Pageです。

掲載日:2019年03月10日(日)

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2度の乳がんを乗り越えた笑顔の講演家

鍵麻由(かぎ まゆ)

無条件の愛を注がれて育った鍵麻由さんは、ひまわりのような笑顔の持ち主。どんな環境でもその笑顔で乗り切ってきたのですが、ある時立ちはだかったのは……。絶望の淵からの再出発、現在までを、振り返りました。

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