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キッカケインタビュー

自分の可能性を諦めるな──天国と地獄を見た男の、いま伝えたい事。

酒井よし彦(さかい よしひこ)

扇情カメラマン、フォトスタジオMe-Cell【ミセル】代表

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キッカケ記事

いま何やってるの?
スタジオ経営をして風俗やグラビア雑誌などの撮影をおこなうかたわら、中高生や若い人向けに、挫折体験から立ち上がることや自分の可能性を信じることについて考える機会提供もしています。

グラビア撮影専門のカメラマン、酒井よし彦さんは、若者向けに人生を考える機会を提供するなど幅広く活動しています。波瀾万丈なその人生に一貫しているのは、“できる方法を考える”という姿勢でした。

キッカケ①:キレイ事では生きられない。

「なんで生きてるんだろう」
僕の最初の記憶はこれだ。

人間は、生きるために呼吸をする。その生きるための行為が、息を吐いて吸うのが……苦しい。

喘息の発作が起きる。ひとたび起きると、息を吸うために全精力を使わなくちゃいけない。
こんなに苦しいおもいをしてまで、なんで生きるんだろう。何のために、僕の体は生きようとするんだろう。



小児喘息の発作は、小学4年のころには起きなくなった。
両親共働きで、育ててくれるばあちゃんを母のように思っていた僕。ゲームもないし、テレビなんかほとんど見ない。
本を読むか絵を描くか虫を殺すか……しか楽しみのなかった僕だけど、
発作の起きなくなる少し前から、もう少し人としゃべる子になろうと思って。
根っこから明るく変わったわけじゃないけど、少しは人と関わるようになった。

絵が好きで、画家になりたくて、芸大に行きたくて。黙々と絵を描いていた。
誰より絵を描いていれば、いつか画家になれるはず。

勉強は好きじゃない。中学校で柔道部に入り、バンドも始めた。
バンドにはのめり込んだけど、身長150センチしかなくてボンボコ投げられる柔道のほうはそこまで……。

風邪気味だったある日。まあ、風邪は事実なんだけど、正直サボりたい気持ちがあった。
「風邪なんで休みたいです」と先輩に言うと、こう返ってきた。
「ああ、いいよ。人は人、我は我。俺は練習して強くなるから。お前はずっと寝てろ」


ショッキングだった。
得意じゃない、楽しくない……だったら、自分が工夫しない限りいつまでも嫌なままなんだ。

柔道をする誰にも、手が2本あって脚が2本ある。条件は同じ。
そのなかで、でかい相手にどう勝てるかを考えて工夫すればいいんだ。
組んだら負ける体格差の相手の意表を、小さな自分がどう突くのか。
ダメだと思ったりビビったりした瞬間、勝てるものも勝てなくなる。

ルールのなかで、できる方法、勝てる方法を考える。柔道をとおしてそんな考え方を身につけていった。


バンドのほうは純粋に楽しくて、年上のお兄ちゃんたちにいろんな世界を見せてもらって。
比例して、学校にいる時間も短くなる。
進路相談の面談の日、担任に希望の進路を聞かれたので、僕は答えた。
「芸大に行きたいんで、高校はここに行きたいです。偏差値足りますよね」
「偏差値は足りるけど……お前の出席日数に生活態度じゃ、内申書けないよ」

そんな事情で、名前を書けば誰でも入れる高校に進学。
美術教師に「うちから芸大には……」と難しい顔をされた瞬間、その高校に通う理由がなくなった。
退学することにして両親に話すと、猛反対。
「出てけ」と言われたので、その日は謝って一晩やり過ごし、翌日寮付きの仕事を見つけて家を出た。15歳。



寮付きというだけの理由で決めたその仕事は、汲み取り便所の収集パイプの換気扇の取り換えを勧める営業の仕事。
完全歩合制の、まあグレーな仕事だ。「“市役所のほう”から来ました」ってやつだ。

