東京に行くことが決まった僕に、バイト先であるカフェバーのオーナーはこう言ってくれた。
「今までみたいに、いろんな人とちゃんと付き合っていけよ。
自分とは全然違う分野の人と接する機会を作れ」
そうは言われたものの、2年間の研修期間はほとんど病院に寝泊まりする生活だった。
仕事以外の関わりを持つ時間もなく、医者としての仕事に必死で向き合った。
初期研修医として、救急科含めた色々な科での研修を通して、
病気じゃなくて「人」を診ることが如何に大切かを実感していった。
病院での医療を頼って受診する人が、必ずしも病気で困っているとは限らない。
身体の問題が表に出やすいため、身体の痛みや機能的な問題が原因で受診している様に見える患者さん達。
そのうちの一定数は、家族関係や職場環境の悩み、金銭的な悩みなど、
社会的な問題やそれに対する不安を抱えていることが少なくなかった。
T病院の様な専門に特化した総合病院でもそうした事を多く感じるのだから、もっと地域に身近な診療所やクリニックであれば尚更ではないだろうか。
そしてその背景には、核家族化や地域とのつながりの過疎化など、今の日本における社会状況が影響している様に感じた。
救急医療の現場においても同じだった。
救急外来や救急車を利用する患者さんの中には、医学的には軽症な人が多く含まれる。
しかし、それは医学的な評価であって、患者さん自身は本当に困っているのだろう。
良くも悪くも簡単に情報を得る事が出来る様になった今の日本において、人は様々な情報に振り回されながら生きている。
要はみんな「不安」なのだ。不安で仕方がないから、最後の砦である病院を頼って来る。
しかし、病院は病気を治すところであって、今の社会における不安を全て請け負うことは難しい。
そうしてしまうと、本当に医療が必要な人に適切な医療が提供できなくなってしまう。
既に需要と供給が合わなくなっているのが実情だ。
患者さんの盥廻しや医療費高騰といった医療問題の背景には、そうした日本の社会事情があることを知った。
であれば、病院の外で人々の不安を解消する仕組みがあればいい。
そうすれば、医療者も自分のやりたい医療に専念できる。
今の日本の医療を良くするためには、「病院に運ばれる前」そして「病院での治療が終えた後」、
すなわち「病院の外=地域」に課題があるんだ。
医療者も非医療者もみんな幸せになれる社会の仕組みづくりがしたい。
地域医療という概念に関心を持つ様になった。
島嶼(とうしょ)医療に携わる機会もあり、3年目には3ヶ月間三宅島の診療所で勤務。
その経験をとおして、地域医療についてさらに考える様になる。
病院の外、地域での医療について考えてみてわかったこと。
人はみんな健康に、そして幸せに生きたいと思っている。
今、世の中に出回っている商品やサービス、存在する職業はすべて、直接的にしろ、間接的にしろ、
誰かを楽に、笑顔に、健康に、そして幸せにするためにあるといっても過言ではない。
広い意味で捉えると、どれもこれも医療なんじゃないか。
医者が病院で施すのが医療のすべて……じゃなくて。
病院の外でも医者は医療を施すし、農家の人も、企業の人も、保険を売る人も、
誰かの幸せのために働いている。
何もできない様に見える赤ん坊でさえ、親の精神的な健康にどんなに貢献していることか。
医療を「人々が健康に暮らせる様にサポートすること」と捉えると
こんなにも広く、可能性がある分野であり、また、生きているすべての人が医療者なんだ。
その自覚がないだけで。
だったら、その自覚を持ってもらえる様にすればいい。
そのために僕にできる事がきっとある。
T病院に勤務しながら、
僕はいま「Joy’N US Community × Medicine」という勉強会を定期開催、
福岡と東京を拠点に活動するNPO法人「地域医療連繋団体.Needs」も運営している。
ひとりひとりが医療者であるという自覚を持って、
地域全体、町全体の健康・幸せに貢献してもらいたくて。
医者以外のひとりひとりが医療の一部を担う自覚を持つ様になれば、多忙な医者の仕事量が減る。
それは、医者が、医者でなければできない医療をより高いクオリティで提供することにつながる。
医者でなくても救える命は増え、医者の救う命も増えるだろう。
医療行為を選ぶにも、「お医者様に言われたから」ではなく、自分自身で選ぶという自覚を持つのだ。
何でも自分でするとか、医者の世話にならないとか、そういうことではなくて。
医療を受けるも受けないも、何をするにも、自分の人生に責任を持つ、そういう人を増やしたい。
「困っている人がいるのに手の挙げられない医者になってはいけない」
「病気ではなく、人を診ることのできる医者になる」
「色んな人との出会いを大切にする」
「高い目標を目指して、必ず叶える」
「一度きりの人生、自分のやりたい様に生きる」
これまでの人生におけるたくさんの人との出会い、みんなからもらった言葉が、今の自分を作り上げている。
そして、その原点には両親からの愛情と信頼があると感じている。
医者を志したあの時、僕が友人達を看取ることで彼らや彼らの家族の幸せに貢献できると思っていた。
けれども、僕だっていつかは死ぬ。僕がいなければ成り立たない幸せ、それはどうなんだろう?
僕がいなくても友人達が健康でいられる様に、自分でヘルスマネジメントできる様に、
僕がいなくても友人達が死ぬ時に幸せでいられる様にしないと意味がない。
そういう社会をこそ、今、僕は目指している。
医者がいなければ健康になれない社会ではなく、
ひとりひとりが医療者として生き、皆で健康に、そして幸せに生きる社会を。
そんな社会の一員であることを心にとどめ、
自分の人生を自分で選択するという責任を持って、幸せに生きてほしい。
これが、僕のつかんだKeyPageです。
掲載日:2018年12月03日(月)
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