平川翔 Episode2:守ろうとしたものが壊されてゆく。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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バレーができないのにその高校に通う意義はない。
僕は、金の掛からない形で街をぶらぶらしたり、家計を助けるためにアルバイトを始めたりした。

ある日、街中で思わぬ再会をした。かつてジュニアチームで僕を指導してくれた監督だった。
懐かしさに顔がほころぶ。
バレーを続けているかと聞かれ、正直に話すと、監督はこう言ってくれた。
「お前の培ってきた知識を後輩のために教えに来てくれないか?」

それから僕は、指導者としてジュニアチームに関わることになった。
バイトをしながら、卒業だけはするために高校にも通いながら……、バレーを教える時間が僕の救いだった。

大人のことは信じられない。けれども、子どもたちはまっすぐ僕の目を見てくれる。まっすぐぶつかってくれる。
もう叶えられない夢を後輩に託すようなおもいがあった。
できなかった事ができるようになる。勝ったり、上の大会に進んだりする。彼らの成長が純粋にうれしかった。

「お父さん!お父さん!?お父さん!!!!」
それは、突然のことだった。僕より体の大きな父が目の前で突然うずくまり、立ち上がれなくなったのだ。

救急車に付き添って行くと、その場の検査でがんだと言われた。
「来るのが遅かったら危なかったよ。自覚症状もあったんじゃないか」
通院に掛かる費用を子どもたちに、と症状を我慢していたのだという。

父が入院して数日後。母が、僕に改めて父との離婚を切り出してきた。
「母子家庭になれば、経済的にたくさんメリットがあるの」
妹と弟は了承済みだという。もう反対はできなかった。

父を除いた4人ですぐに引っ越し、数日後。父が倒れて1週間も経っていなかった。
今度は母が倒れた。自律神経失調症。
幸い母は1週間ほどで退院できたのだが、自律神経を壊したので寝込むようになってしまった。

妹も弟も義務教育。高2の僕は昼と夜のバイトを掛け持ちするようになった。年下のきょうだいを守るため、必死だった。
しばらくすると母も復職。僕は、昼間は高校、夜はバイトとバレーの指導という生活に戻ったのだが。

「ごめんね、翔。私のせいでごめん……ありがとう……」
そのころから、母が僕にそう言うようになった。
僕には耐え難かった。
妹や弟のためにやってきたんだ、お前のためじゃない。そんな事、言われる筋合いもない。
「お前らの都合で勝手に子ども作ったんじゃねえか。勝手に作って勝手に産んで、最後まで責任持って育ててもくれない……」
母は反論もせず泣くばかり。泣けば許されると思ってんじゃねえよ……!!!
母の顔を見ると怒鳴ってしまう。バイトや指導が終わると、バイト仲間や指導者仲間と夜通し時間を過ごすようになった。

それでも、バレーの指導は続けていた。僕の良心をかろうじて保つ命綱のようなものだった。

高校卒業後しばらくして、バレーの指導者として先輩に当たる人に、事業立ち上げに誘われた。
地元は離れることになる、指導もできなくなるけれど……荒れていた僕を支えてくれた人でもある彼の役に立ちたかった。
夢は子どもたちに託せば好い。家は出ても、お金を送れば好い。

二十歳の年だった。県北に引っ越し、ようやく事業も軌道に乗せたころ、母から電話が掛かってきた。
「翔……お願い、帰って来て……」
子宮がんで、子宮を摘出するのだという。

ようやく何かひとつ叶えられると思った矢先、僕は母のもとに戻った。
「どんだけ僕の夢潰す気だ。どんだけ人の人生邪魔すれば気が済むんだよ!?」

高校を卒業した妹は家を出ていた。帰って来た僕は母につらく当たることしかできない。
そして今度は、肺に穴が空いて僕が入院。止められていたバレーを、指導の範囲内とはいえ続けていたからだった。
そんな体であることすら、母のせいだと思えてならなかった。お前がもっと丈夫に産んでくれてたら……!!!

いったいどこで間違えたんだ。僕の何が悪かったっていうんだ。
守ろうとしたもの、叶えようとしたものが、自分には力の及ばない何かのせいで壊されてゆく。
八つ当たりだとわかっていても止められなかった。母を呪い、父を呪い、思いどおりにならない自分の人生を呪うことしかできなかった。

掲載日:2018年01月19日(金)

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整体師/講演家

平川翔(ひらかわ しょう)

家族のために必死に生きてきた平川翔さん。ある出逢いが荒んでいた平川さんの心を癒やし、もう一度夢を掴み直そうと生きるキッカケを与えたのですが……波乱万丈なその半生を振り返ります。

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