それでなくても15歳の、社会経験もない僕に、契約なんか取れるわけもなくて。
先輩の仕事を手伝ったらもらえる日給千円で日々食い繋ぐ。


あまりにも売れない僕は、ある日部長と組まされた。
向かったのは一人暮らしのおばあちゃんの家だった。年金生活だという。
育ててくれたばあちゃんの姿がよぎった。「こんなおばあちゃんに、こんなの勧めらんないよ」

手ぶらで帰ると部長に怪訝な顔をされた。そして、部長がその家に行き、契約。
腹を空かした僕に、彼はアンパンを差し出した。

「そんな汚い金で買ったアンパン、食いたくないっす」
「何が汚い金だよ。おばあちゃんは納得して契約したんだぞ。合法的に、正当に得た金だ」
半ば無理やり僕にアンパンを握らせて、部長は言った。

「お前はおばあちゃんのことかわいそうと思ってんだろうが、そんな腹空かしたお前のほうが俺はかわいそうだよ」


悔しくて悔しくて、でも、空腹には抗えなくて。アンパンを噛み締めながら、僕は思った。

「かわいそう」とか「人としてこれが正しいはずだ」とか。そういうキレイ事だけじゃメシは食えないのかもしれない。
お金を稼ぐって大変な事なんだ。
誰かを騙すとか、誰かに我慢させるとか……そういう犠牲のうえで、人はメシを食う金を得ているんだ。

生きていくのに、正義感みたいな青臭いものなんか、邪魔なのかもしれない。
そんなものは捨てなきゃいけないのかもしれない。

おばあちゃんの笑顔を心に浮かべながら食ったアンパンは、少し、しょっぱかった。

キッカケ②:稼いで、すべて失って。

画家の道、芸大への進学を諦めた時から、音楽に人生を懸けるつもりで生きてきた。
詩も曲も書ける僕、バンドの担当は花形のボーカル。
僕がいなきゃ僕らの曲は成り立たない。ほかの誰かがいなくても僕がいれば僕らの曲が出来る。
そうなると、バンド仲間が対等な仲間に見えない。バックバンドのように思ってきた。



誰かから一円でも金を受け取る以上、本業がほかにあろうが何だろうがプロとしてやるべきだ。
次までにアレンジを考えようと決めたのにメンバーが考えてこないと激怒する。リハーサルに一分でも遅刻すると激怒する。
「そんな意識でプロめざすとか、ナメてんじゃねえよ! 」
メンバーの入れ替わりは激しかった。

女性に応援してもらうのは得意だ。応援してもらう……要するに、金銭的にということだけど。
レコーディングに20万とか。音楽にはとにかく金が掛かる。
なにも無理やり金をむしり取るわけじゃない。
僕の音楽なり、活動なり、顔なり……何かしらに価値を感じてくれるから、彼女らも金銭的に助けてくれるんだ。

そんななかで、とうとうメジャーデビューの話が来た。
絵の道を諦めてから、もう何年だろう。やっと、やっと、この時が来たんだ……!!



「ベーシスト入れ替えてくれるかな」
出された条件に、僕は、迷わずその話を蹴った。
僕らを認めてくれるところはいくらでもある。いっしょにやってきたベーシストを替えろなんて、そんなの呑めるかよ。

と思ったのに、バンド仲間は全員反旗を翻した。これまでバックバンド扱いしてきたツケなのか。

「だったらいい。ほかの奴と組む」
しばらく足掻いた。新しいメンバーは揃わず、デビューの話は二度と掴めなかった。



15歳の時から支えにしてきたものが、ポッキリ折れた。
高校や大学に通う同年代の奴らを見ても中卒の僕が道を貫いていけたのは、
「俺はロックミュージシャンだ。あいつらとは違う」というプライドがあったからだ。
それをなくして……ここから僕はどう生きていったらいいんだろう。

劣等感が疼き出す。それを抑えようと、僕は別の支えを作ることにした。
「金を稼げばいいんだ。どんなイイ大学を出た奴より稼げば、馬鹿にされることもない」


音楽以外に得意な事は、と考えた結果、僕はホストクラブのドアを叩いた。
得意なのは女性との付き合いだ。女性をイイ気分にさせてお金を出させるなら、ホストだろう。

特技を活かすつもりで始めた仕事なのに、しょっぱなから「話、つまんない」と言われた。
「「テーブルについて」って、いつかあいつに言わせてやる」というおもいをバネに奮闘。
自分が工夫しなきゃ、楽しくないものは楽しくならないんだ。できる方法を考えなくちゃ。

