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キッカケインタビュー

超前向き飲食人の波乱万丈ストーリー

田部井雄太(たべい ゆうた)

飲食人、起業家、地方創生家

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
外食産業の活性化、地方活性化に向けて、数店舗、群馬県内の居酒屋の立ち上げに関わっている。個人事業主としても活動しており、恩送りフェスタ準優勝の実績あり。

遅刻グセのせいで何度も信頼を失っても、希望を持って生きてこられた。そこには、料理にかける熱い想いがあった……。

キッカケ①:繰り返す遅刻。失っていく信頼。



「ふざけんじゃねぇ! 死ね!」

留守電には、そんな言葉が入っていた。専門学校の同級生からだ。今日は大事なプロジェクトを発表する日なのに、ぼくは遅刻しているんだから、当たり前だ。

これで何度目だろう。起きなければいけないとわかっていても、起きられない。遅刻したとわかると、スマホを手にとる気力すらなくなる。小学校のときから同じことのくり返しで、遅刻する度に信頼を失ってきた。

遅刻グセのせいで、心ない言葉をかけられたことは他にもある。ぼくと話していた友人に、近くを通りかかった奴がこう言うんだ。

「なあ、お前、そんないつ学校を辞めるかもわかんないような奴と話してても、時間のムダじゃね?」

怒りが湧いてくる。でも、言い返せない。悔しかった。拳を握りしめて、

「絶対にやめないからな」

と誓った。

幼い頃から遅刻をくり返し、色々なものから逃げてきた。小学校のときには剣道を始めたけどすぐに辞めた。そろばんもやってみたけど、続かなかった。学校ではいじめられて、浦島太郎の亀のマネをさせられたこともあった。

そんなぼくだけど、逃げたくないものがひとつだけあった。それは、料理だ。だからこそ、専門学校だけは、なんとしても卒業してやるという気持ちで通った。死に物狂いで講義を受けて、卒業まで半年というところまできた。

「やっと卒業できる」

そう思ったのもつかの間。インターンシップをさせてもらったレストランで、また遅刻をしてしまった。インターン先から学校に苦情の電話がきて、母親にも報告された。今までは親には黙っていたけど、今回は逃げられなかった。実家から母が謝罪に来たほどだ。

この話は当然叔母の耳にも入る。彼女は家族のなかでも力を持っていた人で、ぼくがインターン先で遅刻したことを聞いて激怒した。学校を辞めさせるということになり、実家に強制的に連れ戻されることになったんだ。

「あと半年だから、卒業させてくれ!頼む!」

泣きながらお願いしたけれど、無駄だった。ぼくは学生ローンで借金をしていて、それも家族に知られてしまっていたのだ。借金の額を小さく報告してごまかそうとしたけど、それもばれた。強制的に退学させられた。悔しさよりも情けなさでいっぱいで、帰りの電車の中で号泣した。

