「お父さんはね、昔、バレーでオリンピックに出るかもしれなかったんだよ。強化選手だったの」
父がバレーボールをしていたと知ったのは、小学4年の終わりだった。
喘息を持ちながらも、サッカーや水泳との掛け持ちで長野県の地元のジュニアチームでバレーも楽しんでいた僕。
サッカー選手になるのが夢だった。父も応援してくれていた。
そんな父が、僕と同じバレーをしていた、それどころかオリンピックの強化選手だったなんて。
「お母さん!だったら僕が代表選手になる。バレーでオリンピックに行くよ!
僕がオリンピックに出て、お父さんを連れて行くんだ!!」
それがじきに、妹と弟と僕、きょうだい3人の共通の目標になった。
3人のなかの誰かがバレーでオリンピックに行き、父を連れて行くのだ、と。
そのころから、家庭内の様子が少しずつ変わってきた。どうやら父の仕事が変わったらしい。
脚に障害があり専業主婦だった母も働きに出るようになった。
家族全員で囲むのが楽しみだった食卓、その品数が少しずつ減っていった。そもそも父と母の揃うことが減った。
バレーシューズが傷んでもなかなか買い換えてもらえなくなった。
次第に、両親が言い争うように。「今月の生活どうするの」いさかいの原因はいつも同じだった。
家族団欒の優しい時間、しあわせな家庭。当たり前だと思っていたものが形を変えてゆく。
中学では担任やバレー部の顧問とモメたり、不登校したりした。それでもバレーだけは続けていた。
授業は受けず図書室や本屋にこもり心理学を独学、バレーをするためだけに中学に通った。
両親に「自分たちのせいでお前がつらいなら、離婚する」と言われたが、それだけはと思いとどまってもらって。
家族を元に戻すには、僕がオリンピックに行くしかない。そのために利用できるものは利用する。
傍にいてくれる人なんか要らない。人を利用するために心理学を猛勉強した。
バレーの全国大会常勝校が地元にあり、そこに進学。
ここでレギュラーになればオリンピックへの最短コースだ……やっと目的が達成できる!!
だが、その年の9月、僕は肺炎を発症し、呼吸器系の状態が悪くなり入院。
「もう、バレーは諦めて。体育も、自転車通学も、重たいもの運ぶのもダメだよ」
しあわせな家族を取り戻すための唯一の手段として握り締めていたバレーボール。
それを失ってしまった。ほかにしたい事なんてなかったのに。バレーしか見てこなかったのに。
これまでの人生、何だったんだ。僕はこれまで何をしてきたんだ。これからいったい何をして生きてゆけば……。
掲載日:2018年01月19日(金)
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