田部井雄太 Episode2:つらい日々でも前向きな気持は忘れない。その原点は家族にあった。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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ぼくは何度も遅刻をして信頼を失ったし、自己嫌悪に陥ったこともある。それでもここまでこれたのは、前向きで自立心の強い性格だったからだ。その原点は、家族にある。

小学校6年生のとき、祖母が亡くなった。まだ若かったので、親戚はみんなショックを受けた。このときに、ぼくの母が親戚中からバッシングをされたらしいのだ。

「お前のせいで死んだんだ」

そんな言葉をかけられて、母は統合失調症になってしまった。車の運転中でも急に奇声を発するので、それを聴きたくなくてぼくはイヤフォンをつけるようになった。母は、学校の先生にコーヒーをかけるくらい気が狂ってた。

彼女は一人っ子で、家のことなんてほとんど何もわからない人だった。父も似たようなもので、家に帰ってきても自分の部屋に引きこもって雑誌ばかり読んでいた。子ども同士で結婚して、子どもが子どもを産んだようなものだ。

両親がこんな様子だったので、ぼくは彼らをあてにしていなかった。自立心が芽生えたのは、このためだ。いろんなことから逃げてきたのも自分を守るためで、習い事や仕事から逃げることを、悪いと思ったことはなかった。

そうは言っても、母親が統合失調症というのはつらかった。中学までは体もひょろひょろだったので、いじめもあった。家では母に苦しめられ、学校ではいじめられる。あの頃は本当に辛かった……。

そんなぼくだから、高校はレスリング部に入って、部はインターハイに2度出場、ぼくは補欠だったけど、筋肉も10kg近く増えて、自信もついた。

専門学校を辞めたあと、再び東京に行った。三軒茶屋のイタリア料理店で働くことになったのだけど、そこでも遅刻をくり返した。でも、シェフがすごくいい人で、ぼくが遅れる度に迎えに来てくれる。そんな優しい人だったんだ。

当時は、立ち上げ当初でシェフもピリピリしてたから、ミスをすると平手打ちをされたり、遅刻をしまくってボコボコにされたこともあったけど、ぼくのことを考えてくれているのがわかった。だけどぼくは相変わらずで、その店からも何度もバックレた。でも、その度に連れ戻された。

そんな人に出会えたのに、ぼくはその店も辞めてしまった。連絡先をすべてブロックして、店に行かなくなった。その後は日雇いのバイトをしてなんとか食いつないでいた。

「なんなんだよ、、俺の人生・・・」

掲載日:2018年10月05日(金)

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飲食人/起業家/地方創生家

田部井雄太(たべい ゆうた)

遅刻グセのせいで何度も信頼を失っても、希望を持って生きてこられた。そこには、料理にかける熱い想いがあった……。

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