実家のレストランで働くことになったけど、そこでも遅刻をくり返した。従業員から距離をおかれ、立場を失った。近所でも悪い噂がたった。

「あいつは社長の孫だから、甘やかされてるんじゃないか!?」

「東京でやらかして帰ってきたらしいぞ!」

そんなことを言われて、肩身が狭かった。一流の料理人になるつもりで上京したのに、思い描いていたのとは正反対の現実がそこにはあった。

とにかく何かをしなければ、自分の存在価値がなくなってしまいそうで、その後ボランティアなどにも取り組んでみるが、どれも続かず、すぐに辞めた。

再び東京に行くことになり、フリーターとして生活を始めた。一人暮らしになると遅刻グセが悪化して、どの仕事も続かなかった。

こんなことを書くと、ぼくはただやる気のないヤツだと思われるかもしれない。実際、周囲の人間はそう思っていただろう。

本を読んだりネットで検索したりして遅刻グセを治そうとしたけど、うまくいかない。

でも、ぼくはやる気はあったし、世界一の料理人になるという夢だってあったのだ。実家のレストランを継ぐ。それも目標だった。

それでも一向に治らない遅刻。失われていく信頼。なぜこんなにも遅刻してしまうのか。
それは、後に出会うことになる睡眠の専門家に「睡眠障害」と診断されたのだ。

「なんなんだよ、そういうことかよ。病気だったのかよ……」

睡眠障害という自分の人生を呪った反面、なぜか、「今までのことは病気のせいだったのだ」と、実態のないものに責任転嫁し、安堵している自分も確かにそこにはいた。

キッカケ②:つらい日々でも前向きな気持は忘れない。その原点は家族にあった。

ぼくは何度も遅刻をして信頼を失ったし、自己嫌悪に陥ったこともある。それでもここまでこれたのは、前向きで自立心の強い性格だったからだ。その原点は、家族にある。



小学校6年生のとき、祖母が亡くなった。まだ若かったので、親戚はみんなショックを受けた。このときに、ぼくの母が親戚中からバッシングをされたらしいのだ。

「お前のせいで死んだんだ」

そんな言葉をかけられて、母は統合失調症になってしまった。車の運転中でも急に奇声を発するので、それを聴きたくなくてぼくはイヤフォンをつけるようになった。母は、学校の先生にコーヒーをかけるくらい気が狂ってた。

彼女は一人っ子で、家のことなんてほとんど何もわからない人だった。父も似たようなもので、家に帰ってきても自分の部屋に引きこもって雑誌ばかり読んでいた。子ども同士で結婚して、子どもが子どもを産んだようなものだ。

両親がこんな様子だったので、ぼくは彼らをあてにしていなかった。自立心が芽生えたのは、このためだ。いろんなことから逃げてきたのも自分を守るためで、習い事や仕事から逃げることを、悪いと思ったことはなかった。

そうは言っても、母親が統合失調症というのはつらかった。中学までは体もひょろひょろだったので、いじめもあった。家では母に苦しめられ、学校ではいじめられる。あの頃は本当に辛かった……。

そんなぼくだから、高校はレスリング部に入って、部はインターハイに2度出場、ぼくは補欠だったけど、筋肉も10kg近く増えて、自信もついた。



専門学校を辞めたあと、再び東京に行った。三軒茶屋のイタリア料理店で働くことになったのだけど、そこでも遅刻をくり返した。でも、シェフがすごくいい人で、ぼくが遅れる度に迎えに来てくれる。そんな優しい人だったんだ。

当時は、立ち上げ当初でシェフもピリピリしてたから、ミスをすると平手打ちをされたり、遅刻をしまくってボコボコにされたこともあったけど、ぼくのことを考えてくれているのがわかった。だけどぼくは相変わらずで、その店からも何度もバックレた。でも、その度に連れ戻された。

そんな人に出会えたのに、ぼくはその店も辞めてしまった。連絡先をすべてブロックして、店に行かなくなった。その後は日雇いのバイトをしてなんとか食いつないでいた。

「なんなんだよ、、俺の人生・・・」

キッカケ③:料理だけが希望だった

逃げることそのものは、ぼくは恥じてはいない。自分を守るためだし、もともと超前向きな性格だから。ま、これも相当体のいい解釈なのだろう。

そんなぼくでも、料理からは逃げなかった。料理で世界と肩を並べるのが、ぼくの夢だ。目の前の状況から逃げるのはともかく、夢から逃げてはいけない。それをやってしまったら、自分がなにものでもなくなってしまう。

料理はぼくの生きる意味だ。そう思えるようになったきっかけは、子供の頃にあった。



「これおいしいな!」

ぼくが作った料理を食べて、親戚のおじさんはそう言った。料理と言っても、ぶなしめじをバターで炒めただけのものだ。それでも嬉しかったし、料理人という夢をもつきっかけになった。

ぼくが3歳のときに祖父はレストランの経営をはじめて、1代で事業を拡大していった。
料理人に憧れたのは、そのためかもしれない。両親は頼りなかったけど、その反面寛容でもあった。ぼくが下手な料理を作っても許してくれたし、のびのびと育てられた。

睡眠障害による遅刻のせいで信頼を失っていたし、母の統合失調症など、つらいことはたくさんある。それでも生きてこられたのは、料理があったからだ。料理だけがぼくの希望だった。周囲に白い目で見られたこともあったけど、料理で人を喜ばせたという経験が救いになっている。

三軒茶屋の店を辞めてからも、レストランの経営をしたいという思いはあった。何かのきっかけになればいいと思って、経営者が集まるセミナーに参加した。

こういうセミナーに参加するのは初めてだから、緊張していた。凄そうな人ばかりで、中にはテレビに出ていた人もいる。何人かの人と話したけど、まともな会話にはならない。登壇して喋っている人の話も、半分くらいしか頭に入らなかった。

