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キッカケインタビュー

数多の苦難を乗り越え、プロの作曲家へ...

渡邉沙志(わたなべ さとし)

作・編曲家・プロデューサー

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キッカケ記事

いま何やってるの?
AKB48など、様々なアーティストやコンテンツへの楽曲提供。ショークワイヤーグループ「UnRealProject」のプロデュース。

シンガー団体の結成や、AKB48グループなどへの楽曲提供等、幅広く音楽業界に携わる渡邉沙志さん。両親の離婚、借金返済、母と妹の病。数々の苦難に立ち向かいながらも貫いた彼の音楽道とは!?

キッカケ①:先生の一言で決心「音楽で食ってやる!!」

子供の時から音楽が大好きで、ZARDやスマップなどのJ-POPをよく聴いていました。
小学校高学年になると聴くだけでは飽き足らず、流行りの歌の替え歌を毎日のように作り、できた替え歌をおばあちゃんの家でカセットテープに録音して遊んでいました。その頃になるともはや音楽を好きだとも気付かないくらい、歌や音楽が”当たり前"になっていました。

中学生の時、文化祭に同級生とバンドを組んで出ることになりました。
しかし、次第にメンバーはまじめに練習に来なくなってしまい、結局文化祭に出る事はできませんでしたが、当時家にあった父のカセットの中からのお気に入りのナンバーである井上陽水さんの「夢の中へ」を必死に練習したのを今でも覚えています。

次第に誰かの曲をカバーするだけではおもしろくないと感じ、オリジナル曲を作り始めました。
知っている簡単なコードを並べ替えただけですが、クリエイティブへの楽しさに目覚めた瞬間でした。小学生の頃の替え歌が生き、作詞の音使いも自然と身についていたのだと思います。毎日のようにアコースティックギターを掻き鳴らし、気づけば中学校卒業までにオリジナルの曲が20~30曲ほどありました。



当時はまさか音楽家になれるとは思っておらず、憧れていた建築家を目指し工業学校に入学。しかし路上ライブや宅録、軽音楽部でのバンド活動などをする中で次第に音楽で仕事ができたらなぁと漠然と思い始めました。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま進級し、ある日の進路指導の先生と面談をした時に相談するとこう言われました。

「音楽で食ってる卒業生なんて1人もいないよ。」

ここで自分の本音に気づきました。押し殺していた感情が一気に爆発しました。

「・・・じゃあ、ぼくが音楽で食ってる最初の卒業生になります。」

私は進学も就職もせずに、卒業しました。

キッカケ②:貧乏との戦い、そして家族への献身

意気込んでいたものの、何から始めていいか全く分かりません。
そんな矢先、人生において大きな出来事が起こります。両親の離婚です。

元々、会社員だった父は私が幼い頃に独立。
はじめはうまくいっていたものの、バブル崩壊と共に徐々に不安定になり、決して豊かとは言えない生活でした。いつしか母も働きはじめ、私は妹2人の保育園への送り迎えや夕ご飯を毎日作る生活を続けていました。

一向に良くならない生活が続く中で、父親の数百万という借金が発覚します。それが火種となり、離婚につながりました。

兄弟3人は母方へ。そして私は母も半分を抱えていた借金を返済する為、必死にアルバイトに勤しみました。

生活面でも節約を心がけ、食事はこれまで以上にひもじくなり、食卓にししゃもしか並ばない時もありました。電球のワット数を下げて節約したり、家族で1週間にテレビは1人1番組までなどというルールを設けたり、思い返せば幼い妹たちには苦しい思いをさせていました。

やがて、生活が、家族の身体が、壊れ始めていきました。



まず、母親がアルコール中毒になりました。離婚、子供達の卒業や入学、借金、きっと想像もできない不安とストレスに耐えられず、お酒に甘えてしまっていたようです。

次に、長女が解離性同一障害という精神障害になりました。俗に言う多重人格です。夜中に家を飛び出し行方がわからなくなったり、線路をぼーっと眺めていたり、死にたいと泣きつかれ抱きしめたりした事を今でも鮮明に覚えています。

病院に通わせたかったのですが、何せお金がありません。長女の彼氏にも無理を言って協力してもらい、私も死にものぐるいでアルバイトに励みました。

3年かけてようやく借金返済の目処が立った時、長女と彼氏との間に子どもができました。母としての責任感が生まれたせいなのか、妹の人格障害はすっかり治りました。また、母親もここで正気に戻り、お酒を断つことができました。

家族がようやく落ち着きを取り戻し、私はやりたいことに専念できるようになりました。
“音楽で食っていく”…この決意がさらに強くなりました。

キッカケ③:大好きな音楽にどっぷり浸かれる...!