1年後、その女の子に「なんであたしのとこに座ってくれないの? 」と言われた。
しれっと応対しながら、心のなかでガッツポーズした。



下町でナンバーワンにまでなったものの、男が顔で食えるのはせいぜい25まで。
これからどうやって金を稼ぐか、稼ぎ続けるか。周りの金持ちを観察して、グレーな業界に転職した。
グレーというか、ブラックというか、アンダーグラウンドというか。あまり人に言えない仕事だ。

「できるできる、何でもできる。できないと思ったら何もできない。
 できる自分を信じて、できる明日を信じよう。できるできる、何でもできる」
毎日唱和させられる社訓。

「そうだな。柔道部でもそうだった。音楽でもホストでも、僕はそうやって成果を出してきたんだ」
できないと思ったら何も考えられない。方法が考えられないからできない。できる前提で物事を考えるんだ。
その過程で何かを犠牲にしたり人を傷つけたりしても、目的のためなら手段は問うべきじゃない。
お金を稼ぐ、社会で生きるってそういうものだろう。


ホストのころ以上に大きなお金を動かし、使う生活。

実力で稼いでいるわけじゃない。組織の仕組みに乗っかっているからそれだけのお金が僕を通過していくだけだ。
どこかでそんな自覚も持ちながら、成果を出すことを第一の目的に据えて、よぎる罪悪感みたいなものを停止させて。

月収は2000万に達した。年収じゃない、月の収入だ。
稼げば稼ぐほど使わなきゃいけない気がして、モノとか会食とか何かしら理由をつけてお金を使っていった。


6年後。アンダーグラウンドなその蓄積の結果、僕は東京にいられなくなった。



宮古島に逃げた。持っていた金で長屋を買って、観光客相手に貸し始めた。

ご存じ、宮古島には台風が来る。補修費用がハンパない。じきにその生活は成り立たなくなった。
宮古島だ。よそ者でも就ける勤めの口なんかない。
直せなくなったあばら家で雨風をしのぐ。メシを食う金もなくなった。

する事もないのでウロウロしていると、漁師さんたちと顔なじみになる。
「暇ならよう、網を直すの手伝ってくれよ」手伝うと、その晩の食事はそこでなんとかなる。
海が荒れると終わりだった。漁に出られなくなるからだ。
人の家で食べられない日は、サトウキビをかじって空腹をやり過ごした。


「あのころ、月10万でも貯金してたら……」
「ああ、あいつから金返してもらってねえな……」
「ほんの1年前まで、あんな羽振りのイイ生活してたのに……」
「巻き込んだ若い奴ら、どうしてるんだろ。あいつらも追われてんのかな。人生やり直せてるかな……」

過去を振り返り、悔やんだ。
金がすべてだと思い、稼ぐために何でもして、少なくない数の人間を巻き込んできた僕は、いまあばら家でサトウキビを食っている。


「死のうかな……」
東京を追われて、職もなく食うや食わずで、生きている意味がわからない。

一番古い記憶がよぎった。「なんで生きてるんだろう」
あれから30年も生きた僕は、あの時の僕に何も答えてやれないんだ。



ダメだ。このままじゃ人間が腐る。このままここにいちゃいけない。

どうするのか。何をして生きていくのか。何も決めないまま、1年半過ごした島を僕は出た。
戻れないはずの東京の地で、もう一度やり直すために。

キッカケ③:恩人のために成果を出して……。

偶然知り合った人の出版社に入社した。その会社の出している風俗誌を昔僕も読んでいた、というのがきっかけだ。
33歳、学歴なし、職歴も言えたもんじゃない、そんな僕を雇ってくれた社長は、性善説に手足の生えたような人。
「僕が困ってると、みんなが助けてくれるんだよ。有難いね」
僕の常識とはずいぶん違った前提で生きている人だけど、恩人に貢献したくて僕もがんばった。