そんな中で、睡眠の専門家と話す機会があった。彼女とはなぜかスムーズに会話ができた。睡眠障害の話をしたら、快く相談に乗ってくれた。彼女のコンサルを受けたら睡眠の質がよくなって、睡眠障害が少し改善し始めたんだ。セルフイメージも上がって、自信もついてきた。

自分の睡眠障害を改善できた経験から、同じような悩みで苦しんでいる人の力になりたいと思った。何人かの人の相談に乗っているうちに、睡眠の専門家として仕事をもらえるようになっていった。

そのあと、大きなイベントで睡眠の専門家として登壇させてもらう機会を得た。たった5分だけだったけど、そこから多種多様な経営者や起業家との関係地も築け、人脈がものすごく広がった。飲食業界を辞めてから、人との繋がりで広がっていく自分の可能性が嬉しかった。

そう、それが、ぼくの人生に大きなキッカケを刻むこととなった「大・恩送りフェスタ」というステージだったのだ。

キッカケ④:飲食業界を変える。それがぼくの夢。

500人の観客がいる。

心臓は高鳴っている。

恐怖もある。

それでも、ぼくはここに立ちたかった。本当の自分をさらけ出したかった。



大・恩送りフェスタとは、夢を叶えたい人が自分の想いを発表するイベントだ。今まで受けてきた恩を返すのではなく、別の誰かに「送る」。そんなコンセプトで開かれている。

ぼくがこのイベントに出ようと思ったのは、認められたいという強い気持ちがあったからだ。

ぼくは睡眠障害のせいで信頼を失ってきた。それでも、自分はなにかができる人間だという想いが、胸の奥にあった。なんとかしてそれを証明したかった。他人から評価されたいという欲求があったのだ。

500人の観客の前に立って発表をするなんて、今までのぼくだったら考えられないことだ。本番の前は緊張したけど、ステージに立ってみる、見たことのない景色が広がっている。ライトはきらめいて、目も開けていられないくらいだ。観客の息遣いと興奮が、自分のもののように感じられた。観客も楽しそうで、気付けばリラックスして話せていた。結果なんと準優勝したんだ。

自分が話していることが、こんなにも多くの人に伝わっているんだなと思うと嬉しかった。自信もついて、それから先のイベントにも関わらせてもらっている。

カウンセラーによると、ぼくの人生は普通の人だったら自殺するほどつらいものらしい。実際、辛いこともたくさんあった。それでも生きてこられたのは、料理という希望と、実家のレストランを継ぎたいという想いがあるからだ。

実家のレストランで働いていた頃にも遅刻をしていたので、いま戻れば従業員からの反発はあるはずだ。それでも、ぼくはあの店を経営したい。食のテーマパークのような場所にして、だれでも子供の頃に戻れるような場所にしたいんだ。

飲食業界を変えたいとも思っている。労働時間が長くて給料も低いという実態を改善して、頑張っている人が報われる世界にしたい。世界中の料理人が幸せになれるようにしたいんだ。



かつてのぼくも、飲食業界で辛い目にあった。休みは週に一度で、保険は未加入、有給もない。料理の説明を間違えただけでシェフに平手打ちをされる。口の中が血だらけになったこともあった。

そんな境遇でも、希望があったからこそ、ここまでこれたんだ。どんなにつらいことがあっても、希望を失わないで生きていきたい。

この記事を読んでいる人も、大変なことがたくさんあると思う。それでも、前を向いて生きてほしい。辛いときこそ希望を信じてほしい。

ぼくの人生は「やらかしまくっている」と言ってもいい(笑)睡眠障害による遅刻グセなどで散々チャンスを失って、嫌なことからずっと逃げてきた。そんなぼくでも生きてこられたし、今は多くの人に支えられて仕事ができている。

これからの人生では、もっと多くの人に希望を届けたい。

料理という希望のおかげで、つらいことを乗り越えて生きてこられた。それがぼくのKey Page。

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掲載日:2018年10月05日(金)

鍵人No.110

田部井雄太(たべい ゆうた)

1993年生まれ。睡眠障害が原因で遅刻をくり返した経験から、睡眠の専門家を志すように。経営者や芸能人など多くの人々にコンサルを実施した経験あり。今は飲食事業中心に地方活性化に向けて動いている。

HP:https://www.facebook.com/yuuta.tabei

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