中学生の頃にはすっかり口笛キャラが定着して、休み時間になると「ギマ、○○の曲吹いてや!」とクラスメート達がリクエストをくれるようになっていた。
吹くと、「わー!すげー!」なんてものすごく良い反応をくれるものだから、それが心底嬉しかった。
あまりにもいつも吹いていたから、疎ましく思う人が居ても当然だったのだろうに、皆とても優しくて、うるさいからやめてくれなんて言われた事はほとんど無かった。
本当に、土下座したいくらい、皆には感謝している。
口笛を始めてから換算した吹奏時間というのは、誇張じゃなく、僕が地球で一番吹いてる自信がある。中学になってさらに加速した感じだった。
中学生なんていう思春期真っ只中では、流行りの曲含め音楽というものに結構敏感になって、音楽自体ももっと好きになる。
それもあってか、友だちらにはたくさん口笛を聞いてもらっていたが、同時に、口笛で人を喜ばせるということに、自分で生きがいを感じるようにもなっていた。
高校生になってもそれは変わらなかった。ただ、別に口笛で何かできるとも、やろうとも思っていなかったし、自分の口笛は「一生趣味で終わるんやろなぁ…」なんて思っていた。
しかしそれは、突然やってきた。
高校3年生のある時、中学校の時の先生から手紙が来た。
「日本で初めて口笛のコンクールが開催されるから、儀間くん口笛好きやったからぜひ出て欲しいです。」と書かれていた。
それを読んだ僕は、「こんなんあるんや!」と内心飛び上がっていた。
それまで口笛は、自分の周りでやっている人は誰も居なかったし、本当に僕一人の世界としてやってきていた。
だから、コンクールがあるということよりも、「自分以外にも口笛をやっている人が日本に居るんだ!」というのが単純に嬉しくて、自分の目で確かめたくて、すぐにその『全日本コンクール』への出場を決めた。
コンクールは、手紙もらった時点から2、3ヶ月後くらいの開催だったので、とにかく即行で練習を始めた。
昔習っていたピアノの先生のところに行って相談をして曲を決めて、それから怒涛の練習を重ねて、コンクールに出た。
1位・2位入賞者は、翌年アメリカで行われる国際大会に出場できる資格をもらうことができるこのコンクール。僕は、2位入賞を果たした。
世界と言ってもほぼアメリカ国内の各地から集まるという感じではあるが、それでも日本よりずっと歩みも長く、世界大会は僕が出る時でもう34回目の開催だった。
アメリカ、世界大会…となると、なにかこう、「もし世界大会で優勝できたら、口笛で何かやっていっても良いかもな…」という、何かじわじわと湧きあがってくるものがあった。
世界大会というのは年齢で分けられていて、10代の部と、20歳以降の部の二つがあった。
僕は、19歳だったので10代の部に出場。
…そこでなんと、優勝してしまったわけである。
日本のコンクールで1位だったのは30歳くらいの方で、アメリカでは部門が違って20歳以降の部に出場され、残念ながら結果には繋がらなかった。
レベル的には20歳以降の部の方が高かったとは思うので、僕は、そういう意味でかなりラッキーだった。
掲載日:2018年11月28日(水)
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儀間太久実のエピソード一覧
口笛奏者
儀間太久実(ぎま たくみ)
口笛に対する気持ちがわからなくなってもがき苦しんでも、自分の中に湧きあがる想いとその光を信じて、自分自身で答えを出してきた儀間太久実さん。強い信念で進み続ける、若き口笛奏者の生き様にみた、プロとしての葛藤と覚悟とは。