風俗誌を出す出版社のクライアント。
いわゆる、怖い人の多い業界だけど、もともとアンダーグラウンドなところにいた僕には特に抵抗感もなくて。
用があってもなくてもクライアントのところを回っていると、「威勢のいい兄ちゃんだな」と好感を持ってもらえる。
すぐに仕事がもらえるようになった。

「バナーの仕事もらったんスけど、いつ出来ます? 」
「いま立て込んでるから、3日後くらいですね」
初めは社内のデザイナーのそんな言葉を信じていたけど、勉強して自分でいじってみるとバナー広告なんかすぐに作れるようになって。

「××さん仕事遅かったんで、僕代わりに作っときました」と社長に報告。
どう考えても、時間の掛かる人より即日納品する僕のほうがいい。クライアントも社長も喜んでくれる。
半年もすると、僕の上に当たる人は社長、専務、専門職のトップ、編集のひとりだけになった。

任される仕事の幅は増え、裁量も大きくなった。社長やクライアントに貢献できるように、できる事を何でも考え、やった。
業績もどんどん上がっていく。
「酒井くんが入ってくれたのも、会社がうまくいってない時だった。本当に良かった」
社長のそんな言葉がうれしかった。



それでも、人とぶつかることが多い。
正しい事、効率のイイ事をすべきだろう、と正論でモノを言い行動をすると、敵を作るみたいだ。
僕は、売り上げを伸ばすことが社長への恩返しだと思って、そのために一番効率的な行動を取るだけなんだけど。

社長の周りの“謎の人脈”の人たちに目の敵にされ、僕のチームのスタッフがひとりずつ潰されていった。
外堀を埋められて僕ひとり残された挙げ句、左遷のような形で異動を告げられた。
「辞めろ、って意味だと捉えてもらって構わないですよ」

社長に聞いてみた。僕はこの会社にとって邪魔になっているか、と。
「全然邪魔じゃないけど、問題もあるからね……」


社長のためになるならと思ってやってきたけど、僕がいなくなって社長がやりやすくなるのなら。
33歳の何も持っていない男を拾って、表の社会で生かしてくれた恩人のために、いくらかの事はできたと思うから。



こうして僕はその会社を離れた。37歳だった。

キッカケ④:生かされて、生きる。

友人と風俗媒体を立ち上げた。
前職と同じように風俗店から広告をもらい取材などを行うのが主な仕事だ。

初めのうちはフリーランスのカメラマンに撮影を任せていたものの、掛けたお金に対して写真のクオリティは……。

「俺がやろう」
写真の経験なんかまったくなかったので、広告のサービスの一環として無料で撮り始めた。
40歳のカメラマンデビューだ。



1年で800人以上撮らせてもらった。それだけ撮れば、どんな素人でもうまくなる。
しかも幸いしたのが、風俗業界という特殊性。
「バカ野郎! こんなもん使えねえだろ!! 」
出した仕事に対して頭ごなしにここまで言われることなんか、ほかの業界じゃなかなかないだろう。

そこで折れる心を持っていないのが僕だ。
「どこがダメっすか? 」「どういうふうにしたら良くなりますかね? 」
素直に学ぼうとすると、厳しい言葉ながらもきちんと要求を教えてもらえるわけで。

昔絵を描いていたのもどこか活かされたのかもしれない。短期間で腕を伸ばしていった。
2年目からは有料にし、「スタジオMe-CeLL」という名前でフォトスタジオを立ち上げた。



何人か人を雇ってみたものの、昔から身内に厳しい僕だ。
「お金を受け取るのに、なんでこんな仕事なんだ? 」
「目的がこれで手段がこれってわかってんのに、なんでやらないんだ? 」
ストレートに伝えると相手の心が折れるらしい。それが面倒で自分でやってしまうと、その子の仕事がなくなる。
あれこれフォローするのが嫌で、人を雇うこと自体をやめることにした。


“できないくせにできる方法を考えない、やろうともしない”人のことが理解できなくて、
強くものを言ったり、何も言わないという形で見限ったりしてきたけど。
それじゃうまくいかない場合があるということにもだんだん気づいてきた。

