五島希里 Episode4:生まれた環境を乗り越えて。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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社会問題に関心を持たない人も自然と巻き込めるような、企業活動をとおして社会構造にアプローチするような仕組みが作れないか。
大学で研究しながら私はそう考えるようになった。そして、国際協力系や教育系の分野ではなく、一度民間の企業に勤めることを決意。

就職してからも初心を忘れないために、揺るぎない体験を持っておきたい。
同期が卒業旅行に行く時期に、私はインドネシアの孤児院でボランティアをすることにした。

バリ島の片田舎の孤児院に、バスに揺られて向かう。
ワクワクする気持ちと、緊張感と。現地の生身の子どもたちとやっと会えるのだ。私にとって、どんな経験になるのだろう?

近い年齢の日本人もいて、絵本やおもちゃをそれぞれ手にしていた。
おもちゃをあげるのもどうだろうと思われたので、私は地球儀のようなゴムボールを持っていった。
言葉が通じなくてもお話をするきっかけになったらと思ったのだ。

ようやく会えたインドネシアの子どもたちは……涙が出るくらいかわいかった。
日本人の持ってきたお土産も笑顔で受け取り、お礼を言ってくれて。
初めは恥ずかしそうにしていても、すぐに打ち解けて、言葉も通じないのに何かを伝えようと話してくれる。いじらしくて、愛しくて……。
「お部屋を見せてあげる」とでも言いたいのだろう、数人の子が私の手を引くので立ち上がり、ふと後ろを振り返った。

そこには絵本やしゃぼん玉、おもちゃが散乱していた。

……ああ。この子たちは、もらい慣れているのだ。

日本のある旅行会社のツアーの一部に、この孤児院の訪問も組まれている。
危ない目は御免だが、ちょっと現場を知ってイイ事をした気になりたい……そんな日本人が大勢訪れ、たくさんのおもちゃを与えてきたのだろう。
笑顔でお礼を言うことも教育されてきたのかもしれない。「そうすればモノがタダでもらえるから」と。

孤児院に暮らす彼らは、与えられることに慣れ、もらったモノにもすぐ飽きてしまう。
自分の力で何かを獲得する機会も意欲も削がれているのだ。
貧困より何より、そちらのほうが大きな問題じゃないか。自分の力で人生を切り拓く意欲をなくしてしまうなんて。

社会人になってからも、カンボジアなどの途上国で物乞いをする大人を大勢見た。
日本人である私と目が合った途端、眉を下げて悲しそうな顔をする。さっきまで普通に話していたのに!
“かわいそうな物乞い”の顔を作り、施しをしなければ罪悪感を抱かせるような存在に、みずからを設定する。
現地で活動している人たちも、先進国の私たちに「何はなくともお金が必要だから、ちょうだい」と平気で言う。

自分をかわいそうな、何もできない存在に設定して、同情心や罪悪感からモノを与えさせる……。
そんな技術を身につける努力より、自分の力を発揮して生きる努力をしたらいいのに!!
この構造を許してきた、安易に与えて“それなりの事をした”気になってきた先進国の人間にも憤りを感じる。
けれども、この構造に甘んじて、自分自身の力を見くびって生きている途上国の彼らにもモヤモヤした。胃がキリキリする。
「あなたたちの力、そんなもんじゃないでしょ!!! 」

勤めている人材サービスの会社で障害者を雇用するための子会社を作らせてもらう機会があった。
それぞれに障害を持って生きてきた彼ら。
ひとつの事を伝えるにも、例えば聴覚障害と脳性麻痺と知的障害と……3人に理解できる3通りの伝え方をする必要がある。
苦労ももちろんあったけれど、障害の特性や性格の特性を理解してコミュニケーションを取るにつれ、彼らの意欲や才能はどんどん発揮されていった。
率先して私の手助けをしてくれるスタッフも、誰より丁寧に仕事をするスタッフも、びっくりするくらい情熱的なスタッフも、それぞれ輝いて。
「両耳が聞こえてるのに人の話の聴けないオジサマのほうがよっぽど……」なんて思うほどだ。

人の決めた、社会の決めた障害って何だろう。
不便な事はあるだろう。けれどもそれは、多かれ少なかれ健常者にもあるもの。
生まれ持ったものや自分で変えられなかった環境をいかに乗り越えるかという意味において、障害者と健常者に違いはない。

「どうしたら、生まれた環境を乗り越えて、自分の才能を発揮できる人が育つの? 」
9歳の時に抱いた問いを改めて噛み締める。
途上国の孤児院に育つことも、日本で障害を持って育つことも、生きてゆくうえで抱く悩み苦しみも、ある種“生まれた環境”であって、
一人ひとりが自分の制約や体験を再解釈して意味を見出せたら、きっと乗り越えられるもの。
その手助けのできる自分でありたいし、生まれた環境を乗り越えられないような社会構造にメスを入れられる自分でありたい。

それと言わずに会社内でコーチングのメソッドを使ってきた私だけど、コーチとしての技術を高めるため、コーチング事業を手掛ける会社に転職。
5年勤めたのち、1年間フリーランスのコーチとして働きながら準備をし、2016年7月、「港屋株式会社」を設立した。
現在は私立の中学校、高校の「総合的な学習の学習」や課外活動の時間を頂き、
生徒たちが関心を持つ社会問題などへの取り組み案を創出するところから資金調達して実際に挑戦するところまでサポートをしている。
“問いを立て、目標に向かう道のりそのものをデザインする力”を生徒たち自身のなかに育んでもらうのだ。

自分自身の力や可能性に気づいた子どもたちの表情といったら! それに触れる教員たちのほうが影響を受ける姿もたくさん見てきた。
いまいる場所から一歩踏み出せる人が増える。それが、私の喜びだ。

したい事は山のようにある。こんなふうに広げたい、届けたいという想いに現実が追いつかなくてもどかしい。
それでも私は方法論にこだわるのではなく、
“自分を駆り立てる問い”を自分の中心に置いて、問いに対してその時ベストだと思える解を信じて、挑戦を続けてゆこうと思う。

カタログから商品を選ぶように人生を決めることなんか、できるわけがない。
少しでも心の動いたモノに飛び込んでみて、たとえ違うと気づいてすぐに別のものを選んだとしても、そこから得られる学びは無限にある。
回り道も失敗も含め、感じたり学んだりしたたくさんの事が、気づくとひとつの流れに集約する……それが人生だと思うから。
目の前の子どもや人の可能性を、本人と一緒に信じて、「やってみようよ」と言える自分でありたい。
未知に対する恐怖心も理解しながら、それでも背中を押してあげられる存在として、私は生きてみたい。

「どうしたら、生まれた環境を乗り越えて、自分の才能を発揮できる人が育つの? 」
この問いを胸に、迷いながらも人生を突き進んできた。
9歳の私の見たかった世界はまだ実現できていないけれど、この足でそこに向かっているよと伝えられる自分にはなれたかなと思う。
そして、これからも進んでゆく。

まだまだ発展途上の私のKeyPage。あなたもあなたの輝きを思い出してくれたらいいな。

掲載日:2018年08月23日(木)

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港屋株式会社 代表取締役、一般財団法人生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ

五島希里(ごとう きさと)

コーチとして、中高生を対象に“問いを立て、目標に向かう道のりをデザインする力”を育む活動をしている、五島希里さん。五島さんの人生を貫いているのは、9歳の時にある写真を見て抱いた衝撃でした。

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