23歳でやりたいことができるようになってから、バンドを組もうと思い仲間を探し始めました。
周りの若いミュージシャンとは遅れを取っていると感じていたので、とにかくインプットをたくさんしようと思いました。まず、通ってたスタジオの従業員さんにジャズベーシストを紹介してもらい、バンドを結成。彼に音楽のノウハウを教えてもらうことになりました。

バンド結成当初、私の未来を変える、彼との会話がありました。

「俺、ギター嫌いなんだよね。」
「え、でも、ギターしか弾けませんよ?!」
「今から練習しちゃいなよ!笑」

ギターしか弾けなかった私は、この一言でピアノを練習することになりました。ここからの三年間は、音楽の知識を蓄えることに集中しました。


キッカケ④:ただ音楽を届けたい...全ては無駄じゃない!

約3年間のバンド活動の後、音楽業界で生きていくにはどうするべきかを考え、私は3つのやりたいことを歩み始めました。


1つ目は作曲。
DTM※1の勉強をしながら、アマチュアコンテストに応募をすることからスタートしました。ストック曲が数十曲できた頃、ピアノの師匠のご紹介で音楽事務所と契約する事が出来ました。(※1 デスクトップミュージックの略。コンピューターを使っての音楽制作を意味する。)

2つ目はボイストレーナー。
将来的に歌唱指導スキルが必要と考え、ボイストレーナー教室での仕事を始めました。そこで学んだ事が現在のディレクションでの糧となっています。

3つ目はプロデュース。
UnRealProjectというショークワイヤー集団をプロデュースし始めました。最初は周囲から反対されたり、集客できるわけがないと言われたりもしました。協調性がないメンバーもおり、リハーサルに来ない人もいました。結局、結成から初ライブまでに70人近くのメンバーが辞めてしまいました。

それでも私は諦めませんでした。感動を作りたい、その為には自分1人だけではなくみんなでやり遂げる必要があると思っていました。メンバー1人1人に電話で自分の思いを伝え、初ライブに臨んでもらいました。

初ライブでのお客さんの数は、350人でした。自分の選択は間違えていないと周囲から認められたような気がして、嬉しかったです。

このプロジェクトは、着実に動員数を伸ばしています。


プロデュースに限らず、ここまで来るのにはくじけそうになることもありました。しかし逆境をむしろバネにして頑張りました。全ての経験は決して無駄ではないと思っています。


今まで生きてきた経験、それら全てが私のKeyPageです。


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掲載日:2017年05月12日(金)

鍵人No.0043

渡邉沙志(わたなべ さとし)

中学3年生の時に父からもらったアコースティックギターを片手にオリジナルソングを作り始め、地元松戸駅ストリートライブを始める。高校時代は軽音楽部にてドラムボーカルを担当。その頃より地元のライブハウスに出入りするようになる。

2009年島村楽器主催HOTLINEで千葉FINALグランプリ獲得。
2014年大合唱パフォーマンス集団 アンリアルプロジェクト発足。

主な楽曲提供
NMB48/甘噛み姫 作曲(オリコン1位獲得、プラチナディスク認定)
アニメ森のおんがくだん/ポニーキャニオン 主題歌歌唱担当
松平健/むらさき山哀歌 編曲(映画「浅草・筑波の喜久次郎」挿入歌)
SKE48/DADAマシンガン 作曲・編曲(ASBeeCMソング、日本テレビ『SKE48エビカルチョ!』テーマソング)

Twitter:https://twitter.com/satoshi_music
HP:https://watanabesatoshi.amebaownd.com/
UnRealProject HP:http://www.unrealproject.net/

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