社内のスタッフについては、替えるとか、雇わないとか、選択肢がある。
でも、クライアントから派遣されてきた女の子はそうはいかない。
彼女らの実力が足りなかったりやる気がなかったりしても、僕が代わりに被写体になるわけにはいかないんだ。


「僕はプロ。あなたもプロ。お金を受け取るんだから」というつもりで女の子に接すると、あとでクライアントに叱られる。
「酒井くんのとこには行きたくないって言われると、頼みたくても頼めないよ」
結果的にクライアントに不利益になる事を僕がしてしまうのは、プロとして間違っているのかもしれない。

「君が相手を責めてるつもりじゃなくても、相手がそう受け取ってる以上、そう伝わってるって受け止めなきゃ。
 どんなにイイ写真を撮ってもそれだけじゃダメ。
 女の子に「二度と行かない」って言わせちゃうようじゃ、君が自分の首を絞めることになるぞ」

めちゃくちゃ反省した。正しいだけ、速くて良い仕事をするだけじゃ、プロとして十分とは言えないんだ。

自分のなかの正しさや怒りを一旦脇に置いて、相手がやる気や実力を発揮できるような働き掛けをする。
もともと女性と話すことは得意だったんだ。相手を気持ち好くさせる接し方は心得ている。
過去に身につけてきた技術を総動員して、被写体になる女の子との接し方を試行錯誤していった。



その過程で、自分ひとりで仕事をしているわけじゃないということも理解していった。
努力すれば人の何倍も速く良い仕事ができるから、まるで自分ひとりで仕事しているような気になっていたけど。
たくさんの人に支えられてきて、いまの僕がいるんだ。それに気づかずに……なんて傲慢だったんだろう。

バンドの時、ホストの時、アンダーグラウンドな時代……本当に最近まで、人を人として見ていなかったのかもしれない。
だからたくさんの人が離れていって……でも、宮古島では漁師さんたちがメシをくれた。
15歳の僕には「おばあちゃんに詐欺まがいの商品なんか売れない」という正義感みたいなものもあった。
人のあったかさ、自分自身の優しさを、きっと本当は僕も知っていたんだ。
ただ、それを信じて生きることができなかっただけで……。



傲慢な自分に気づき、改めると、仕事が広がっていった。
人との繋がりのなかで機会を頂き、「月刊カメラマン 」、「週刊SPA! 」などの一般紙に掲載されることが増えた。
ひとつの目標でもあったんだけど、書籍の表紙にも採用されるように。
バンド時代に憧れていた、多くの人の見てくれる場所での活動。やっと何者かになれた気がした。



人に言えない仕事もしてきて紆余曲折、40を過ぎてカメラマンになった僕。
いまは、人のあったかさを感じながら、人を喜ばせることで対価を頂く毎日だ。感謝しながら、されながら。
歳を重ねて丸くなった……と言うのかもしれない。

カメラマン以外の、若い子向けの活動もしている。
被写体の女の子をはじめとした若い子たちの、もちろん全員じゃないけど一定数が、
夢や目標を持たず自分の力も信じずに生きているのをもどかしく思ったのが始まりだ。

誰も彼もが、僕みたいに、短期間努力したら何でもできるわけじゃないけど。
それでも、やる前から自分で自分を諦めたり、可能性を見ることすらしないで漫然と生活したりするのは、もったいない。
僕の半生は間違いだらけだったけれど、そのなかでも僕は自分の力を諦めずに生きてきた。
40歳から新たなキャリアを拓くことだってできるんだ。あなたがあなたを、どうか諦めないでほしい。



波瀾万丈な僕のKeyPageが、あなたの心に火を点けることになればいいな。

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掲載日:2018年09月28日(金)

鍵人No.108

酒井よし彦(さかい よしひこ)

1971年生まれ。高校中退後様々な職に就き、金銭的な天国と地獄を体験、33歳で出版者に入社。37歳で独立、「フォトスタジオme-Cell【ミセル】」を立ち上げ、プロカメラマンとして活動している。

HP:https://www.sakai-photography.com/

HP:https://www.me-cell.com/

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